西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その10

2007/10/28 国分寺→西武園 10.2km(歩行距離13.9km)

12時57分 国分寺市本町四丁目

イメージ 1

久々に街中に戻ってきた。なんだかほっとする(笑

国分寺線国分寺駅は、1894年に川越鉄道が開業した際に官営化前のJR中央線との接続駅とした、西武でいちばん古い駅のひとつ。中央線と線路が分断された今でも仲良く掘割に並ぶホームが、当時を彷彿とさせる。

13時10分 国分寺市西恋ヶ窪一丁目

イメージ 2

掘割を発車した線路はすぐ築堤となって野川の最上流部を越え、日立製作所の外周に沿った右カーブで中央線と分かれていく。線路沿いの遊歩道はすぐに途切れ、そこから先は住宅地の中を手探りで歩くことになる。

日立製作所脇の掘割に羽根沢信号場があり、ここから次の恋ヶ窪までがこの線唯一の複線区間となっている。

13時30分 国分寺市西恋ヶ窪四丁目

イメージ 3

府中街道と平面交差した線路は次第に築堤を上がり、一方で線路沿いの道路は写真のとおりの急勾配で線路と同じ高さへと駆け上がる。この下がJR武蔵野線小平トンネルの坑口となっており、ときたまオレンジ帯の電車が足元を出入りしていく。

道路は武蔵野線を跨ぐとすぐに下って元の高さに戻るが、その先に待っているのが民家の駐車場と申し訳程度の歩行者通路のみというのが、何とも肩すかし…。

13時33分 国分寺市西恋ヶ窪四丁目

イメージ 4

武蔵野線を越えるとその先から線路は平坦となり、周囲は畑の混在する住宅地や団地の風景に変わっていく。線路沿いに道路がないため、収穫を終えた露地野菜の畑越しに線路との距離感を測りながら歩く。

都道国立停車場恋ヶ窪線を渡ると、その先が恋ヶ窪駅。

13時35分 国分寺市戸倉一丁目

イメージ 5

恋ヶ窪駅は、1955年に設置されたこの路線では比較的新しい駅。恋ヶ窪という地名の由来には、武士を想う遊女が最後に国分寺市内の「姿見の池」に身を投げたという悲恋伝説も伝えられるが、まぁ「国府ヶ窪」あたりがいいとこなのではなかろうかと。

「恋」のつく駅は三陸鉄道の恋し浜など全国でも4つしかないとのことで、その縁で西武鉄道が贈ったメッセージボードを、そういえば昨年の春に宮古駅で見たよなぁ。

13時38分 国分寺市戸倉一丁目

イメージ 6

この駅を出ると線路は再び単線に絞られる。現在はその先で、都市計画道路が線路をアンダーパスする工事が大々的に進められているが、この当時はまだ平静を保っていた。

恋ヶ窪から北側は古くからの農村らしく、街道を中心に短冊形に区画された街区が増えてくる。特に水路を南北に携えた五日市街道の周辺は、空から見ると当時の地割そのままで壮観だ。畑の多いこの地域は、東京とは思えないほど空が広い。

13時53分 小平市上水新町三丁目

イメージ 7

鷹の台駅が近くなると、周囲は再び宅地化されてくる。この通りの奥の突き当たりに見える緑地が、玉川上水とその脇の遊歩道。2003年に史跡指定がなされたこの水と緑の景観は、この地域のイメージの形成に欠かせないランドマークとなっている。

この5年後、こんな町に住むことになろうとは当時は思いもしなかったけど…。

13時56分 小平市上水新町三丁目

イメージ 8

線路は鷹の台駅のすぐ南側で玉川上水を渡るが、その橋梁はこんなレンガ積みの構造。おそらく明治年間の開業から、ずっとこの線路を支え続けているのだろう。

13時58分 小平市たかの台

イメージ 9

小さな商店街の中にある鷹の台駅は、1985年に改築された三角屋根を持つシンプルながら可愛らしいデザイン。東側に小平中央公園が広がるほか、周囲には高校や大学が立地し、朝夕は学生の姿を多く見かける。

上下ホームが地下道で結ばれておりバリアフリー化は難しかったが、2011年に線路を跨ぐ形でエレベーターが設置された。それと同時に、駅外観も若干リニューアルされている。

14時7分 小平市小川町一丁目

イメージ 10

駅を出るとすぐ商店街は途切れ、ここから小川駅方面は広大な農村の風景に変わる。舗装されていた道路はいつの間にか農地を貫く真っ直ぐな畦道のような道に変わり、その先で竹林を抜け青梅街道に突き当たる。

14時15分 小平市小川町一丁目

イメージ 11

青梅街道を渡り、線路から少し離れて並走する都道をさらに北へと歩く。新しい住宅やアパートの並ぶ一角を過ぎると、その先で今や主要幹線となった拝島線と鋭角に交差する。てか道路に架線柱立ってるみたいだな。

そこから住宅地を500mほど歩き、右折すると小川駅西口。

14時21分 小平市小川東町一丁目

イメージ 12

小川駅は川越鉄道として開業後、1950年には上水線が、1962年には萩山からの拝島線が開業し、交通の結節点となった。周辺は再開発が予定されており、駅脇の日通の倉庫をはじめ、古びた商店と空き地が混在する商店街となっている。

14時24分 小平市小川東町一丁目

イメージ 13

東口にはロータリーがあるものの、かつてあった路線バスは廃止され、たまにタクシーが顔を見せる程度。駅舎もエレベーター工事などだいぶ手が入り隠れてしまったが、本来は屋根などに曲線を多用した瀟洒な建物だ。

14時36分 小平市小川西町三丁目

イメージ 14

小川を出ると、沿線は住宅地が途切れなく続く。線路は野火止用水の小さな流れを越えるが、この水路敷の緑が住宅地の中でいいアクセントになっている。ただここを最後に、線路沿いを歩くことは困難を極めてくる…。

この先で線路は多摩湖線の築堤をアンダーパスするが、郊外の住宅地で単線の鉄道が駅もなく交差する様子は一種独特だ。

14時54分 東村山市美住町一丁目

イメージ 15

空堀川の川沿いを歩いて、線路の東を並行する府中街道へ。空堀川は近年河川改修が行われ、その際国分寺線の橋梁も掛け替えられた。それ以前は、前後の川幅に対し鉄道橋が目に見えてボトルネックとなっていた。

かつては空堀川が溢れて小学校が休校になることが年に一度はあったけれど、子ども心にはそっちのほうが嬉しかったりもしたんだよな…(笑

15時16分 東村山市野口町一丁目

イメージ 16

府中街道から踏切を渡り、東村山駅の西側へ。このころ駅西側は広大な敷地を空けて再開発の真っ最中で、地元の反対はあったものの2009年に25階建てのタワーマンションが立ち上がるなど、再開発施設が整備された。

駅西口は左手は薬局が入居したテナントビルで、右手の仮囲いの中は駅前広場をはじめとした再開発エリア。しかし2002年に改修された新しい駅舎も、連立事業が決まり今度は取り壊される番に回ってしまった。

15時17分 東村山市野口町一丁目

イメージ 17

古びた駅前風景ともお別れ…と思いきや(笑)、今でも大賀不動産は変わってないし、お茶の田中屋は新築され小奇麗な店で営業を再開している。

国分寺線は東村山で終点だけど、今日はその先の西武園までをノルマとしよう。

15時23分 東村山市諏訪町一丁目

イメージ 18

駅西口から北へ歩くと、しばらくして大きく西へカーブする西武園線の線路が現れる。しかし線路と平行する道路はすぐに途切れ、ここからは行止まりの多い田舎道を行ったり来たり…。

15時31分 東村山市野口町四丁目

イメージ 19

駅から10数分も歩くと、茶畑が広がるこんな風景に…。やがて線路は、北山公園と八国山緑地に挟まれた緑の中に吸い込まれていく。

線路南側の北山公園は、不動産業者の開発予定地を環境保全の観点から東村山市が買い上げ、公園整備したもの。沿線では花菖蒲の名所として名高く、最盛期の6月ごろは多くの観光客で賑っている。

15時42分 東村山市野口町三丁目

イメージ 20

一方北側に広がる八国山緑地は、武蔵野の雑木林を東京都が公園として保全しているもの。上野、安房信濃、甲斐をはじめ8つの国を望めたのが地名の由来というけれど、にわかには信じ難い…。まぁちょっと誇張した可能性はあるだろう。

八国山緑地を西端に抜けると住宅地となり、間もなく西武園駅に到着する。

16時0分 東村山市多摩湖町四丁目

イメージ 21

西武園線のルーツは、1930年に川越鉄道改め旧西武鉄道が開業させた西武村山線に遡る。広大な私有地を背景とした「東村山文化園」計画の中心駅として位置付けられたものの、レジャー産業の衰退もあり垢抜けない駅となってしまった。

駅舎は1990年に改築されたもので、橋上駅ではあるが周辺が傾斜地となっているため出入口は路面とフラットになっている…と思いきや数段の階段で中途半端に接続されている(笑 南側は宅地化されているものの、駅勢圏は狭くのんびりムードが漂う。

16時1分 東村山市多摩湖町四丁目

イメージ 22

北口は西武園競輪場とゴルフ場の玄関口となっており、広いコンコースが設けられている分普段はがらんとした印象が強い。駅は辛うじて都内に位置しているが、ほんの200m先の競輪場との間で都県境を跨ぐことになる。

それにしても、このへんの一駅ごとに乗り換えないといけない「西武ぐちゃぐちゃゾーン」は、乗り入れとかもう少し便利にならないものかなぁ。


次の記事


この旅の記録