西武沿線完歩の旅2020(2020/4/19~2021/2/23)その11
2020/10/4 上石神井→所沢 16.1km(歩行距離 19.2km)
今日は上石神井駅北口から。石神井公園からバスに乗ってきたけれど、高架化、線増、駅広整備と、両駅の間には大きな格差が生じてしまった。
12時53分 練馬区上石神井二丁目
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上石神井駅北口は橋上駅舎の階段脇に、エレベーター棟を兼ねた駅ビルが併設されている。階段先には外環道の計画線が走っていて、環境問題からその交差方法がなかなか定まらなかったことも、改良が遅れた一因だ。
池袋線とJR中央線とを結ぶバス路線が多くある関係で、中間にある新宿線踏切のバリアっぷりが際立つ現状となっている。
12時56分 練馬区上石神井一丁目
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地図を見て南へ渡り、駅前の商店街を西へ向かう。このあたりまで下ると新宿線の線形もだいぶ改善されるけど、スプロール的に進行した市街化に道路は貧弱だ。しかし外環道の計画確定に伴って、この地区の整備も少しずつ動き出している。
13時4分 練馬区関町東一丁目
商店街の道は少しずつ線路から離れていくため、頃合いを見計らって線路に近い道に移動する。駅から離れるにつれ、沿道は商店街から住宅地へと変わっていく。このあたりから線路は、石神井川の低地に向け緩やかに坂を下っていく。
13時10分 練馬区関町北二丁目
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やがてマンションや小さな商店が少しずつ現れてはくるものの、繁華街という風情に至ることもなく武蔵関駅南口に到着する。
23区最西端という肩書を持つ武蔵関駅。駅前広場とも呼べない程度の駅前スペースがあるけれど、駅前に人影は少なく、だいぶ郊外な雰囲気に変わってきた。吉祥寺方面へ向かうバスは駅前には乗入れず、少し離れた通り上から発着する。
13時13分 練馬区関町北四丁目
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橋上駅舎を渡った北口は、2015年に駅ビルが「エミオ武蔵関」化され、それに伴い出入口も改装された。辺りは細い通り沿いの商店街となっていて、改良前のひばりヶ丘に雰囲気は近い。将来的には、連立事業に伴う駅広整備が計画されている。
13時15分 練馬区関町北四丁目
駅の北西側にはすぐ石神井川が流れていて、その西で新宿線と鋭角に交差している。石神井川は小金井公園付近に源流を持つ自然河川だけど、この先の武蔵関公園付近を境に下流は、河道が直線状に付け替えられていて味気ない。
13時17分 練馬区関町北三丁目
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線路をくぐり、南側に移った川は線路としばらく並走する。旧河川敷を走るこの区間は、春になると桜の名所として定番の撮影ポイントになる。田無までは電車の本数も多く、黄色や銀色の電車がせわしなく通過していく。
13時22分 練馬区関町北三丁目
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桜並木の突き当りが、練馬区立武蔵関公園になっている。石神井川の水源地を生かしたさほど大きくはない公園で、すり鉢状の地形のため少し湿った雰囲気がある。曼殊沙華の咲く池畔には、釣り針を垂らす人の姿も。
水たまりから階段で脱するとすぐ、区市境を越え西東京市に入る。線路沿いの道を歩くとじきに、東伏見駅南口に到着する。
13時28分 西東京市東伏見三丁目
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東伏見駅南口は、広いバスロータリーを持つ郊外らしい雰囲気。駅前にはダイドードリンコアイスアリーナが立地しているけれど、ここをホームとしていたアイスホッケーチームが2009年に解散している状況で、稼働率はいかほどのものなのか。
写真の左端にちらりと鳥居が写ってるんだけど、これは駅名の由来となった伏見稲荷神社のもので、駅から10分ほど歩いたところにある。
13時30分 西東京市富士見四丁目
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東伏見駅北口も、南口ほどではないけれどバスロータリーを持っている。駅前は低層の建物も多く寂れた印象があって、ここも連立に伴う再開発待ちのよう。2面4線の立派な駅だけど、利用者はそれほど多くなくがらんとして印象を受ける。
東伏見を出た線路は、築堤を作りながら坂を下って行く。蛇行している石神井川の旧河川敷の影響によるもので、東伏見駅は張り出した台地上に設置されている。新宿線はこの手のアップダウンが本当に多い。
13時40分 西東京市東伏見一丁目
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線路沿いの道路の突き当りが、都立東伏見公園となっている。街路事業とあわせ整備された公園で、13年前には影も形もなかった。車道は地下、歩道は橋梁で線路を挟み込む配置になっていて、公園内には電車を眺めるステージもある。
公園の南には東伏見稲荷神社があって、その屋根がちらっと遠望できる。
13時45分 西東京市柳沢一丁目
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公園を抜けるとすぐ、西武柳沢駅南口に到着する。1970年に橋上駅舎化され、駅前広場を中心に緑の多い団地や公共施設が整備された。今でこそ時代を感じさせる街並みではあるけれど、当時としては近代的な都市計画だったんだろうなと思う。
ここから吉祥寺駅へのバスが発着していて、自称「吉祥寺住み」の西武柳沢民として不動産特集でよく話題にされている。
13時48分 西東京市保谷町三丁目
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橋上駅舎を渡って北口は、13年前と変わらず古い(廃)商店が立ち並び、保谷市時代のマンホール蓋もまだ残っている。
「本家」の柳沢駅は1925年に開業した長野電鉄の駅で、1927年に当駅が開業した後の1932年には、十和田観光電鉄にも同名の駅が開設された。しかし両者とも2000年代に廃止され、「柳沢」を名乗る駅はここが残るのみである。
13時48分 西東京市保谷町三丁目
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北口駅前から連絡する狭い商店街、これが「都道」富士街道と言うから恐れ入る。江戸時代には「ふじ大山道」と呼ばれ、大山阿夫利神社や富士山への参詣者が通ったという道。もちろんその頃は、周囲は一面の農村地帯だったろうけど。
13時53分 西東京市保谷町四丁目
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駅間ではまた旧河川敷に入るため、線路は盛土となってここを通過する。その途中にある小さなガードは、大戦末期に武蔵境から中島飛行機武蔵製作所(現ひばりが丘団地)とを結ぶ専用線がくぐっていたところと言われている。
青梅街道に突き当たったところで、斜め右方向へ進路を外れ田無神社へ。田無神社の敷地の南端が、ちょうど石神井川の崖線となっている、
14時14分 西東京市田無町二丁目
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神社から線路沿いの道に出て、田無駅北口へ。
周辺は鉄道敷設以前から青梅街道沿いに市街化されていた地域で、駅とその周辺の賑わいは新宿線随一で乗降客も多い。その北口も1996年までは密集した商店街で、かつての狭山市、所沢のような「田無ステーションビル」が存在していた。
14時16分 西東京市南町五丁目
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橋上駅舎を渡って南口に回ると、こちらは昔ながらの商店街の中。田無駅は1990年に上りホームを拡幅した経緯があって、そのため下りホームとの幅が違う、エスカレーターがホーム中心より中線側にある、上屋に拡幅跡がある等の痕跡がある。
14時27分 西東京市芝久保町二丁目
田無を境に電車の運行は減り、駅間の距離は倍ぐらいにまで伸びてくる。線路沿いの道がないため住宅地を歩いていくと、丸い郵便ポストが今も使われていた。丸いポストの町と言えば小平市だけど、西東京市内にも10本前後残っているらしい。
14時35分 西東京市芝久保町三丁目
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それから2車線の都道に出て、地図を見ながら最短経路で次の駅を目指す。畑の先に田無タワー(スカイタワー西東京)が見えると、はるばる歩いて来た感がある。近郊農業地帯に入り、ビニールハウスが並ぶ風景も当たり前になってきた。
14時44分 小平市花小金井一丁目
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南西に向かう道路と西から北西に向きを変える線路が交差し、久しぶりに線路沿いの道に戻る。その手前で住所は西東京市から小平市花小金井に変わる。
「花小金井」とは、新宿線の南側1kmほどのところにある玉川上水沿いの「小金井桜」に由来する地名で、元からあったものではなく、1962年の市制施行時に駅名をもとに名付けられた。小金井市外にある「小金井」っていうのが面白い。
14時47分 小平市花小金井一丁目
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踏切脇を右手に入ると、花小金井駅北口に到着する。長らく唯一の出入口だった北側は、駅前の学校用地をURが再開発し、2006年に駅前広場が開設された。商店街は小金井街道とを結ぶ細い道路沿いに形成され、駅正面は集合住宅が目立つ。
14時50分 小平市花小金井南町一丁目
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南口は意外にも、1998年に開設された比較的新しいもの。その際、西武の駅としては初めて駅トイレに無料のトイレットペーパーが備えられたという。トイレの入口にティッシュの自販機って、言われれば以前はあったよねぇ。
新宿線としては珍しく駅勢圏の大きな駅で、南北のロータリーや小金井街道上から、池袋線やJR中央線方面へ多くのバスが発着している。
14時53分 小平市花小金井六丁目
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ここからは線路南側100mほどを並走する、多摩湖自転車歩行者道を歩いていく。この緑道の下は、1924年に開場した境浄水場に水を送る「東京水道」が埋設されている。線路脇には道がなく、時々農地の向こうを電車が駆け抜けていく。
花小金井と小平の中間あたりには、1993年に開園した「小平ふるさと村」がある。ここはかつての農村、小平の風景を伝えるものとして、往時の建築物4棟と移築保存するなど整備したもの。コロナが落ち着いたらゆっくり見たいところ。
緑道沿いは至って長閑な雰囲気で、特に駅から離れた中間部付近は未だ農村の雰囲気を残している。奥の都営住宅も1990年代に整備されたものだから、見た目よりは意外と新しい。残った農地も、戸建て住宅に変わっていきそうな。
15時23分 小平市美園町一丁目
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そんな緑道が車道に変わると、やがて小平駅南口に到着する。この駅も元々は出入口が北側しかなく、1928年の多摩湖鉄道開業時は本小平駅を設置し、西側の踏切を経由して連絡を行っていた。 駅跡は、線路敷としてそのまま使われている。
15時34分 東村山市萩山町五丁目
線路を北に渡って小平霊園に入る。小平と言いながら大半が東村山市内にあるこの霊園は、緑が多いことから近隣住民の散歩コースともなっている。もともとは黒目川源流域の樹林帯で、園内には源流のひとつ「さいかち沼」が残る。
15時41分 東村山市萩山町五丁目
霊園を抜け、線路沿いの道を北上する。このあたりは地下で、JR武蔵野線が斜めに交差している。武蔵野線新駅の設置構想も東村山市としてなくはないようだけど、財政上の問題と、そもそも久米川駅から離れていることから現実味は薄い。
15時49分 東村山市栄町一丁目
カーソルオンかタップで2007年11月25日の写真へ
北口は2010年のロータリー整備とともに小綺麗に改築されたものの、橋上化など抜本的改良は行われず、出入口部分の「箱」を作る程度の最低限の改装に留まった。一歩引いて眺めると、壁の背後に従来のこ線橋が顔を覗かせている。
15時51分 東村山市栄町二丁目
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踏切を渡って南口の駅舎は、1981年築のものがそのまま使われている。久米川駅と多摩湖線の八坂駅は500mほどの駅前通りで直結しており、1950年代以降一気に市街化が進んだ。現在でも「栄町」の名のとおり東村山市の商業的中心地である。
15時54分 東村山市栄町二丁目
久米川を出てすぐ北側で、線路は空堀川と交差する。かつてはコンクリート護岸に生活雑排水が溢れていた空堀川だけど、下水道の整備と河川整備による河床の掘り込みによって、その名のとおり「空堀」と化している。
16時22分 東村山市本町一丁目
八坂神社に立ち寄ってから、府中街道を真っすぐ北へ上っていく。新宿線と交差する踏切は連立事業で廃止される予定で、踏切の前後では道路の拡幅用地が出番を待っている。仮囲いの中では上り線が仮線に振られ、旧下り線が赤さびていた。
16時32分 東村山市本町二丁目
カーソルオンかタップで2007年11月25日の写真へ
事業用地の目立つ街道を北に歩くと、やがて東村山駅東口に到着する。
東口は2019年11月に旧橋上駅舎への階段が閉鎖され、その右手に設けられた仮設地下通路への小さな出入口に切り替えられた。旧階段はシャッターが下ろされた状態で残っているものの、旧駅舎本体は解体が進み階段を上っても行く先はない。
16時35分 東村山市本町二丁目
カーソルオンかタップで2007年11月25日の写真へ
いずれ過去のものになる、駅北側の大踏切。連立事業で除却されるこの踏切だけど、一度2016年に改良が行われている。それ以前は、斜めに横断する都道と市道が踏切の中で交差する、歩行者にとっては歩く場所のない恐ろしい踏切だった。
16時42分 東村山市久米川町四丁目
駅北側の工事は南側から一歩遅れ、仮線用地がまだ空けきっていない様子。小田急訴訟以来都心部の連立は地下化が増えたけど、東村山のほか計画中の連立は高架が予定されている。そのあたり、環境と自治体の懐具合との天秤なんだろう。
16時56分 東村山市久米川町五丁目
カーソルオンかタップで2007年11月25日の写真へ
しばらくは線路の東側を道なりに歩き、突き当りでガードを西側にくぐる。その先の柳瀬川を渡る橋梁が、東京都と埼玉県との境界になっている。
1945年から1958年まで、ガードの東村山方に柳瀬信号所が設置され、新宿線の複線区間の終点となっていた。このあたりは線路を西側に振って曲線改良が行われたため、西側の用地がかつかつな一方で東側には旧線路敷が続いている。
16時59分 所沢市北秋津
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埼玉県に入ると、所沢駅に向け再び市街化が進んでくる。盛土上にあった線路は台地の西縁を辿って所沢の手前まで、こんどは浅い掘割に入っていく。1895年に開業した東村山以北は、盛土による高低差処理が特に目立つ区間でもある。
13年前に猫がいた旧道、いないとわかってても探してしまうよね…。
17時12分 所沢市東住吉
池袋線をくぐると、やがて左手には所沢車両工場の跡地が広がってくる。2000年の閉鎖以降、土壌汚染の処理などを巡ってしばらく放置されてきたが、2021年のタワーマンション完成に続きショッピングモールの工事が始まっている。
17時16分 所沢市日吉町
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所沢駅はこの9月に「グランエミオ」2期がオープンし、あわせて南口も再開設を果たした。「再」とは言っても完全な新築で、以前の改札正面にあったステンドグラスなんかは当然無くなり、すっかりスマートなイメージに変貌した。
それにしても、ホーム本体から上屋の架け替えまで、所沢駅の改築は徹底的だ。想定外のコロナ禍はダメージだけど、西武の「攻め」の姿勢は嬉しいよねぇ。
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