西武沿線完歩の旅2020(2020/4/19~2021/2/23)その2

2020年4月26日 ひばりヶ丘小手指 13.0km(歩行距離 18.0km)

12時59分 西東京市ひばりが丘北三丁目
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何が驚いたかって、ひばりヶ丘駅北口の激変ぶり。ホーム上空に通路を這わせて、商店街の小さな階段に「木に竹を」接いでいた過去が嘘のよう。2018年に新駅舎が稼働し、翌年の路線バス乗り入れを経て、ずいぶんと現代的な佇まいとなった。

13時1分 西東京市ひばりが丘北三丁目

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駅前広場から少し入った商店街が、これが昔からの北口のイメージ。しかしそれも踏切までの僅かな区間で、整備に伴い北口商店街は散り散りとなった。

13時4分 西東京市ひばりが丘北四丁目

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踏切を渡って数100mは、線路に沿って道路が西へ伸びている。今日は日差しは最高なんだけど、春の嵐で風が強い! 線路沿いには個人商店が続いているけれど、一方で新しいマンションの建設が進んでいるのがこのエリアあるあるだと思う。

13時11分 東久留米市浅間町三丁目

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やがて道路は線路から離れ、水の都・東久留米に向け坂を下っていく。思えば池袋を出て、本格的な起伏は初めてかもしれない。最初に渡る川が落合側の支流、立野川で、市内に源流を持ち自由学園の構内を横切って小さな流れを作っている。

13時19分 東久留米市本町一丁目

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その先で落合川を渡って、川沿いの遊歩道を左に折れ西武線の橋梁をくぐる。線路のすぐ南側、落合川東岸を望むと、戦時中の航空工場への引き込み線「東久留米駅構外線」の遺構である橋台が、ツタの緑に紛れながら奇跡的に残っている。

13時26分 東久留米市本町一丁目
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構外線跡を右手に歩いていくと、間もなく東久留米駅西口に到着する。市の玄関口として1994年に完成した駅舎からは、練馬高野台と同じ「時代の空気」を感じる。三角屋根の市役所新庁舎の完成は1997年で、時期が悪く今でも批判の的になっている。

それにしても、年月の間にだいぶ汚れたなぁという。

13時31分 東久留米市本町一丁目
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全く富士山の望めない富士見テラスに登ってから、自由通路を東口へ。基本的に昇降装置だけの東口だけれど、装飾を変に凝っているのがやっぱりその時代っぽい。

13時34分 東久留米市本町一丁目
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橋上化まで唯一の出入口だった北口は、工事に伴い一旦撤去されたものの、東口からの連絡通路という形で再開された。手狭な駅周りはかつてのままで、バスターミナルが駅から離れてあるなど、ひばりヶ丘駅北口と同様の状況にあった。

13時39分 東久留米市東本町

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東久留米を出ると、線路沿いの道路は黒目川を渡って坂を上る。線路はここを緑色のガーダー橋で越えていくけれど、思えばこれが池袋を出て初めての鉄橋かもしれない。線路はその先で切通しに入り、道路はそこを迂回し住宅地に入っていく。

13時56分 新座市新堀二丁目

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野火止用水の流れを渡ると、ここで一旦埼玉県新座市に入る。その次の道路を左折した先の踏切が、百合アニメ「やがて君になる」の舞台となったところ。燈子先輩が侑の唇を突然奪ったのは、この踏切を青い電車が通過した瞬間だった(狭

14時1分 新座市新堀二丁目
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地図を頼りにぐるっと回り、清瀬駅北口へと続く線路沿いに出る。このあたりは複線のほか、長い保線用の線路が並行して敷かれている。戦後の一時期、東長崎付近から積まれた糞尿の最初の荷下ろし駅が清瀬で、その関係と思うけど確証がない。

遠方に見える赤錆びた歩道橋は、新座市が管理している新堀歩道橋。

14時4分 清瀬市松山一丁目
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清瀬駅手前の清瀬立体は、13年前は工事の真っ最中だった。その後2010年に完成、地下歩行者通路も整備されたものの、新堀歩道橋は予想に反し残置された。今ではドラマのロケや市議会のネタにされているらしい(笑

14時11分 清瀬市松山一丁目
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清瀬駅は1971年に橋上化され、その際に南口が開設された。池袋方の全駅が改修された今となっては、急で長い階段や狭い通路など施設の古さが目立つ。南口再整備の報が出たのは2015年だけど、未だ具体的な動きは聞こえてこない。

14時15分 清瀬市元町一丁目
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再開発完了から25年が経過した北口は、駅周辺でマンションラッシュが続いている。小金井街道にかけてのエリアも更地化が進んでいて、バラックのような商店も順次姿を消している。ここもまた、気づけば大きく変わっているのかもしれない。

14時21分 清瀬市松山二丁目

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大踏切を渡って、線路の南側の道をさらに歩いていく。清瀬駅の所沢方には中線の引き上げ線があって、伝統的に折り返し列車が設定されている。ただ最近は日中の列車が削減されたりと、主に朝ラッシュの時間帯を中心に稼働しているよう。

14時31分 清瀬市元町二丁目

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志木街道のアンダーパスをくぐって、線路の北側へ。地下道の壁には「清瀬10景」をはじめ清瀬市にちなんだ装飾が施され、だいぶ頑張っている印象を受ける(笑 整備から30年が経過した今、平成初期と言えども年月を感じさせる。

14時42分 清瀬市野塩三丁目

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この区間は畑と雑木林のある風景だったけれど、いつの間にか戸建て住宅ばかりになった。通っていた幼稚園近くの神社も、もっと鬱蒼とした「秘密基地」の雰囲気だった記憶があるんだけど、変わったのは果たして街なのか記憶なのか。

14時58分 東村山市秋津町五丁目
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空堀川を越え踏切を渡り、坂を上ると秋津駅南口に到着する。数十年の単位で再開発が動かない南口周辺だけど、待ちくたびれたように新しいマンションが立ち上がってきている。一方で武蔵野線との乗り換え問題は手付かずのままだ。

商店街のやよい軒で大休止。今回は、ご飯ちゃんと食べるのがテーマなので(笑

15時55分 所沢市上安松
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清瀬方の踏切を回って、所沢市内に立地する北口へ。1990年に開設された北口は、駅前にコンビニが2軒あるのみで駅前感は皆無。ファミリーマートの半分は清瀬市内とか、それこそ東村山を含めた3市が入り組み周辺整備は本当に動かない。

15時59分 東村山市秋津町五丁目

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住宅団地を抜けるとすぐ、武蔵野線を跨ぐ「取って付けたような」陸橋に出る。武蔵野線整備が決定した1960年代に駅北側は一部宅地化されており、唯一のアクセスとしてこの道路の切り回しは苦労したんだろう。開業はその後、1973年のこと。

16時7分 東村山市秋津町五丁目

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踏切を渡って池袋線の南側に出ると、こちらも新秋津~所沢の連絡線を作った関係から、ところどころに苦労の跡が見える。秋津神社の地下をくぐって低地に顔を出した連絡線を、これも「取って付けたような」陸橋がS字を描いて越えている。

陸橋の上からは、右カーブを切って所沢へ向かう池袋線が見渡せる。

16時19分 所沢市上安松

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所沢市に入ったあたりは畑の多い未開発地で、道もわかりづらく13年前には迷子になった(笑 線路沿いに保存された雑木林を歩けるようになっているけれど、その入口も出口もわかりづらく、グーグルマップを頼りに慎重に道を選ぶ。

16時35分 所沢市くすのき台二丁目

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所沢陸橋の脇から入ると、しばらく線路の南側に沿って道が続いていく。このあたりは線路敷が広いからか、風景には幹線の趣がある。

近くの踏切脇には、松井村駅(所沢飛行場駅)跡地の小さな標柱が立っている。1938年開業、1945年休止の短命な駅で、現在の航空公園にあった陸軍学校へのアクセスとして、現新宿線の(旧)西武鉄道との対抗上設置されていたらしい。

16時44分 所沢市くすのき台一丁目

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それにしても13年前からいちばん大きな変化は、スマホで情報を見ながら歩いていることだよね。グーグルマップの教え(笑)に従い住宅地を抜けると、唐突に所沢駅へ通ずる巨大なゲートが現れる。

16時48分 所沢市くすのき台一丁目
カーソルオンかタップで2007年9月17日の写真へ

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所沢駅東口は、過去には機関区や貨物ヤードのあった裏口で、西武鉄道ビルが建った後でも開けた感じは全くしなかった。それが2018年の「グランエミオ」Ⅰ期開業で、脈々と続いてきた泥臭さが一気に払拭された感じがする。

16時53分 所沢市日吉町一丁目
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新宿線下りホーム脇に平屋の駅舎があるだけだった西口も、ペデに接続する橋上駅舎の供用で大きく姿を変えた。なおも2020年秋予定の「グランエミオ」Ⅱ開業に向け工事が進んでおり、その際には一旦廃止された南口も再開されるらしい。

16時57分 所沢市東住吉
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土壌汚染問題などで約20年放置されていた車両工場跡地も、ショッピングセンターやマンションとしていよいよ計画が動き出し、2021年以降順次開業していくことになった。旧施設は既に取り払われ、ライフラインの工事が始まっている。

駅からは直結ペデも整備される計画で、プロぺ通り一択だった人の流れが面的に広がれば、いまいちパッとしない所沢のイメージも変わるかもしれない。

17時0分 所沢市東住吉

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工場跡地を右手に大通りを南下すると、その先のガードを池袋線の電車が越えていく。交差点の右奥から斜めに入る小道を辿ると、90度向きを変え坂を下りてきた線路に斜めに突き当たる。

17時13分 所沢市南住吉

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ここから西所沢までは、線路沿いに続く道をだらだらと歩いていく。所沢駅の周囲は西口付近を除き1960年代までほとんどが農地で、住宅が密集した現在の風景からは想像もできない。宅地化を進めるにあたって、この道路が整備されたようだ。

コロナの影響でプロ野球も中止のため、西所沢の引き上げ線も静かなもの。

17時20分 所沢市星の宮二丁目

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線路越しに南側を眺めると、意外と起伏が激しいことに気づく。このあたりは狭山丘陵を柳瀬川が削り込んだ谷戸地形で、緑の丘はいつからか「トトロの森」と呼ばれるようになった。線路は起伏を避け、台地の南縁付近を走っている。

17時26分 所沢市西所沢一丁目
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踏切脇の「ちょい飲み屋街」と突破して、狭い通路を抜けると西所沢駅に到着する。この駅は武蔵野鉄道開業当時の「小手指」駅で、1970年に現在の小手指駅が開業するまで、西所沢行きの電車が運行されていた。

改札並びの商店がシャッターを下ろしているのは、リニューアルのためとのこと。

17時27分 所沢市西所沢一丁目
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西所沢を出ると線路沿いの道は消え、東川に向かって坂道を下る。通り沿いには昭和のままの飲食店が軒を連ねているけれど、ここもコロナの影響で臨時休業とのこと。実は、もう廃業してるかなという気持ち半分で訪れたんだけど(笑

17時36分 所沢市上新井五丁目
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線路は東川周辺の低地を築堤で越え、再び台地上に戻る。道路が一瞬だけ線路と並行するものの、それ以外は茶畑が広がる住宅地の中に淡々と続いていく。今日は途中で曇ったこともあって、日暮れとともにだいぶ暗くなってきた。

17時48分 所沢市上新井三丁目

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小手指までは運行本数の多い区間で、ひっきりなしに電車が行き交う。シルバーメタリック塗装のLaViewが、赤く染まった日差しを全身に反射し駆け抜けていく。稼ぎ時の大型連休に特急間引きとは、全列車更新したばかりでやるせない。

今年の春は、教科書に載るレベルの「失われた春」だと思う。

18時1分 所沢市上新井三丁目

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小手指駅に付近では線路沿いに道路が復活するも、ところどころ迂回する区間が残る。そんな僅かな迂回の最中、踏切をコウペンちゃんが通過する間の悪さ(笑

18時8分 所沢市小手指町三丁目
カーソルオンかタップで2007年9月23日の写真へ

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すっかり日が無くなった小手指駅南口。この駅は、1966年に設置された「小手指ヶ原信号所」に端を発する。北側に小さな駅舎と構内踏切がある簡易な駅だったけれど、1979年に橋上駅舎が完成し、駅周辺の開発も急ピッチで進んだ。

駅前の薬局ではトイレットペーパーが店頭に並び、どうやら買いだめも一段落したみたい。ほんと非常時こそ、人間の本質が出てくるよなぁと。


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