西武多摩湖線と少しだけ前のこと(2015/10/21)

西武多摩湖線国分寺駅堤康次郎が小平学園都市の開発に伴い1928年に開業させた、近代西武鉄道の始まりとなった路線とでも言えようか。

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そんな国分寺駅のホーム移設延伸工事から25年、永らく放置されてきた北口駅前の再開発もついに動き出したようで、窓外には大々的に工事現場が口を開けていた。

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そんな「25年」を記念して、連絡通路ではさらにその25年前、1970年代の多摩湖線の写真が展示されていた。てか西武鉄道、最近こういう企画多いよね。

これは25年前の1990年、工事中の新ホームを通過して左手奥の旧ホームに向かう赤い電車の写真。旧ホームはこの先、中央線の掘割に斜めに突っ込むようにして終わっていた。

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そしてこれが、約50年前の国分寺駅改札前の様子。展示されているパネルは横方向が倍のパノラマ写真で点数も多く、当時の沿線の雰囲気につい見入ってしまう。

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一橋学園駅に統合され1966年に廃止された一橋大学駅、この駅の写真ははじめて見たなぁ。

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同じく統合された小平学園駅。(一橋大学+小平学園)÷2=一橋学園、という塩梅。

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青梅街道駅。駅自体は大して変わってないけど、青梅街道沿いには目立った民家もなく。

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そんな25年前、主に学校帰りにスナップした写真が出てきたので、あんまり綺麗ではないけれど貼っていくことにしよう。当時はライオンズも強かったし、自分的にいちばん西武愛の深かった時代かもしれない(笑

当初、国分寺駅改良と赤い電車の引退時期は、1989年春と告知されていた覚えがある。そんなことで沿線を初めて歩いたのが1989年4月6日のこと。国分寺駅では旧ホームに隣接して、駅ビル工事が盛んに行われていた。

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玉川上水を渡る小平桜橋のあたり、桜はもう散りかけていた。

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一橋学園で上下列車が交換する姿は、今も変わらない地方私鉄の雰囲気。

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青梅街道駅から国分寺方を望む。この当時、付近には「旅館むさしの」と「ビジネスホテル一茶」の看板が出ていたけど、後者については今も存続しているよう。

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ネットから手軽に情報を入手できる時代ではなかったため、この時からしばしば祖父の形見のカメラを持って、多摩湖線沿線に足を運ぶことになる。

1989年5月5日、初夏の陽気に包まれた萩山駅。この日の写真はこれ1枚きり。

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1989年12月2日、晩秋の青梅街道駅。当時は写真の現像にかかる費用がネックとなって、出かけてもほんの数枚しか撮らなかった。一日数百枚撮る今だったらね…。

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青梅街道駅国分寺方の民家と万年塀は今も変わっていないけど、その隣にあった黄色い土蔵は姿を変えているよう。日が短くなって、そういう意味でも限界の写真。

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写真の裏に日付がないけど、明けて1990年の2月ごろかなぁ。

前日に積雪があったものの、この日が晴れ上がって雪解けがはやく、学校の窓からやきもきしながらそれを見ていた記憶がある。間の悪いことに祖父のカメラも壊れ、たぶん「写ルンです」レベルのカメラで撮ったまぁ悔いの残る写真になった。

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そして国分寺駅工事の遅れで一年間延命したものの、ついに訪れた1990年最後の春。

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国分寺三小前の歩道橋から。当時、この歩道橋から見渡す限り、高層の建物は一切なかったように思う。

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これは市役所のあたりかな。あんまり「春爛漫」という感じではないけれど。

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青梅街道駅。ホーム延伸はされたものの、今でも上屋は2両分程度しかかかっていない。

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1990年6月17日、国分寺駅新ホーム稼働に伴う赤い電車の廃止に先駆け、萩山~拝島間往復のイベントが行われた。申し込み日の朝刊の片隅に告知を見かけ、国分寺駅へ出向いたところ残り2名とかで急ぎ事務室に手招きされた記憶がある。

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拝島の折り返しではしばし時間が取られ、幕回しが行われたり撮影タイムとなっていた。そんな中、何でこんな写真撮ってるのか意味がわからない(笑

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1990年6月23日、いよいよ最後の営業運転が行われた。確か国分寺から乗車して、これは萩山到着後の回送列車出発時の様子。

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後日玉川上水で撮影会があったけれど、それについては参加していない。自分的には、「さよなら」ヘッドマークをつけたあたりでもう終わった感があったかなぁ。そしてこのあと、6年間ぐらいはカメラすら手にすることのない日々が続く…。

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当時配布されていたペナントと、記念乗車券は奇跡的に手許に残っている。前年の青函連絡船とともに、この時のことが当時の「二大思い出」なんだろうなぁ。

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国分寺駅北口再開発では、また2棟のタワーマンションが建つらしい。こうして町は個性を失い、郊外は寂れていくんだよね。


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