西武沿線完歩の旅2020(2020/4/19~)その10

2020/9/27 西武新宿→上石神井 12.8km(歩行距離15.7km)

仕事でなかなか手が空かないけど、あと少し頑張る(>_<)

13時34分 新宿区歌舞伎町一丁目
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どうしても全体が写真に納まらなかった…(笑

西武新宿駅は、1952年に高田馬場から延伸された(旧)西武鉄道村山線の暫定ターミナルとして開業した。区画整理の進捗にあわせ新宿駅に乗り入れることとしていたが、それが実現しなかったのが「ローカル幹線」新宿線の始まりである。

13時41分 新宿区歌舞伎町一丁目
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そして新宿駅と反対向きの北口は、時間帯もあるのか閑散としたもの。中途半端な立地故、ターミナルとしての機能も多くは高田馬場に持って行かれている。

新宿駅乗り入れ断念の理由は十分なホーム長が確保できないからと言うけれど、それって先見の明がないというか何というか。地下急行線計画、新宿貨物駅跡地への進出等も模索されたものの、最後まで延伸が実現することはなかった。

13時46分 新宿区百人町一丁目
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西武新宿を出た線路沿いには木造住宅が密集していたものだけど、この9月に綺麗な街路が全線に渡り整備された。左手の線路をしばしば電車が通過していくものの、休日の昼間ということもあって意外なほど静かで落ち着いている。

13時51分 新宿区大久保三丁目

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現在の新宿線は西武新宿の次が高田馬場であるけれど、新宿駅乗り入れ計画の中では「西武大久保駅」が計画されていた。それもホームを作るだけではなく、山手貨物線と立体交差で線路の場所を入れ替える、大幅な線形変更を伴うものだった。

これは山手線の東側に計画されていた「戸山原貨物駅」との取り合いによるもので、新宿延伸はここでも紆余曲折に塗れたものだったのだ。

14時3分 新宿区高田馬場一丁目
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諏訪通りを渡ると道は雑踏に飲み込まれ、路地に入ると高田馬場駅戸山口に到着する。上りホームに直結された臨時口で、JRの戸山口とは連絡していない。下り列車利用にはいまいち不便ではあるけれど、それなりに人の出入りはあるみたい。

14時7分 新宿区高田馬場一丁目
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路地はすぐ駅前広場にぶつかり、その一角に3社線が連絡する高田馬場駅早稲田口がある。駅設備は西武、JRとも手狭で、当初1面2線だった構内は地下鉄東西線開業を控えた1963年に、上り専用ホームが追設され今の形となった。

以降、朝の両側開扉だとか臨時口の開設、南側こ線橋の拡大にホーム延長、ダイヤの工夫等で多くの旅客を捌いているものの、根本的な解決には至っていない。

14時10分 新宿区高田馬場二丁目
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高田馬場を出た新宿線は、急勾配と急カーブでJRをくぐる。13年前に行われていた神田川改修も終わり、新宿線の橋梁も最近ぽいものに架け替えられた。川沿いには親水テラスまで整備されたものの、都市河川らしくちょっと臭気がある。

それにしても曇り予報だったのに、結局今日も暑い。

14時15分 新宿区下落合二丁目
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新青梅街道の交差点に出て、ここからは進路を西に変える。

1927年開業当時の高田馬場仮駅は、翌年に現位置に移転するまで山手線をくぐる手前に置かれていた。ただ単純に現在のガード西側というわけではなくて、下落合駅の移転が絡んだ経緯もあり、なかなか正確な資料が見つからなかったりする。

14時21分 新宿区下落合一丁目
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新宿線の前身である川越鉄道は、甲武鉄道の子会社として都心は飯田町までの連絡運輸を行っていた。しかし甲武鉄道の国有化により川越鉄道単独で都心を目指すこととなり、建設されたのが当時村山線の高田馬場〜東村山間となる。

新青梅街道との平行区間はすぐに終わり、線路はマンション群に見下ろされながら妙正寺川と絡むように続いていく。

14時25分 新宿区下落合一丁目
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下落合駅北口は、そんな住宅街の中に「ぽつん」と立地している。相対式ホームの所沢方に駅舎を持ち、ホーム間の連絡は1982年まで構内踏切によっていた。新宿線はこの形式が多く、島式ホームの多い池袋線とは対照的なものだった。

14時26分 新宿区下落合一丁目
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南口は、ホームの幅に押し込められた小さな臨時口。

1926年開業当時のこの駅は現在より200mほど都心寄りにあって、高田馬場仮駅の開業が遅れたことで、一時期都心側のターミナルとなった。1928年に現位置に移転したのは高田馬場駅開業によるものではなく、地元の陳情の成果のようだ。

14時27分 新宿区上落合一丁目

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下落合を出るとしばらくは線路北側の道を歩き、それが途切れると妙正寺川を渡って小さな商店街に出る。すぐに山手通りの橋梁が姿を現し、中井駅はその下に立地している。新宿線は駅間が短く、このあたりは沿線風景にメリハリがない。

14時35分 新宿区中落合一丁目
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中井駅は2016年に地下改札口と自由通路が完成し、南側にしかなかった出入口に加え北口が開設された。新たに南口となった旧出入口も、駅舎が下げられたことで膜屋根の小さな空間が確保された。なお、北口の写真は取り忘れた模様(笑

14時48分 中野区上高田四丁目

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中井からは妙正寺川沿いを、線路から南に離れ歩いていく。頃合いを見計らって右折すると、その先にけっこうな勾配のある踏切が現れる。

中井から野方の手前までが地下化による連立事業が進んでいて、妙正寺川から台地へ駆け上がるこのあたりは、縦断線形的にも地下への起点に適している。工事の様子も見ておきたいけれど、線路沿いに歩けるような道がない。

14時56分 中野区上高田五丁目
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住宅地を歩いていくと間もなく、新井薬師前駅南口に到着する。シールドトンネルによる地下化なので駅間はおとなしいものの、駅部分の工事はやはり大規模だ。駅舎は辛うじて残っているものの、駅名板は大分仮囲いに浸食されている。

14時58分 中野区上高田五丁目
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北口の駅ビルは解体されて、仮出入口へと通路が続いていた。新井薬師前は曲線上にホームがあり、特に上りホームはこ線橋のブラインドとなっていたため、連立に合わせ線形を北へ振る改良が行われる。そのため、北側への影響が大きい。

14時59分 中野区松が丘一丁目
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新井薬師前からは、線路北側に続く道路を歩いていく。このあたりは蛇行する妙正寺川を串刺しするように線路が敷かれているため、西武線の都市部では珍しい掘割が見られる。電車を見下ろす構図は新鮮だけど、この風景も地下に潜る。

15時4分 中野区沼袋一丁目
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この先でまた妙正寺川を渡ると、遠く仮囲いに覆われた沼袋のホームが見えてくる。新宿線の線路は可能な限り、妙正寺川の旧河川敷(国有地)に敷設されており、ここでも右手から迫る台地を避け左へと急なカーブを描いている。

15時16分 中野区沼袋一丁目

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沼袋駅新宿方の北側にある、沼袋氷川神社へ。14世紀に創建されたというこの神社は、当然鉄道なんてない農村時代から変わらずここにあるわけで。鳥居の目の前を電車が通過する風景も、長い時の中では束の間の出来事かもしれない。

15時18分 中野区沼袋一丁目
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沼袋駅北口は、ホーム西端から中ほどに移設されていた。沼袋の工事では中線が暫定1線となり、下りホームを移設することで工事用の空間を確保している。ホーム間の連絡も地下通路に切り替えられ、旧駅は原形を留めていない。

15時22分 中野区沼袋一丁目
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2000年に新設されたばかりの南口も撤去され、こちらも仮駅舎が設置されている。沼袋は1955年に、西武初の追い越し駅として島式ホームの外に通過線が設置された。その後1983年に、対向式ホームの間に通過線を持つ現在の形に改められた。

15時23分 中野区沼袋一丁目
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地下化された暁には、島式ホーム2本の2面4線化される予定となっている。

連立事業の説明会質疑では、「東西線直通を考慮してホーム延伸すべきでは?」との質問に、事業側が「トンネルの空間的には余裕があるが、ホームの長さは8 両編成」という妄想膨らむ答弁を行っている(笑 一応、保険はかけているようだ。

15時31分 中野区野方四丁目

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沼袋から野方は緩いS字カーブの線形で、迷子にならずに歩くには地図が必要。地下線の出口となるこのあたりは、長い区間にわたり軌道が仮設となっている。ここから野方までは、線路の北側沿いに道が続いていく。

15時40分 中野区野方六丁目

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やがて野方駅の細いホームが現れ、環七通りのアンダーパスを越えると、野方駅北口に到着する。13年前は南側にだけ出入口のあったこの駅も、2010年に橋上駅舎が完成し自由通路が整備された。しかしここ北口の立地はいかにも苦しい。

15時41分 中野区野方五丁目
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踏切を渡って南口に回る。駅本屋のあった南口の機能は橋上駅舎に移されたため、旧駅舎のスペースは駅前広場に活用されている。池袋線各駅の改修が周辺街づくりと合わせて行われるのに対し、新宿線各駅の改良はいかにも小粒な印象だ。

15時44分 中野区若宮一丁目

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野方から都立家政へは、ところどころ途切れながらも線路沿いの道を歩いていく。駅出入口付近は商店が密集していても、1本入るとたちまち住宅地に変わる。でもすぐに次の駅が近づいて、また商店が増えてくる。そんな繰り返しの道中だ。

野方以西も、武蔵関手前まで連立化の計画がある。

15時52分 中野区鷺宮一丁目
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都立家政駅高田馬場延伸後に追設された、現存する中では唯一の駅。そのため前後の駅間が極端に短く、鷺ノ宮とはホーム間で300mほどしかない。1984年まで構内踏切が残っていた駅で、現在は西武では珍しい地下通路で連絡している。

15時53分 中野区若宮三丁目
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表口となる駅南口は、賑やかな商店街の中にある。

駅名の由来となった中野高等家政女学校は、都立鷺宮高校としてその歴史を受け継いでいる。一時は東鷺ノ宮への改称も検討されたようだけれど、地元の要望で据え置きになったとか。駅名が地域のアイデンティティになった好例だ。

16時1分 中野区鷺宮三丁目

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都立家政を出て線路北側の道を行くと、すぐ目の前に鷺ノ宮駅のホームが現れる。ただ駅舎が西端にあるため、辛うじて駅間としては500mある。

鷺ノ宮駅の北口階段下には、昔ながらの平屋の商店街「西武鷺ノ宮名店コーナー」が昭和の空気感を漂わせている。昔は西武線の各駅でこんな風景を見た記憶があるけれど、駅ナカの拡充とともにひっそりと姿を消しつつある。

16時1分 中野区鷺宮三丁目
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1979年に橋上駅化されるまでは、北口が唯一の出入口だった。下り待避線となっている中線は、1965年に折り返し用の線路を延長したもの。震災後の計画停電では一時全列車が鷺ノ宮止まりとなり、その際にはこの中線が折り返しに使われた。

16時3分 中野区若宮三丁目
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南口は妙正寺川に面して、川沿いに階段だけが口を開けている。駅前の人道橋で川を渡ると、駐輪場の頭越しに橋上駅舎がよく観察できる。急行停車駅としては貧相な駅前ではあるけれど、実際南側は川と崖に阻まれ、開発余地に乏しい。

 

16時28分 中野区白鷺二丁目

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崖上の鷺宮八幡神社に参拝後、台地を降りて妙正寺川沿いを西に向かう。

この区間は線路が旧河川敷を斜めに横切っていて、昔からの土地利用の関係だろう、線路沿いの道がぴたっと途絶えている。妙正寺川沿いの低地帯は1960年代ごろから、団地や公園として開発されてきた。

16時33分 中野区白鷺三丁目

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旧河川敷を抜けたこの踏切の左手には、1942年から1944年までの短期間、西鷺(ノ)宮駅が存在したとされる。あまりにも短命に終わった駅ながら、鷺宮変電所の脇には今でも纏まった空間と土盛りが残されている。

設置目的は北へ600mほど離れた現武蔵丘高校と、その校地にあった3校へのアクセスとされる。学校が早々に移転したため、都立家政と違い廃駅への道を辿った。

16時44分 杉並区下井草二丁目
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住宅地の中をジグザグに歩いていくと、下井草駅南口に到着する。新宿線としては珍しく、2007年に完成した今どきデザインの橋上駅舎を持つ。それ以前は南側にだけ出入口があって、上りホームとはホーム西端の跨線橋で連絡していた。

16時46分 杉並区井草一丁目
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沿線にはこのあたりから、広い敷地を持つ地主風の家がぽつぽつと現れてくる。駅西側で交差する旧早稲田通り沿いが古くからの市街地となっていて、通りから少し奥まった北口側は静かな住宅地となっている。

16時47分 杉並区下井草三丁目

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下井草を出ると、道路は線路の南側を「つかず離れず」並走する。

下井草~上井草間は戦前の農村だった時代に、旧井荻村が区画整理を終えたところで、この直線路もそのころ整備されたもの。市街化が進んでも良好な都市景観を保つことができたのは、当時の町長の先見の明と言えるものか。

16時57分 杉並区井草三丁目
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道路の先に環八通りの陸橋が見えると、その脇に小さな井荻駅北口が現れる。

北口は1999年に開設されたもので、当時橋上化という手法は取られなかった。跨線橋が北口からだと使いにくいホーム中ほどにあるため、駅前にある環八通りの地下歩道がその代替としての機能を果たしている。

16時58分 杉並区下井草五丁目
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改築前の現南口にあった駅前広場は、道路拡幅と新駅舎に踏まれ消滅してしまった。井荻駅の改良は環八通りとの交差方式の兼ね合いからか遅れに遅れ、1998年に現在の配線となる直前の1997年まで構内踏切が使用されていた。

17時4分 杉並区上井草一丁目

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井荻を出ると、またデジャヴのような直線路が続く。ただし途中で妙正寺川の最上流部を2度横断するため、それなりに起伏があるのがわかる。沿道は中低層の住宅地で、次の駅が近づくとまたぽつぽつと商店が増えてくる。

17時11分 杉並区上井草三丁目
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上井草駅南口は、1987年に建替えられた三角屋根の駅舎で、ちょっと国分寺線テイストがある。石張りのホームに木造の外壁、6両分しかない上屋などレトロ感溢れる駅だけれど、計画中の連立事業で高架化され、1面2線に集約される予定だ。

17時13分 杉並区上井草三丁目
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上井草駅北口は、踏切脇に建てられた簡易な駅舎。ホーム間の連絡通路がないため、特に朝は踏切の遮断で乗り遅れる人もいるんじゃなかろうか。13年前、商店街にはためいていたケロロのフラッグは、2020東京大会のものに変わっている。

17時16分 杉並区上井草三丁目
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駅の北側には地主と思わる緑に覆われた邸宅があり、そのためか駅裏の通りはひっそりとしている。西側の踏切に回り込むと上り電車がやってきたところで、踏切に飛び出したように停まるこの駅の余裕のなさが観察できる。

たぶん西武線で最も停車位置が厳しい駅であり、現状の新宿線が様々な問題を抱えているんだということがわかる。

17時19分 練馬区石神井四丁目
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線路の北を走る千川通りに出ると、少しほっとするような郊外の風景が広がる。千川通りの下には千川上水が暗渠で流れているけれど、踏切手前の交差部で一瞬だけ顔を出し、束の間の水面の様子を窺うことができる。

17時29分 練馬区石神井一丁目
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踏切を渡って右折すると間もなく、上石神井車両基地が広がってくる。所属車両はないものの都心方面の電車を回す役割を持ち、保谷と比べても規模はそこそこ大きい。連立事業の暁には、この車両基地も高架化されるらしい。

17時32分 練馬区石神井一丁目
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細い路地で車両基地を回り込むと、上石神井駅南口に到着する。かつて南口にあったバスロータリーは、1965年の橋上駅舎化にあわせ北側に機能を移された。それでも駅周りの道路には歩道もなく、踏切を挟んで車と人が錯綜している。

車両基地が高架化されれば空間に余裕もできるだろうけど、それまで何十年待てばいいんだかね。

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