西武沿線完歩の旅2020(2020/4/19~2021/2/23)その5

西吾野西武秩父 15.4km(歩行距離 19.3km)

12時15分 飯能市吾野
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西武鉄道一番の秘境駅西吾野。トンネルに挟まれたホームと、駅前には家が一軒。国道から少し入った立地もあるんだけど、それにしてもこの光景は凄まじい。

12時23分 飯能市南川

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とにかく国道に出て、深まる緑の中を西へ向かう。国道は高麗川左岸を忠実にトレースしていく一方で、西武秩父線は支流の北川沿いに寄り道するため、この区間は殆ど線路には出会えない。家屋の散在する山間を、ちょっと速足めに進む。

12時36分 飯能市南川
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このあたりには、尾根を挟んで北川、南川という二つの集落がある。それぞれ北川小、南川小と小学校があったけれど、1983年に共に廃校となり、現在は吾野駅近くの奥武蔵小学校に統合されている。もちろん通学はスクールバスだ。

南川小学校の構内には1904年築の平屋、1937年築の2階建と二つの校舎があって、映画の撮影に使われることなんかもあるらしい。

12時47分 飯能市南川
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正丸駅の手前でようやく、北川からトンネルを抜けてきた線路と再会する。この第15高麗川橋梁は、地上32mと西武でいちばん高い橋梁らしい。線路はすぐ切通しに入り、視界の中から消えてしまう。

12時55分 飯能市坂元
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国道沿いにちらほらと家屋が並ぶようになると、峠の入り口、正丸駅に到着する。西武鉄道最少の利用者数を誇るこの駅だけど、近年二番手の武蔵横手との差をますます広げつつある。両駅とも、右肩下がりで減少する一方なんだけど。

12時57分 飯能市坂元

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正丸駅の北西方がすぐ、正丸トンネルの坑口になっている。トンネル延長が約4km、隣の芦ヶ久保駅まで約6kmと距離があるため、トンネル中心のやや芦ヶ久保方には、列車交換のための信号場も設置されている。

ここで鉄道と道路は、峠越えに向け完全に袂を分かつ。

13時2分 飯能市坂元

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正丸駅から国道は大きく右に逸れ、深い山中に分け入っていく。国道はその先正丸トンネルや旧道の正丸峠で難所を越えていくけれど、前者は歩行者は通れず、後者は激しく遠回りのため、考えた末に旧正丸峠を越えるプランにした。

標識を頼りに脇道に折れ、高麗川を渡る。もう源流に近いこのあたり、流れはすっかり小川のように。

13時6分 飯能市坂元

 

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少し上ると国道の喧騒は嘘のように静まって、長閑な山里の風景が広がる。有史以来1936年に正丸峠への車道が開通するまで、どれだけの人がこの峠道を踏みしめ、この景色を眺めてきたのだろう。

13時19分 飯能市坂元

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舗装道はすぐに終わり、峠道は高麗川の支流に沿って鬱蒼とした杉林を登っていく。昨年の台風で沢登りの道は荒れてはいるけれど、3月にも来ているので気持ち的には落ち着いていられる。あるとしたら、自粛期間中の背徳感か(笑

13時29分 飯能市坂元

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一旦正丸峠へ向かう旧国道に出て、再度標識を手掛かりに山道に入る。ここ正丸峠の名前の由来は明確でないけれど、芦ヶ久保の丸山を「大丸」と呼んだのに対し、旧正丸峠西側のピークを「小丸」としたことからとも言われる。

13時42分 飯能市坂元

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前方に綺麗な鞍部が見えたら、そこが峠らしい風情の旧正丸峠。駅から40分強、高さもそこそこで適度な運動になったかな。しかし、ここから芦ヶ久保方への下山路は利用が少ない未知数の道で、事前に調べてもなかなか情報がないのだ。

13時46分 横瀬町芦ヶ久保

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案の定、峠から少し下ると道標のない4差路状態になっていて、下り方の踏み跡2本を辿るとどちらも滑っている!(笑 谷頭という地形が災いして足元も脆く、撤退という選択肢が早くも浮かんだのはここだった。

結果、崩落箇所は下巻きして辛くも突破。

14時0分 横瀬町芦ヶ久保

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そこから先も想像以上に踏み跡が薄く、普通に崩落もあるし落ちたらたぶん無傷ではいられない。昨年の台風のせいもあるんだろうけど、旧正丸峠の芦ヶ久保方は遅かれ早かれ自然に還るんじゃないのかな。

14時17分 横瀬町芦ヶ久保
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久しぶりに命のやり取りをした感あった(笑 30分ほどで難所を突破すると、しばらく林道が続きやがて横瀬方の集落に続いていく。まだ秩父までは距離があるけれど、峠を越えた安心感というものは何事にも代えがたい。

14時22分 横瀬町芦ヶ久保
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5分ぐらい坂を下ると、1982年に開通した道路トンネルの坑口に出る。このトンネルの開通をはじめとした道路整備を契機に、横瀬からのセメント輸送はトラックに切り替えられ、鉄道による貨物輸送は1996年で幕を閉じた。

予定どおり峠を越えられたので、ここで帰りの特急の予約を入れる。今日時間が気になっているのは、特急が減便で2時間置きになっているからなのだ。

14時37分 横瀬町芦ヶ久保
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峠を下りてから芦ヶ久保駅までが、近いようで遠い気持ち的に苦しい区間。峠を挟んで芦ヶ久保方は吾野方にくらべ民家も僅かで、あまり変化のない緑の風景が続いていく感じ。そしてまた現れるトンネルは、左手の旧道を迂回するのが正解。

それにしても、トンネル直前のカーブを横断するのがけっこう怖いのだ…。

14時56分 横瀬町芦ヶ久保
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トンネルを過ぎると、風景はいくらか開けてくる。

左手に流れる横瀬川の向こう、斜面に大規模な法面防護が現れるのは、トンネルを抜けた西武秩父線がこの下を走っていることの証。線路はじわじわ高さを上げてくるけれど、実際はどちらも下っていて勾配差でそう見えるというのが正解だ。

15時6分 横瀬町芦ヶ久保
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正丸から2時間強を要して、ようやく芦ヶ久保駅に到着。隣接する道の駅の売店は、予想どおり営業休止中。それでも場内はツーリング客を中心に人出があった。

駅の背後は一面の法面工で、1999年に吾野駅で起きた土砂災害を一つの契機として、西武秩父線は自然災害対策が強化された。それにしてもこの駅、「ザ・プレハブ」と言った感じの簡易駅舎だよねぇ。

15時30分 横瀬町芦ヶ久保

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まだ2駅あるので、立ち止まらず次へ、次へ。

芦ヶ久保を出ると国道はほどなく、山間の無人地帯に突入する。ただ周囲の山々は気持ち開放的になってきて、ごく稀に武甲山もその頭をちらりと覗かせる。やがて訪れる里の風景を、出し惜しみするかのように。

15時34分 横瀬町芦ヶ久保
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横瀬川の難所「滝の枕」を越える高架橋、手前には鉄道から貨物を奪ったトラックが並ぶ。実際は生産量の減少で、貨物輸送廃止を決めたのは西武側らしいけど。

滝の枕自体は芦ヶ久保横瀬の境にある滝の名前だけど、農鉱業用の用水を取り始めたことで、ほぼ枯れてしまったそうだ。

15時42分 横瀬町横瀬
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山が切れる瞬間というのは、2度目だけど感動するものだよねぇ。目の前が遮るものがない生川の渓谷で、横瀬を象徴する三菱の社宅と、もう数歩出ればセメント工場が視界に入る。人いきれを感じるのって、ほんといつぶりかな。

15時52分 横瀬町横瀬

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横瀬川に沿ってずっと高度を下げていく国道に対し、線路はいきなりの大橋梁で直線的に渓谷を越えていく。この橋梁は西武秩父線開業当時よくレッドアローの宣材写真に使われたものだけど、車内からだとなかなかこの高さはわからない。

生川は武甲山の裏手あたりに端を発する、全長6kmほどの河川。渓谷の広さに対し、その流れは穏やかで、ささやかだ。

15時59分 横瀬町横瀬
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横瀬町は、西武線が通過する唯一の「町」。1955年に旧横瀬村と芦ヶ久保村が合併し誕生したもので、今も大字は「横瀬」と「芦ヶ久保」の二つしかない。セメント工場の脇で線路を跨ぐ道路橋には、当時の「横瀬村」の名が残る。

16時7分 横瀬町横瀬
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1996年までセメントの積み出しを行っていた東横瀬駅跡地を右手に、工場のパイプラインをくぐって線路沿いに歩く。突き当りにある横瀬車両基地には、LaViewに取って代わられ運用を失ったNRAが、何両も留置され解体の日を待っていた。

構内は2014年の大雪で建屋が崩壊、撤去され、以前よりすっきりしている。

16時15分 横瀬町横瀬
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例年だと芝桜のシーズンで活況を呈す横瀬駅も、今日はいつものシーズンオフと言ったところ。閉鎖されている芝桜の丘は武甲山頂から見下ろせるはずだけど、登山自粛は意外に浸透しているみたい。

その武甲山石灰石採掘のため日々削られ続けていて、今標高1,000mほどに見える「踊り場」は、ざっくりと毎年10mずつぐらい下がり続けている。

16時20分 横瀬町横瀬

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横瀬を出てしばらく、線路は築堤上に続いていく。この区間は複線状に長い側線があって、休日はたびたび回送列車の入れ替えに使われている。西武秩父駅の留置線2線が撤去されたことから、横瀬駅はなかなか慌ただしくなった。

ここも武甲山を背景とした定番撮影地だったけれど、ここ数年でずいぶん家屋が立ち並んだ。それにしても何故、家を建てるのってこう線路際を選ぶのかな(笑

16時30分 横瀬町横瀬

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横瀬町の水がめ、姿の池に映る黄色い電車。線路はここで一旦坂を上り、羊山公園をトンネルで貫いて秩父盆地へ抜けていく。

横瀬から西武秩父まで大S字カーブを描く西武秩父線、当初の計画では秩父鉄道秩父駅付近の駅設置を企図していたと聞く。確かに横瀬から直線を引くと、概ね国道に沿って秩父駅、さらに小鹿野延伸まで視野に入るんだけど、果たして。

16時35分 秩父市野坂町
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閉鎖中の芝桜の丘は素直に諦めて、見晴らしの丘との間の峠のような切れ目から、秩父の町に下っていく。大正の歌人若山牧水はその著作「渓より渓へ」で、この坂道からの風景を「うす黒くものさびた秩父の一すぢ町」と記している。

16時40分 秩父市野坂町

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うす黒く、ものさびた…。秩父は旧来から秩父盆地の中心として、また秩父神社門前町として栄えてきた。しかし浅黒い山々に抱かれた集落には、盆地特有の閉塞された空気と、怖さがあるようにも思う。

16時46分 秩父市野坂町

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駅とは少し逆方向に歩き、トンネルを抜けた線路を迎えに行く。いかにも田舎びた町並みの中、高架橋に突如現れる銀色の物体は、地上に舞い降りた未知の宇宙船にも見えまいか。線路はこの先で国道を渡り、盛土で終着駅へと下りていく。

17時4分 秩父市野坂町
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コンビニで帰りのお酒(笑)を調達してから、終点の西武秩父駅へ。駅は2017年にリニューアルし、「仲見世通り」のあった場所に待望の温泉施設「祭の湯」がオープンした。さすがに今の時期アレだけど、駅利用者も増加傾向にあるみたい。

所沢は町田、秩父は箱根湯本になってほしいというのが、個人的願望(笑

17時6分 秩父市野坂町

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特急は普段1時間間隔なので、間引き運転の2時間間隔は貴重な絵。例年この時期の特急は2本先まで満席で、あぶれた人が仕方なくS-Trainを利用するんだよな(笑 コロナ禍なんてあったよねぇって、早く思い出話になるといいなぁ。

5日間歩いてここまで来たけど、この次は果たしてあるのか、どうか(笑


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