西武沿線完歩の旅2020(2020/4/19~2021/2/23)その4

2020年5月3日 飯能→西吾野 17.7km(歩行距離 22.6km)

12時28分 飯能市仲町
カーソルオンかタップで2007年10月6日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523210946j:plain

歩いて帰宅しようっていう話だったのに、すっかり通り過ぎてる件。

飯能駅北口は、ここ数年山歩きを趣味にしたのですっかり日常化した (笑 天覧山多峯主山、寺社巡り、あとはバスで名栗の方面とか…。2019年のムーミンパーク開園にあわせ、駅構内は森の雰囲気にリニューアルしている。

12時36分 飯能市東町
カーソルオンかタップで2007年10月6日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523211057j:plain

飯能から東飯能駅は、徒歩10分もかからないところ。西側に平屋の駅舎を持つ田舎駅だったけれど、2000年に東口を開設、駅ビルに丸広東飯能店が開店した。2006年に丸広は撤退、2009年に丸広飯能店が再度移転開業した経緯がある。

八高線ともども本数は少なく、乗換駅だと思ったことは一度もない(笑

12時46分 飯能市原町

f:id:monif_0321:20200523211208j:plain

東飯能〜高麗間は1駅間で4km離れてはいるものの、1990年前後に武蔵丘と北飯能の信号場、それに武蔵丘車両基地が開設され、1駅という感じではなくなった。

そもそもこのあたりは天覧山多峯主山の宅地造成、武蔵丘駅設置と飯能短絡線整備に伴う複線化という大きな計画で進められてきたところ。環境問題やバブル崩壊によって、部分複線が「取り残された」と言った方が適当かもしれない。

13時11分 飯能市飯能

f:id:monif_0321:20200523211259j:plain

とは言え線路北側の国道沿いには、ここ十数年で郊外型の商業施設が集積され、街並みは見違えて賑やかになった。以前は飯能市の観光案内所だけぽつんとあったものだけれど、開発のおけげでだいぶ収まりが良くなったと思う(笑

13時16分 飯能市飯能
カーソルオンかタップで2007年10月7日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523211412j:plain

そこから国道から左手に入ると、道路は車両基地を跨いで天覧山方面の山道へと続いていく。陸橋から眺める基地構内は思ったより寂しくて、休日のまた特急一部運休の状態なのに、思ったより電車っていないものなんだなぁと思う。

13時21分 飯能市飯能

f:id:monif_0321:20200523211445j:plain

山道の入口にある「観光、レジャー、登山等自粛」の張り紙に世相を感じつつ、その右手方面へ道標のない踏み跡を登っていく。こちらは西武鉄道が所有する「飯能・西武の森」の一部で、車両基地西側の尾根越えルートになっている。

13時32分 日高市
カーソルオンかタップで2007年10月6日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523211519j:plain

西武の森は緩やかな下りとなって、武蔵台の造成地に繋がっていく。そこからさらに下って線路をくぐると、滝不動のあたりで国道に復帰する。とは言えここも2017年にバイパスが完成し、旧道化して以来めっきり車も通らなくなった。

無人滝不動にお参りして、書置きの御朱印(300円×2)だけ頂いていく。

13時55分 日高市
カーソルオンかタップで2007年10月7日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523211557j:plain

国道沿いのローソンで昼食を仕入れてから、軽1台分の細い路地に左折する。踏切を渡って道なりに歩くと、その先で高麗駅前の広場に到着する。

1929年の吾野延伸と同時に開業したこの駅、築堤下に改札を設け平面交差を廃止したのは1977年のこと。駅の南に広がる、武蔵台の分譲開始の時期だ。飯能からの新交通の計画だとか、八高線買収の噂だとか、この時代の話はスケールが大きい。

14時1分 日高市

f:id:monif_0321:20200523211633j:plain

ライフワークになっている(笑)糞尿貯留槽の調査は、ここは近寄れないので断念。石器時代の遺跡をさらっと眺めて国道に出ると、北西の風景にいよいよという感じがしてくる。飯能までとはガラッと、世界が違ってきた。

14時13分 日高市横手

f:id:monif_0321:20200523211727j:plain

正丸峠まで行動を共にする、高麗川の緩やかな流れ。基本的には国道299号の一本道だけど、このあたりはまだ平地があるので、ちょこちょこ旧道に寄り道しては高麗本郷の風景を楽しんでみたり。

14時17分 日高市横手

f:id:monif_0321:20200523211808j:plain

前回来たときは十分な地図がなく、立ち寄れなかった踏切を拾って歩く。本数削減中のLaViewが走ってきたけれど、太陽が雲にかくれちゃって残念。傍らに道路改修の記念碑が立つけど、踏切の向こうは行き止まりだしどの道路のことなのか。

14時21分 日高市横手

f:id:monif_0321:20200523211849j:plain

線路は高麗川南側の斜面を、切ったり盛ったりしながら身をよじらせて続いていく。すっかり街を離れた印象だけど、尾根を越えると横手台の造成地というから油断ならない。それと同時に、このあたりが宅地開発の限界だった。

14時30分 日高市横手

f:id:monif_0321:20200523211941j:plain

それからしばらく、川沿いの新しい遊歩道を歩く。2012年に整備されたもので、環境問題で相当な反対意見もあったらしい。過去の水害を説明する看板などわざわざ設置してあるのは、事業の正当性のアピールなんだろうね。

川沿いは親子連れをはじめ、釣りやバーベキューでそれなりに人がいる。

14時39分 日高市横手
カーソルオンかタップで2007年10月7日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523212014j:plain

最後に少しだけ国道を歩いて、武蔵横手駅に到着。

高麗川の渓谷が狭まったあたりにある山間の駅で、だだっ広いだけの草生した構内を持つ。周囲は西川材の産地でその集積場かとも思うけれど、戦後に一旦廃止され1970年に再開業した経緯があるため、痕跡などはもう一切残っていない。

14時45分 飯能市白子

f:id:monif_0321:20200523212104j:plain

武蔵横手を出た線路は、蛇行する高麗川を右に左に渡りながら進む。国道が概ね川の左岸に沿っていくのに対し、線路は東吾野までの1区間で6回この川を渡り、鉄道に最低限必要な曲線半径と勾配との落としどころを探っていく。

14時58分 飯能市白子

f:id:monif_0321:20200523212155j:plain

この地域は江戸の西の川から運ばれてくる材木、西川材の産地であり、時々杉の丸太が積み上げられた風景を見かける。1960年代がピークだった生産量は大きく落ち込んではいるけれど、優良木材として見直されている部分もあるらしい。

15時11分 飯能市平戸
カーソルオンかタップで2007年10月7日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523234710j:plain

次の駅が近づくとまた、沿線には集落が開けてくる。子どものころのハイキングで、線路がすぐ頭上にあるガードに沸き立った(笑)記憶があるんだけど、消去法でここなのかなぁ? ハイキングルートではないんだけれど…。

15時19分 飯能市虎秀

f:id:monif_0321:20200523212229j:plain

ここで一旦、南向き斜面を登った吾那神社でお昼休憩。ここに書置きの御朱印(300円~)があるのは山歩きで来た時に知っていたけれど、その時より色も使ってるしなんだかグレードアップしていて嬉しかった(笑

それにしても今日は、5月と言えど立ち止まると肌寒いね。

15時45分 飯能市平戸
カーソルオンかタップで2007年10月7日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523212328j:plain

東吾野駅は国道の対岸に、橋を渡ったところにある。この駅も武蔵横手と同様、構内は広いけど何もない。貨物営業の廃止は1970年だけれども、少なくとも木材のような大口の貨物輸送は実態として永らくなかったんだろう。

15時56分 飯能市井上

f:id:monif_0321:20200523212416j:plain

東吾野を出て、国道を西へ向かう。ここで線路は諦めたように蛇行をやめ、切通しとトンネルでわりと直線的にこの区間を抜けていく。こうなると線路沿いウォークでも何でもなくて、もはや単なる国道ウォークだ(笑

山間を流れる高麗川の水面は綺麗で、小さな集落の息遣いもいい。

16時3分 飯能市井上
カーソルオンかタップで2007年10月7日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523212459j:plain

13年前と同じ姿で残っていた、流され橋(というのかは知らない)。今実際に使われてるのかはわからないけど、昨年の水害に揺るがなかった橋脚は強い。このあたりも対岸を見渡すと、道路の崩落があったり被害はけっこう出ているのに。

16時30分 飯能市井上
カーソルオンかタップで2007年10月7日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523212534j:plain

大きく変わった風景と言えば、2015年に開通した吾野トンネル。池袋線の橋梁で幅を抑えられたボトルネック2箇所と、その間の集落を迂回して、吾野駅北側のバイパスに直接連絡する。いやほんと、道路はどんどん良くなっていくよね。

13年前も同じカーブで写真を撮っているけれど、残念ながら坑口はピンポイントで写っていない(笑 要は、写す動機もないありふれた斜面だったのだ。

16時44分 飯能市坂石町分
カーソルオンかタップで2007年10月7日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523212611j:plain

これがその、ボトルネック橋梁のひとつ(笑 池袋線吾野までの区間は、赤で塗装されたガーダー橋が目立つ。橋梁の塗装って緑が無難で採用されやすいんだけど、あえて赤にしたのは奥武蔵の緑に映えるようになのかな。

16時48分 飯能市坂石町分
カーソルオンかタップで2007年10月7日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523212651j:plain

旧道沿いに続く、吾野宿の集落。平安時代から1,300年の歴史を持ち、秩父三山参りの宗教者が多く利用したという。沿道の古民家は大正期が多く、時代はだいぶ下るわけだけど、それでも茶褐色にくすんだ町並みには雰囲気がある。

16時50分 飯能市坂石町分

f:id:monif_0321:20200523212718j:plain

これは廃商店なんだろうけど、いつの時代で時間が止まっているのだろう。瓶の自動販売機なんて、リアルタイムで触れた世代はもういくつになっちゃうのか。このぐらいの時代のものが、自分的にはいちばん性癖に刺さる(笑

16時58分 飯能市坂石町分
カーソルオンかタップで2007年10月7日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523212751j:plain

町が途切れたあたりで急な階段を上ると、池袋線の終点、吾野駅に到着する。限りなく中間駅に近い終点だけれども、始終発列車も1往復ながら存在する。

1970年代まで積出貨物のあった駅構内は、1999年の土砂災害の復旧時に側線1本に整理された。駅北西方のホッパーへ繋がる線路は撤去されたものの、今でもこのホッパーを使用して石灰石のトラック輸送が続けられている。

17時4分 飯能市坂石

f:id:monif_0321:20200523212821j:plain

もう1駅、頑張る(笑

吾野からは、地図にはない線路沿いの道を歩く。このあたり、山歩きで来ているからこそ選べる道で、西武建材の脇なんて敷地内だと思っていた(笑 正面から見上げる積出し用のホッパーには、現役を誇示するように明かりが灯っている。

17時7分 飯能市坂石

f:id:monif_0321:20200523212851j:plain

西武建材の専用道路と別れ、西武秩父線の線路を渡る。民家の駐車場のようなところを気にせず入ると、そこから斜面上の遊歩道に出られる。足元に線路を見下ろして続くこの道は、迂回する国道に比べ大分ショートカットになってる…はず。

17時40分 飯能市吾野
カーソルオンかタップで2007年10月14日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523212923j:plain

遊歩道から山道を下り、高麗川を渡って国道に戻る。吾野から先の線路は、トンネルと高架橋で山岳地帯を突っ切っていて、たまに交差で見かける程度。赤いガーダー橋もコンクリート橋に変わるなど、年代の変化が感じられる。

このコーナーはグーグルマップにも「ドラえもんコーナー」として載っていて、由来は分かり易いけどこれバッタもんだよねぇ?(笑

17時45分 飯能市吾野

f:id:monif_0321:20200523212955j:plain

暮れなずむ山中をどれだけ歩いたんだか…。国道の前方に、見覚えのある子ノ権現入口の橋梁が見えてきた。ここが、子ノ権現への西吾野方の登山口で、先ほどの擁壁上の遊歩道が吾野方の登山口になっている。

ここまで上ると高麗川も、だいぶ水が少なくなってくる。

17時58分 飯能市吾野
カーソルオンかタップで2007年10月14日の写真へ

f:id:monif_0321:20200523213026j:plain

西吾野駅は少し国道から入った、奥まった高台にある。疲れた足に最後の登りがきっついんだよね…(笑 山側は緑の斜面で、その足元には1996年に廃止された貨物用の待避線跡が残る。その程度で当時から、取り立てて特徴のない秘境駅だ。

やってきたガラガラの電車で、飯能へ戻る。歩いて5時間半の道のりも、電車だとあっという間。いかに鉄道というものが、貴重な存在かっていうね。


次の記事


この旅の記録


13年前の飯能~西吾野まとめ記事