西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その11
2007/11/3 国分寺→西武球場前 12.0km(歩行距離14.4km)
13時11分 国分寺市本町四丁目
多摩湖線の国分寺駅は北口駅前の一角に、JR中央線の掘割とはほぼ直角に設置されている。以前は写真右端から手前方向に線路が左カーブを切っており、掘割と踏切に挟またわずかなスペースに3両ぎりぎりのホームが設置されていた。
13時13分 国分寺市本町四丁目
上の写真から振り返った風景。この当時は駅前に、かつての線形がはっきりと見て取れた。
その後1991年に件の踏切の立体化が図られ、ホームを一橋学園方に移転させるとともに4両対応へと延伸された。再開発で現地の痕跡は失われてきたが、地図上では今も本町二丁目と四丁目の境界として残っている。
13時16分 国分寺市本町四丁目
国分寺を出ると、線路は市道と鉄道用地を転用した西武バス専用通路とに挟まれて続く。道路との間のガードレールは低く、その中を電車が走る様は路面電車のよう。ほどなくしてバス専用通路は途切れ、以降線路西側に平行する市道を北へ向かう。
多摩湖線は箱根土地が開発した小平学園都市のアクセス線として、1928年に開業した多摩湖鉄道をルーツとする。堤家と西武との関係の発端となった路線だけど、しばらく他線と独立していたこともあり、独特の沿線風景を残しているように感じる。
13時31分 小平市上水南町一丁目
緩やかな右カーブを抜け、連雀通りを渡った先が本町信号場。主に朝間の一橋学園折り返し運用時に交換のため使用されていたが、2013年のダイヤ改正を機に廃止された。そもそもは駅昇格も視野に入っていたようだけれど、その夢はついに果たされなかった。
線路は桜橋交差点付近で玉川上水を越え、針路をほぼ真北に変える。多摩湖線の萩山までの区間は、ほぼ単調な住宅地が続く。
13時44分 小平市喜平町二丁目
右手の緑は国土交通大学校と、陸上自衛隊小平駐屯地。この先には1964年まで一橋大学駅が存在しており、その痕跡は線路西側の通りにあるロータリーとして残っている。かつての多摩湖線は数100mおきに駅が乱立しており、1950~60年代に大胆な統廃合を行っている。
13時50分 小平市学園西町二丁目
一橋学園駅南口。駅舎背後のドーム状の屋根は構内踏切にかかるもので、デザイン性と機能性を両立させた好ましい作りだと思う。
「一橋学園」の駅名自体は、統合前の「一橋大学」と「小平学園」を足して2で割ったもので、何とも実態のない駅名となってしまった。南口は一橋大学、北口は小平学園の両駅それぞれへの補償という意味合いがある。
13時53分 小平市学園東町一丁目
北口は1998年に無人化された。駅前は小規模ながら噴水のある公園として整備され、人々の憩いの場となっている。駅北側を学園都市の目抜き通りが横切っており、沿線随一の活気ある商店街として人通りが絶えない。
一橋学園を出ると、再び線路に平行する市道を北へ歩く。線路敷は複線程度の余裕がある区間が多く、駅近くは駐輪場に転用されていたりするが、多くは草地のまま残されている。
14時3分 小平市小川町
1987年に新築された小平市役所を右手に行くと、周囲は住宅地ながら畑まじりののんびりしたムードに変わってくる。市の機関が立ち並ぶこのあたりに、1939年から1953年までの短い間、厚生村という駅があった。
線路が緩い右カーブを切って青梅街道を渡ると、踏切に隣接して青梅街道駅が現れる。
14時9分 小平市小川町
青梅街道駅は、ホーム一本だけのかわいらしい駅。駅舎は1995年に改修され、外見は蔵っぽい小奇麗なイメージに変わった。徒歩10分ほどにJR新小平駅があることもあって、終日静かで田舎びた雰囲気を漂わせている。
14時25分 小平市小川東町四丁目
青梅街道を出るとしばらく住宅や畑が続くが、その先左手には国立精神神経医療研究センターの敷地が広がり、隣接する萩山公園とあわせ緑の多い区間となっている。また踏切を渡った右手奥には、都市部では珍しい東村山三中の萩山分校がある。
線路はほぼ90度の左カーブで萩山駅に進入するが、1958年まではその手前に萩山駅があり、多摩湖方面と小平方面との線路が分岐していた。今でも三角形の鉄道用地として、かつての線形を偲ぶことができる。
14時34分 東村山市萩山町二丁目
南口にはUR萩山団地が隣接し、江戸街道を越える歩道橋を直接駅舎に接続することで歩車分離を図っている。このころはエレベーター設置工事の最中で、その後2009年に内外装の工事が完成し、現在ではピンク基調のメルヘンな駅舎へと変貌を遂げている。
14時39分 東村山市萩山町三丁目
駅西側の踏切は多摩湖線と拝島線が平面分岐する最中にあり、踏切道に12本の溝が刻まれている様はなかなか壮観だ。線路の向かいに見える緑は多摩湖自転車道で、武蔵大和の手前まで線路と並走していく。
ここから線路は西へ向かって築堤を駆け上がり、その先で再び単線に絞られる。野火止用水の小さな流れを渡ると、後年開業した八坂駅は目と鼻の先に…。
14時52分 東村山市栄町三丁目
八坂駅は府中街道を跨ぐ手前の築堤上にあり、2000年に道路拡幅に伴い新駅舎化された。周囲は大規模な団地もあり宅地化が進んでいるが、一方で同じ西武線の久米川、小川、萩山の各駅とも近いため、町の賑わいほど利用者は多くないようだ。
そもそもこの位置に駅を設置したのは、太平洋戦争中の1947年に軍施設へのアクセスを求められたため。軍関係の広大な敷地は、現在ではブリヂストンの工場や団地、その他公共施設等に転用されている。
14時55分 東村山市栄町三丁目
府中街道を渡って自転車道を西へ進むとすぐ、眼前におもちゃのような踏切が現れる。これがかつては別会社だった国分寺線の踏切で、見通しの利かない築堤の下を猛スピードで電車が通過する様はちょっとこわい。
踏切の先のガードで線路を南側にくぐり、しばらく線路沿いに広がる東村山中央公園を歩く。ここは通産省機械試験場の跡地を整備したもので、多摩湖線沿線に政府関係の施設が多いのは、平坦で広大な敷地を確保しやすかったからと言われている。
15時9分 東村山市美住町一丁目
雑木林茂る広大な公園を抜け、その西端付近の歩道橋を渡って自転車道に復帰する。公園脇から始まる複線区間は回田信号場内という扱いながらその延長は1.7kmにも及び、電車は猛スピードで駆け抜けていく。
新青梅海道を美住陸橋でくぐり、空堀川を渡ると、右手は東村山浄水場となる。それからしばらくは、農地と住宅が混在した長閑な風景が続く。
15時26分 東大和市清水二丁目
複線区間が終わるとともに、線路は右へカーブし自転車道から分かれていく。柳瀬川支流の前川が作る谷をガーダー橋で越えると、そこから先は狭山丘陵の東端を舐めるようなルートを辿っていく。武蔵大和駅は、その入口付近に立地する。
15時30分 東村山市廻田町三丁目
武蔵大和駅は丘陵の中腹あたりに位置し、駅へのアプローチは谷底からのスロープや階段に頼らざるを得なかった。このスロープは春には桜のトンネルになるが、2011年にエレベーターが設置されたことで現状では若干様子が変わっている。
駅周辺は古くからの農村の雰囲気を残しており、近年開発された八坂までの風景とは明らかに変化している。
15時37分 東村山市美住町一丁目
武蔵大和を出ると、線路は小さな尾根を掘割で抜け、一方で道路は東側に迂回しながら、それでも急坂でこれを越えていく。尾根の頂上付近では、家々の間からいよいよ西武園ゆうえんちの大観覧車が見えてきた。
15時49分 東村山市美住町一丁目
尾根を越えた道路は今度は北川の作る谷底へと下り、そこで築堤となった線路と合流する。周囲は個人商店が散在する住宅地となっているが、古びた多摩湖線の橋梁や円筒形の郵便ポストなど懐かしい風景が展開する。
緑色のガーダー橋を渡る電車を見送ったあと、西武遊園地駅へと緩やかなスロープを上る。
この駅は、1930年に多摩湖鉄道が村山貯水池駅として開業して以来、複雑にその位置と名称を変えてきた。最終的に「西武遊園地駅」として落ち着いたのは1979年になってのこと。ただこの南口は、遊園地と言うよりは古くからの集落へのアクセス口となっている。
北口は西武園ゆうえんちの玄関口として、駅舎もそれを意図したかわいらしいデザインとなっている。しかし線路が丘陵の中腹に食い込む形で途切れているため、遊園地へは長い階段を上らなければならない。
開業以来長らく終端駅だったこの駅も、1985年の山口線接続に伴い、西武球場方面への連絡駅として重要な役割を持つようになった。今日はその西武球場前まで歩いて、ノルマ達成としようか…。
16時8分 所沢市山口
西武遊園地を出ると山口線はすぐトンネルに入ため、徒歩では階段を上がって自転車道をしばらく歩き、案内板に従って遊園地へと下ることになる。するとエントランス前のちょっとした広場の傍らに、得意の三角屋根で固められた遊園地西駅が現れる。
「おとぎ列車」時代の山口線は、この駅の西武球場前方のカーブで現在線と分かれ、遊園地前駅に向かっていた。今立ってるこの駅前広場が、かつては蒸気機関車はバッテリーカーが憩っていた車庫スペースだったよう。
16時25分 所沢市山口
再び自転車道に上がり、多摩湖畔を西方へと歩いていく。ほどなくして線路は道路と並行するが、周囲に人家はなく、かと言って多摩湖は緑に阻まれ見えず、なんとも単調な風景を心身とも疲労困憊になりながら歩く…。
カーブの先に見える信号は、東中峯信号場。この交換設備で、野球開催時の10分間隔運転を捌いている。
16時30分 所沢市山口
前方から西武ドームが近づいてくると、線路は右へカーブしトンネルへと吸い込まれていく。かつての「おとぎ列車」はここから左カーブで分かれ、ドームを時計回りに巻いてユネスコ村へと向かっていた。
ここからドーム脇の外周路を行けばよかったものの、地図を持たない性が災いして森の中の道に迷いこむ…。次第に道なき道に変わり、森を抜けた先で待っていたのはお墓…(笑 心の中で謝りながら、結局先日歩いた狭山線沿いの県道に出る。
16時50分 所沢市上山口
暮れなずむ西武球場前駅に到着。プロ野球シーズンも終わって閑散とした駅構内だけど、それでもテニスコートの利用者などで、思ったほど寂しい感じはしなかった。
最後に過去のアルバムから、1989年冬の青梅街道駅の様子を…。駅外観はリニューアルされ綺麗になったものの、その佇まいだとか木々の感じは全然変わらず。今も昔ものんびりとした駅みたい。
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