西武沿線完歩の旅2020(2020/4/19~)その1

外出自粛で遠出はだめ、奥武蔵程度でも人目がはばかられる世の中。そんなある晴れた日に、池袋で不要不急の用事(笑)を済ませたあと、家まで歩いて帰ること、13年前の完歩の旅を(一部でも)再現すること、を思い立ったのだ。

いや本当に全線歩くかどうかは、歩いてみて楽しいかによるのかな?

2020年4月19日 池袋→ひばりヶ丘 16.4km(歩行距離 20.4km)

12時27分 豊島区南池袋一丁目
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すっきり晴れた空の下、池袋の街を行く人影は少なく。臨時休業の店舗も多くて、どこかの地方都市にでもいるようで眩暈を覚える。13年前とさほど変わらない池袋駅東口、今回もここから歩き始める。

12時33分 豊島区南池袋一丁目
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明治通りから少し入ったところにある、相変わらず裏口感満載の西武南口

コロナに関係なく人は少ないけれど、2019年に開業した西武HDの「ダイヤゲート池袋」に繋がるデッキが、この近くから整備された。将来的には、豊島区の事業として東西自由通路に発展させる構想もあるらしい。

12時37分 豊島区南池袋一丁目

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びっくりガートで池袋線をくぐると、JRとの間に三叉路があるので左折する。「ガードの途中に信号がある」のが「びっくり」のひとつの理由らしいけど(諸説多すぎ)、ダイヤゲート関連の修景もあって思いのほか明るい風景が広がっている。

ここから山手線との交差まで、池袋線の擁壁沿いは雑居ビルが並んでいたはずだけど、なんだか小奇麗なマンション街になっていた。

12時48分 豊島区目白二丁目
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山手線を越える「はなのはし」の脇には、かつては「ヨネクラボクシングジム」があって、池袋線の車内からもよく見えた。廃業後もそのまま「米倉荘」と名を変え建物は残っていたが、それももう建て替えられ、以前の面影はなくなっている。

13時1分 豊島区目白三丁目

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山手線の西側に降りると、ここからしばらくは低層の住宅地が続く。道路上では親子がボール遊びしていたりだとか、外出自粛で昭和の遊び場が復活したみたいだ。

池袋線名物と言えば、このV字形の踏切。碁盤の目のような区画の中を、線路はそれこそ列車ダイヤのように斜めに貫いていく。

13時14分 豊島区西池袋四丁目

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椎名町駅手前では山手通りが陸橋で、首都高がトンネルでそれぞれ交差している。以前はこれらの街路事業とともに、踏切移設やホーム延伸、続いて駅舎の建替えに駅前広場整備まで行われたため、しばらく工事の槌音が響かない時はなかった。

2012年に一連の工事が完了し、新しい踏切がひっきりなしに警報を響かせている。

13時15分 豊島区長崎一丁目
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池袋線池袋口の各駅はここ10数年で大きく手が加えられ、平屋の駅舎だった椎名町駅もイマドキの小奇麗な橋上駅舎に生まれ変わった。旧駅舎と駅前の記憶しかない身には、にわかには信じがたい激変ぶりだ。

13時21分 豊島区南長崎一丁目
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新設された自由通路を南口へ渡ると、こちらは思ったより以前と変わらない様子。これまでホームから張り出すようにあった駅舎は撤去され、線路沿いの道路を一旦跨いで向かい側に、新たな出入口が作られた。

13時26分 豊島区南長崎二丁目
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椎名町からは線路と道路が並行になり、少し離れてはいるけれど歩きやすい。

かつて、この地が牧場地帯だった名残の「安達牧場」はなくなったけれど、「足立駐車場」と業態を替え存続していた。「あだち」の漢字まで変わっているのかはよくわからないが(笑、街に歴史ありで、それも少しずつ風化していく定めにある。

13時37分 豊島区長崎三丁目

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池袋線武蔵野鉄道として飯能まで開業したのは1915年のこと、その時点で沿線は部分的に市街化が進んでいた。低利用地を縫うように選んでいったことから、江古田駅あたりまでは線形が悪く、踏切の数も多いんだと思う。

13時42分 豊島区長崎五丁目
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ほどなく道路は商店街に飲み込まれ、東長崎駅北口に到着する。

武蔵野鉄道開業当時から存続するこの駅、改築する前は小さな木造の橋上駅舎と、側線を渡る長めの通路が昭和を感じさせた。2007年に現駅舎に改築されるとともに、側線群は撤去され江古田駅にあった待避線がこの駅に移転されている。

13時45分 豊島区長崎五丁目
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南口は仮囲いが外され、駅前広場が姿を現した。もともとこの駅は南側に駅前広場状の空き地があって、現在の駅前はそれを生かした形になっている。初期の駅ほど貨物輸送があった関係で、それなりに広い敷地を持っていた。

13時53分 練馬区旭丘一丁目

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次の江古田との中間点あたりにあった長江駅(西武市場駅)は、現在は日通の流通センターになっている。戦争末期の糞尿積込みを目的とした、下り線から分かれる側線1本だけの駅だった。戦後は一般貨物を取り扱い、1963年まで存続した。

それにしても、当時の航空写真を見ても周辺の民家は多く、今よりは慣れていたかもしれないけどまぁ臭気すごかっただろうなと(笑

14時0分 練馬区旭丘一丁目

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このあたりで列車の記録も…。自粛自粛でお花見にも行けてないけれど、街中や線路脇には小さな春が揺れていたりして。

14時3分 練馬区旭丘一丁目
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江古田駅南口は、2010年に橋上駅舎が完成、新装開店なった。平屋の駅舎は姿を消し、雑然としていた駅前も少しは整理されたかな。所沢方の踏切には1999年設置の地下道があり去就を注目していたけれど、橋上駅化以降も変わらず残されている。

14時5分 練馬区旭丘一丁目
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かつての北口は、道路上空に張り出した改札スペースをはじめ、いかにも「隙間」に苦労して作った出口だった。今でも階段しかないけれど、待避線を廃止することで土地を捻出し、駅前通りも広がり明るくなったように見える。

14時8分 練馬区旭丘一丁目
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江古田駅は1958年に拡張され、池袋線初の急行退避駅となった。その待避線を利用して、東長崎止まりの列車の折り返しを行っていたということで、これはいろいろと驚きだ。写真を見ると、待避線スペースは転用されていて跡形もない。

14時14分 練馬区栄町

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江古田からは一旦線路を離れて、南側に平行する千川通りに出る。名物の桜並木はとうに盛りは過ぎているけれど、散った花弁が足元を彩り、これはこれで見ごろと言えるかもしれない。なお桜台の地名は、この桜並木から来ている説もある。

14時23分 練馬区桜台一丁目
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環七通りをくぐって路地を右折すると、雑踏の先に桜台駅南口が現れる。入口の駅名板は新コ−ポレートカラーのものに取り換えられ、もとあった金色の三角形のオブジェは撤去された。その跡が、駅の側壁にうっすらと残っている。

14時24分 練馬区桜台一丁目
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北口は、駅の出入口と駅前通りの軸線がずれていて、以前は軸線上にペイントされていた駅名が、今はその位置で本設化されている。結果、駅出入口の上に駅名がないというちょっと落ち着かない感じになっている。

14時25分 練馬区桜台一丁目
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そして高架沿いの薄っぺらい商店群は、今日まで残っているとは思わなかったなぁ(笑 手前の写真屋は廃業してるようだけど、続くたばこ屋やラーメン二郎(笑)はなかなかしぶとそうに見える。まぁこういう、新旧雑多な風景もいいと思うけど。

14時27分 練馬区桜台四丁目

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ここに限らず高架化された区間は、だいたい側道が敷かれていて歩きやすい。このあたりは西武有楽町線の地下躯体の上に池袋線の高架が乗っている区間で、ハナミズキ並木の向こうに有楽町線が頭をもたげている様子が伺える。

14時33分 練馬区練馬一丁目
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駅近くの一角は側道が途切れるため、街区をぐるっと回って練馬駅北口に到着する。かつては準急すら通過していた田舎駅も、渋谷新宿池袋、それに横浜まで直通できる大ジャンクションになった。

一般にロータリーがある方が「北口」と呼ばれているけれど、公式の構内図ではデッキ上が中央東口で、左手の裏通りに降りる通路を北口と呼ぶらしい。

14時35分 練馬区練馬一丁目

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こちらもざっくり「南口」と思っていたけれど、右手の階段が南口、高架下が中央口らしく、このあたり新宿駅レベルで難易度が高い(笑 ただ南口は特に、純粋な駅アクセスと言うよりは商業施設へのアプローチの性格が強い気がする。

14時39分 練馬区練馬一丁目
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千川通りを回って西口方面へ。練馬駅の北側は鐘紡の工場があったところで、文化センターや公園が整備された後も駅直近は更地の状態だった。そこに2014年、練馬区の複合施設「ココネリ」が立ち上がり、工場跡地の再開発は完了を見ている。

14時40分 練馬区練馬一丁目
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高架下の西口は薄暗く、西友の通用口にも見えるけどここから西友には入れない(笑 一応、区役所最寄りではあるけれどバリアフリー非対応で、経緯があるんだろうけどいずれにしろ影が薄い。

14時49分 練馬区中村北二丁目
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目白通りを西へ行くと、街並みが明らかに変わってくる。13年前にぽつんとあった高架沿いのビルは、撤去されるんだろうなと思ってたらそうでもなかった(笑 むしろ高架沿いには、貼りつくように高層マンションが立ち並んでいる。

15時1分 練馬区中村北二丁目
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ナチュラルに線路をくぐる目白通りから、高架北側の側道に左折する。中村橋駅手前では都市計画道路が整備され、連立事業とその関連事業で南北方面の交通はずいぶん風通しがよくなった。

15時3分 練馬区貫井一丁目
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中村橋駅北口は、駅前広場はないけれど歩道もあって整然としている。駅は三角屋根の旧駅舎をモチーフとしていて、茶色を基調とした落ち着いたデザインが好ましい。バブル崩壊後の2001年築という、時代背景もきっとあるんだろう。

15時5分 練馬区中村北四丁目
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高架をくぐった南口は、千川通りまで続く短い商店街の中にある。駅前が手狭なことからバス停などの施設が千川通り沿いにあって、コロナの影響で学校が休みの今でも人通りが絶えない。池袋線の中でも「下町感」のある風景だと思う。

15時7分 練馬区中村北四丁目

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千川通りの交差点は、何故か近年の百合アニメの聖地となっていて、左手のガストが「citrus」、右手のマクドが「やがて君になる」にそれぞれ登場した(狭 そのマクドの前から中央線方面に発車するバスは、日中は電車より本数が多い。

少し歩き疲れたので、しばし聖地マクドで休憩にする。

15時48分 練馬区貫井一丁目

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中村橋駅の北西にはかつてニチバンの工場があって、「太陽に吠えろ」でジーパン刑事の殉職シーンが撮影されたとのことだけど古すぎてわからない(笑 敷地は現在では区の施設として整備されていて、サイケな動物さんたちが群れている。

なんて寄り道しているうちに、天気も時間も怪しくなってきた。

15時57分 練馬区貫井三丁目

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中村橋から富士見台へ向かう線路の北側は、石神井川とその支流が刻む谷の影響で起伏のある地形になっている。このエリアに工場が多く立地していたのは、千川上水石神井川に挟まれた、利水、排水のアドバンテージが大きかったんだろう。

この区間はホーム端で500メートルほどの距離しかなく、まだ中間かなと思っていたら頭上に富士見台駅のホームが架かっていた。

16時0分 練馬区貫井三丁目
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富士見台駅南口は、道路と線路の間のスペースに膜屋根を張って、その下が商業施設「エミオ富士見台」という、ちょっとお洒落な作りになっている。

富士見台の名称は昭和の初期ごろ、駅の南側に開発された住宅地につけられたのが最初と言われ、それが駅名になって、1964年には町名もあわせられた。今では高架化に伴い電車の中からも、西の空に富士山を望めるようになった。

16時2分 練馬区貫井三丁目
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一方で北口は古い木造住宅が多く残り、昭和を色濃く残す風景はおよそ駅前のそれではない。ただ駅前にあったファミマは解体されていて、もしかしたら今後、整備に向けて動き出すのかもしれない。いや、単なる建て替えかもしれないが。

16時15分 練馬区富士見台三丁目
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富士見台から練馬高野台にかけては、左手に高架橋、右手に住宅地を見ながら側道を真っすぐに歩いていく。側道は環八通りに突き当たって分断されるため、ここで線路を南側にくぐり、その先の信号を右手に入ることになる。

16時16分 練馬区南田中三丁目
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その交差点の一角には、絶対なくなってるだろうと思っていた(笑)藤吉米店がまだ残っていた。まぁ13年前から営業しているかは微妙だったけれど、停めれらた車も果たして動くものなのか。市内局番が4桁化されたのは、もう1991年のことだ。

16時20分 練馬区高野台一丁目
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桜が散り残る石神井川を渡って、練馬高野台駅南口に到着する。ここは池袋線の高架駅としてはいち早く、1994年に開業した。駅舎の派手な装飾は、完全に「時代の気分」を感じる。駅名板の交換に伴い、銀色のオブジェだけは撤去されたよう。

16時22分 練馬区高野台一丁目
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立派な駅前広場を持つ北口周辺は、開業までは畑だった。ゼロからの新駅設置のため、駅前整備に苦心する他の高架駅とは事情が異なる。

東日本大震災後の計画停電の際は、次の石神井公園までの高架複々線化が未着手だったため、一時期この駅が終端駅として機能した。そのため線路上を歩いて西に向かおうとする人が現れ、民度の低さが明らかになったのはお恥ずかしい限り。

16時27分 練馬区高野台三丁目

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笹目通りを渡って順天堂大学病院を過ぎると、線路は一旦道路の高さ付近まで下降し、再度反転し上昇を始める。このあたりが2010年代まで高架区間の終端だったところで、擁壁の新旧が見た目にもわかりやすい。

複々線の中線が留置線として使用され、朝は練馬高野台始発の列車も存在した。

16時32分 練馬区石神井町一丁目
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石神井公園までの高架複々線化完了から8年、今では地平時代の面影は驚くほど徹底的になくなっている。農地だらけだと思っていた風景に住宅が立ち並び、かつてと同じアングルを探しても場所の特定が困難なほど。

16時37分 練馬区石神井町三丁目
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駅手前の踏切は、下りホームが一杯まであるうえ道路が斜めに入っていたため、停車位置によっては電車の頭が踏切内にはみ出すことがあった。間近から見る(触れられる)電車の姿には迫力があったけれど、そんな記憶もどこへやらだ。

16時38分 練馬区石神井町三丁目
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石神井公園駅は南北の駅前広場が一体化され、堂々たるターミナル駅の趣になった。南口は平屋の駅舎に代わって高層ビルが建ち、周囲の古いビル群も更地化が進んでいる。新たな再開発も具体化し、まだまだきな臭い感じは続きそうだ。

16時41分 練馬区石神井町二丁目
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1978年に開設された北口は、こ線橋の下に簡易な駅舎があるだけだった。北口の再開発は一足早く2002年に完了しており、ようやく駅がそれに追いついたとも言える。少しずつ線路やホームを動かしながらの、5年を超える大工事だった。

16時42分 練馬区石神井町二丁目

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石神井コウペン駅?(笑 3月下旬までのキャンペーンが、好評につき一年延長されたらしい。これはかわいい、かわいすぎる(笑 ラッピング電車も時々見かけるけれど、それをカメラに収めるタイミングは来るのか!?

16時43分 練馬区石神井町四丁目

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北側の高架沿いには富士街道まで歩道が整備され、真っすぐ抜けられるようになった。小ぢんまりとした西口は、その途中に2013年に開設された。

17時0分 練馬区東大泉一丁目
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富士街道を渡って大泉学園方面は、2015年の高架化に伴う側道整備で、ずいぶん歩きやすくなった。線路と道路が斜めに交差する危ない踏切も全て消滅し、同じ路線とは思えないほど風景が激変している。

都営住宅の南側にある歩道はかつて線路沿いだったもので、側道ができた今もちょっと不自然な形で名残をとどめている。

17時8分 練馬区東大泉一丁目

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桜台の手前から続いた高架線路はようやく地表に降りて、大泉学園駅を前に久しぶりの踏切が現れる。池袋線の連立は当初石神井公園までで、その後に大泉学園まで延伸された経緯がある。改良後の状況を見ると、それは英断だったと思う。

17時12分 練馬区東大泉五丁目
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見慣れた風景に戻るとやっぱりほっとするなぁ(笑

大泉学園駅は、箱根土地会社が手掛ける学園都市の玄関口として、1924年に開設された。南口は簡易な出入口のみだったが、1983年の橋上駅舎化、その後2002年の再開発に伴うペデとの接続を経て、現在の姿になっている。

17時16分 練馬区東大泉一丁目
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かつては洋館風の駅舎を擁していた北口は、2015年に隣接したエリアの再開発が行われ、こちらもペデと接続する運びとなった。ただ駅前は相変わらず手狭で、北口ペデは南口と違い、点在する空間を生かす苦肉の策と言えるかもしれない。

橋脚に隠れるためか、駅名板が元あった場所から移設されているけれど、そのわりにこんなに目立たなくていいのだろうか(笑

17時18分 練馬区東大泉一丁目

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サクラチル…。右奥のビルには元々パルコが入っていたけれど、ゆめりあに食われる形で2010年に撤退、今はスーパーや100均に軌道修正している。そもそも需給がマッチしていなかったのと、あとはまぁ時代だろうな。

いい加減暗くなってきて、家まではたどり着けそうにない。

17時32分 練馬区南大泉五丁目

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北を走る都道に出て、それを西に保谷を目指す。道路は次第に線路に近づいて、白子川を渡るあたりで完全に並行する。このあたりは住所はまだ練馬区だけど、沿道には郊外型のファミレスやしまむら(笑)なんかも多く立地してくる。

3月の改正でNRAを駆逐した「LaView」、さすがに少しは見慣れたかな。

17時37分 練馬区南大泉五丁目

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道路が踏切を渡る直前にある、見落とすほどの路地を右手に入る。この13年の間に3年間ほど近くに住んだことがあって、そうでもなければわからないような道。畑の点在していたこのあたりも、気が付けば建売住宅ばかりに変わっていた。

17時47分 西東京市東町三丁目

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保谷駅の手前で踏切を渡ると、交差点で先ほどの都道に合流する。商店街の途中で区市境を越えると、ほどなく保谷駅南口の駅前広場に到着する。駅へのアクセス道路が致命的に貧弱なのは、同じく行政境を跨ぐ秋津駅と同じ構図なのか。

17時50分 西東京市東町三丁目
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再開発反対の家屋が残り、何ともきな臭かった13年前の南口。しかし2012年にようやく整備が完了し、小さいながらロータリーとペデが完備された。そんな駅ビルに入居する「エミオ保谷」だけど、従業員のコロナ感染で当分は休業らしい…。

コロナの足音が、なんだかすぐそばまで近づいたきたな。

17時52分 西東京市保谷四丁目
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畑の中に作った北口、駅前広場以外は相変わらず畑のままだ(笑 手狭な南口からは中央線方面をはじめ多くの路線バスが発着するのに、北口は西東京市コミュニティバス1路線という。このギャップはなかなか解消されそうにもない。

17時55分 西東京市保谷四丁目
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保谷の電留線はお留守。東横線直通に先駆け10両編成対応に線路を引き直し、その分規模はだいぶ縮小した。日曜日だからたくさん止まってると思ったけれど、今は「車両基地」としての機能より、ダイヤ乱れ時の冗長性が主なのかもしれない。

18時9分 西東京市東町二丁目
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次のひばりヶ丘との中間点あたりを交差する都市計画道路「調布保谷線」は、2014年度に開通を果たした。車道がアンダー、歩道がオーバーというのは無駄に思えなくもないけれど、地下歩道は治安の面から歓迎されないからね。

この付近名物の踏切渋滞は、この開通で相当解消されたらしい。

18時12分 西東京市栄町一丁目
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本日最大のトピックはもしかしてこれかな。

鉄道撮影スポットとして名高い保谷の大カーブ、その線路近くに戸建て住宅の基礎が立ち上がりつつあった。近い将来建物によって視界が遮られるのは間違いなく、名所としての保谷カーブはついにその歴史に幕を下ろすのか。

18時26分 西東京市住吉町三丁目

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ここからひばりヶ丘までの道はこれと言ったものがなく、過去にはだいぶ遠回りをした記憶がある。結果今日はグーグルマップに頼り切りなんだけれど、そういう面で13年前と大きく変わったところは、スマホが標準になったということだ。

2011年には、ひばりタワーというランドマークも完成した。

18時37分 西東京市住吉町三丁目
カーソルオンかタップで2007年9月16日の写真へ

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ひばりヶ丘駅南口に到着した時には、すっかり日は落ちて夜景に変わっていた。駅は西半分がシートに覆われ、何やら工事が進んでいる様子。北口再整備の関連かとは思うけど、それはまた次回のお話にしよう。

6時間歩いて、結局自宅には辿り着けなかった件。


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