2015-01-01から1年間の記事一覧
2か月半ぶりの商店街。
曇ってきちゃったなぁ。
昨年は「残渣」だったので、今年は意識して早く来てみた。
昼過ぎから、雨粒が落ちてきた。
3日目 帯広→東京(2/2) 終点一つ手前の幌加駅跡には、ホームと僅かな線路が残されている。それにしても驚かされるのは、駅周辺に人の生きた痕が全く感じられないこと。いやほんと、クマが出そう…。
久しぶりに青空の広がった昼休み。
3日目 帯広→東京(1/2) 7時前に起床。起きた時には快晴だと思った空も、時間の経過に伴い曇ったり晴れたりと不穏な様子…。見下ろす街路樹は強風に揺さぶられ、果たしてこの先どうなることやら。
2日目 旭川→帯広(2/2) 美瑛の丘に別れを告げ、今度は駅近くから道道に乗って美瑛川を遡る。しばらくは広い谷筋の直線路が続くものの、やがて平地が途切れると白樺林の山道へと変わる。そしてあたりは次第に、真っ白な雪に覆われていく…。
2日目 旭川→帯広(1/2) 起床は6時半。窓から眺める旭川の空は、泣き出しそうなどんより雲。
1日目 札幌→旭川 札幌での所用を終えて、旭川への移動はJRで。昨年の夏に「とにかくおいしい」と勧められつつ買わなかった(蟹に目が眩んだ)「道産子牛めし」(900円)を手に、特急「オホーツク7号」網走行きの人になる。 「駅メモ」で新駅を拾っていく事情…
荏原町の部屋を引き払って、「つけ麺町田」にて最後のランチ。ここのラーメンははじめてだけど、どろっとしたスープはまさに町田のつけ汁そのもの。定番の餃子は肉汁たっぷりで、数ある店の中でここのがいちばん好きだった。
西武多摩湖線国分寺駅。堤康次郎が小平学園都市の開発に伴い1928年に開業させた、近代西武鉄道の始まりとなった路線とでも言えようか。
おにぎりがあったので、久しぶりの外(ソト)食で。
二か月ぶりの江古田本通り。空はどんより、明日に向かって下り坂らしい。
2012年2月に新装なった、東久留米駅北口とEmio東久留米。
すっきりと晴れた、9月最後の日。
セレモニーは21時半ごろから。 内野に選手が整列し、まずは牧田選手会長、続いて田辺監督の挨拶。牧田はかしこまり過ぎて面白みがないかな…(笑 でも今年は自分自身納得行かないピッチングが多かっただろうから、今の状況に思いは複雑だろうね。 田辺監督は…
さすがに今日の遅刻はないので、17時過ぎに清瀬駅へ。ホームには、西口のTシャツを着たファンがちらほらと。
旗の台駅に降り立ったのは、世の中が連休に入った秋晴れの午後。
新馬込橋を渡ったあたりから両側には切り立った谷が迫り、古道に接続する区道には急勾配の警戒標識が並ぶ。この地形が入り組んだ様子から、古の人は馬込を「九十九谷」と呼んだ。
昭和7年の道路地図に、松原橋で交差する計画線が環七通りと第二京浜。荏原町の南、「馬込町」と書いたあたりは真っ白だけど、これは当時耕地整理事業中だったからだろう。このエリア、当時道らしい道は「中通り」と呼ばれるオレンジ色の線1本だけだった。 何…
朝帰りが災いして盛大に寝過ごしたものの、心が叫びたがっていたため東横特急西武球場前行きに飛び乗る。自由が丘でやってきたのは「ここさけ」ラッピング電車という、狙ってやってたとしたら運用担当者素敵すぎる。
約1.3km続いた戸越銀座商店街、これが最後のゲート。
出かける前にアメッシュを見たら、都心部の豪雨は夜半まで残るも、多摩以西は雨が上がっていて、また品川も強く降ることはなさそう。そこで傘を持たないという賭けに出た(笑 練馬での盛大な雨音もひばりヶ丘では落ち着いて、西所沢ではごくごく小雨な感じに…
戸越銀座商店街には、2箇所の案内所が設置されている。ここで聞いてみるのもいいけれど、店頭で配布している商店街のマップと歴史や概要を記した「戸越銀座物語」を読むだけで、だいたいのことはわかっちゃうかも。
3年間ほぼ毎日利用した、隣の駅に手が届くような大井町線の日常風景。
三連戦最後の試合なので、今日は1時間休で石神井公園へ。もうすっかり日も短くなって、降り出した雨も相まってすごい黄昏感。あ、傘持ってくるの忘れたな…。
西所沢駅って、何とも言えない場末感があるよね…。
19時半前にドームに着いたころには、とりあえず雨は上がっていた。
朝から忙しく動いていたため、野火止のファミマで小休止。