西武沿線完歩の旅2020(2020/4/19~)その8

2020年5月30日 国分寺→西所沢 16.2km(歩行距離 19.9km)

13時40分 国分寺市本町三丁目
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多摩湖線国分寺駅は、JRや国分寺線とは隔絶された北西の街中にある。1990年まではこの道路を踏切で渡った左手の、JRの掘割との限られたスペースにホームがあった。そのため、17mの旧型車3両編成が、最後まで限定運用されていた。

旧線跡は永らく残されていたけれど、今やすっかり再開発ビルの下敷きに。

13時46分 国分寺市本町四丁目

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多摩湖線ホームのある一角をぐるっと回って北側に出る。すると風景は駅近とは思えない住宅地に変わり、縁石一つ挟んで線路と道路が並行する様は江ノ電のようでもある。最後まで「赤電」が走った線路を、赤電の復刻塗装が駆けていく。

14時1分 小平市上水本町五丁目
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右手に緩やかにカーブすると本町信号場跡があって、複線用の架線柱や機器ボックス、そして剥がされた線路の跡まではっきりと残る。2013年まで朝ラッシュ時にはこの設備を使って、一橋学園までの区間列車が運行されていた。

2012年には、客用扉を間違えて開けちゃう事故なんていうのもあった。

14時16分 小平市学園西町一丁目

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桜橋で玉川上水を渡って北へ向かうと、一橋学園南側の商店街に、いかにも中途半端なロータリーが現れる。これが1966年に統合廃止された旧一橋大学駅の名残りで、駅前通りは真っすぐに、大学へと伸びている。

国分寺〜一橋学園間にはこのほか、戦争末期まで東国分寺、桜堤の二つの駅が営業されていた。バス並みの駅間隔で、単車が往復するような路線だった。

14時19分 小平市学園西町二丁目
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一橋学園駅は、1966年に一橋大学駅と小平学園駅を統合する形で誕生した。それぞれ代替として南口と北口が設置されていて、書類上は一橋大学駅の移転とされ南口が駅本屋となっている。まぁ京急新馬場駅みたいなものかな。

バスは駅前の通り上に発着するものの、地元で「南口ロータリー」と言えば先ほどのものを指すらしい。

14時22分 小平市学園東町一丁目
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旧小平学園駅の代替となる北口は、小平学園都市の東西の軸となる学園中央通りに接している。駅舎の正面にはごくごく小さいながらも噴水のある公園があって、邸宅地らしい雰囲気を辛うじて漂わせている。

14時25分 小平市学園西町二丁目

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旧小平学園駅は学園中央通りを挟んだすぐ北側にあって、植栽のある小さな三角形の駅前広場を持っていた。跡地は今も三角形のまま「小平センタービル」の敷地となり、駅の遺構は残っていない。

ただ、この周辺だけ区画された街並みに、学園都市としての痕跡が窺える。

14時28分 小平市学園西町三丁目
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一橋学園駅から北へ300mほどの地点には、6年間だけ営業した旧厚生村駅があった。この「厚生村」とは、学園都市一帯を「国分寺厚生村」と呼んでいたことに由来するらしい。小平学園駅を中心に、分譲地の北と南に駅が置かれていた。

青梅街道駅に近づくと、線路の東側には市役所をはじめとした公共施設が並ぶ。

14時37分 小平市小川町二丁目
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ここの写真だけ、1989年との比較にしていたりする。

青梅街道の踏切脇にある青梅街道駅は、ごくごく小さな駅舎を持つ1面1線の停留所。1928年の開業当時に開設された駅で、同じく街道沿いの桜堤、学園都市の玄関口である小平学園と、当初設置の中間駅にはそれなりに意味があった。

14時46分 小平市小川東町五丁目
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線路沿いの道は青梅街道をで途切れ、そこからは少しだけ離れて並走する。今日は赤い電車3本と、青い電車1本が運用に入っている様子。多摩川線と並ぶ「塗装見本市」だけど、そろそろ普通の黄色い電車が見たくなった(笑

戦後まで畑ばかりだった沿線も、こんな風景は殆ど見られなくなった。

14時52分 小平市小川東町四丁目

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開業当時の萩山駅は現在より300mほど国分寺方にあり、線路は右に曲がって終点の本小平を目指していた。その後1930年に多摩湖方面への路線開業に伴いデルタ線が形成され、拝島線開業前の1958年に駅を移転、現在の配置となっている。

近年までデルタ線内にあった引上げ線は、全て撤去されている。

14時56分 東村山市萩山町二丁目
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萩山駅は2009年に改築され、エレベータの設置とともに手の込んだメルヘン調に進化を遂げた(笑 駅はその経緯から2路線が交差し3方向が急曲線のため、上りホームの途中に多摩湖線用の渡り線があるなど、配線はいかにも苦しい。

駅直結の歩道橋はもともと錆びてボロボロだったけど、2018年についに通行止めになった。ネットが張ってあるけど、それで何とかなる状態でもなさそう(笑

15時2分 東村山市萩山町三丁目
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駅西側の踏切から、八坂方面を望む。多摩湖線の萩山以北は日中20分間隔の運転になるため、その間は1編成が萩山の電留線で休んでいる。拝島線を走る長大編成の列車を横目に、右手奥では4両編成の黄色い電車が夕方を待っていた。

駅の北側すぐに多摩湖自転車歩行者道が走っていて、ここから武蔵大和の手前まで、線路と並行して真っすぐ歩いて行くことになる。

15時12分 東村山市栄町三丁目
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次の八坂駅までは10分程度の道のり。この区間が短いのは、開業からしばらくした1942年に、陸軍施設への輸送を目的として開設された経緯による。そのため多摩湖線は、戦争末期でも不要不急線とされることはなかった。

15時15分 東村山市栄町三丁目
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府中街道を渡ってさらに行くと国分寺線を踏切があり、その左手で多摩湖線がオーバークロスしている。かつてのライバル関係の象徴とされているけれど、単に八坂駅設置の経緯や需要の問題も大きいと思う。

15時25分 東村山市美住町一丁目
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中央公園沿いにある、回田信号場という名の長い直線区間。以前は武蔵大和駅に交換設備があったものの、片側が2両編成対応など制約が大きかったことから、多摩湖駅(西武遊園地駅)の2線化とあわせ1963年に開設された。

線路と左手の緑道との間にある細長い緑地は国有地で、陸軍時代から国有施設が立地していた歴史がこんなところに残っている。

15時39分 東大和市清水二丁目

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とは言え、この直線区間の退屈なこと(笑 郊外に出るにつれ人通りは落ち着いてくるものの、ジョギングや散歩の定番コースとして自粛期間中はかえって人が多いのかも。やがて3km続いた直線から、根負けした線路が右へ逸れていく。

15時43分 東大和市清水二丁目
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階段を下りて線路をくぐると、武蔵大和駅西の交差点に出る。自転車道はこの先多摩湖の南岸を目指し、北岸を目指す線路とは袂を分かつことになる。交差点を右折するとすぐ緑色のガードがあって、その左手が武蔵大和駅である。

15時46分 東村山市廻田町三丁目
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築堤上にある武蔵大和駅は長い階段と桜並木が特徴で、バリアフリー化に相反する課題を抱えていた。結果、右手から旧駅舎への階段、新駅舎への階段、エレベータ棟と並べられ、エレベータの通路は桜並木を上空で巧みに避けている。

15時48分 東村山市廻田町三丁目
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自動改札の向こうに赤電のある風景。武蔵大和は、多摩湖方面への延伸開業時の終点駅で、村山貯水池(仮)駅として先ほどのガードを渡る手前にあった。1936年に新たに村山貯水池駅を設置し延伸した際に、現駅名に改められている。

多摩湖狭山湖エリアの駅名の変遷は、本当にわけがわからない。

15時58分 東村山市多摩湖町二丁目

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終点への一駅は尾根越えの区間。しっかりアップダウンする道路に対し、線路は切通しでこれを越えている。2016年に土砂崩落で不通となり、西武が何かの仇のように切通しを固め始めた元凶がまさにここである(笑

ここまでくると住宅地の頭越しに、西武園ゆうえんちの大観覧車が見えてくる。

16時6分 東村山市多摩湖町二丁目
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終点の西武遊園地駅は当初、村山貯水池駅として現在より0.4km手前の築堤上にあった。その後狭山公園、多摩湖と二度の改称を経て、1961年に現在地に拡張移転され、さらに1979年に西武遊園地と三度目の改称を受けている。

16時6分 東村山市多摩湖町二丁目
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狭山丘陵につんのめる形で立地する西武遊園地駅。南口は、斜面の途中の空き地のような殺風景な場所にある。コンクリートを打っただけの駅前は広く、臨時口もあって多客対応可能になっているけれど、狭山公園方面の遠足需要だろうか。

小平や西武新宿方面への直通が主だったこの駅も、近年は国分寺への列車が増え、運転系統としては多摩湖鉄道時代に戻っている。

16時12分 東村山市多摩湖町二丁目
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南口から北口へは、ぐるっと斜面を登ってから、もう一度階段を降りることになる。バリアフリー対応困難なことが、遊園地の表口としてはネックだった。メルヘン感を出していたガラスの三角屋根は、いつの間にか撤去されている。

16時15分 所沢市山口
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そして階段の上には、コロナ対応で臨時休園中の西武園ゆうえんち。現在行われているリニューアル工事でこの中央口が閉鎖されることから、駅名も2021年に「多摩湖駅」へ戻されることが決まっている。

16時21分 所沢市山口

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階段で地上に出て、ここからは遊園地と多摩湖の間の都県境を行く。このあたりは無人地帯にも見えるけれど、北側はわりとすぐ住宅地があって、狭山線下山口駅もそれほど遠くない。わざわざ線路沿いに歩こうとさえ思わなければ。

16時25分 所沢市山口
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路側に出た小さな看板を目印にスロープを降りていくと、遊園地のエントランス広場の片隅に遊園地西駅がある。工事中の仮囲いに囲まれたこの駅が、2021年からは「西武園ゆうえんち」駅に改称され、晴れて遊園地の表玄関となる。

16時27分 所沢市山口

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とは言え草刈り作業の人を除き、人影の全くない遊園地西駅。なんだかかわいそうになったので、入場券を買ってあげたのがこの写真(笑 来年には消える駅名だけど、そのころにはこの字も消えちゃうだろう。

16時38分 所沢市山口

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道路に戻って少し歩くと、東中峯信号場の先にかつての「おとぎ列車」を越えていた橋の遺構がある。西武山口線は当初、遊園地の遊戯施設のひとつとして開業した。その後1952年に地方鉄道となり、遊園地前〜ユネスコ村間を結んでいた。

当時の線路はこの手前にあって、その線路敷を使って道路を拡張しているため、不自然な見た目になっている。

16時48分 所沢市山口

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緑の間から、ちらちらと顔を出す西武ドーム山口線はほぼレジャー輸送に特化した特殊な路線で、遊園地も野球もない現在は北海道のローカル線ほどの輸送量なんじゃないのだろうか。時が時なら不要不急線だ。

線路はドームの手前で敷地内に入ってしまい、場内閉鎖の今日は一般道での迂回を強いられる。13年前は霊園に迷い込んだりと、このあたり難易度が高い(笑

17時0分 東大和市多摩湖二丁目

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狭山スキー場の裏手から深い緑の中を歩いて行くと、多摩湖を二つに隔てる堤防際に出る。堤防上は二車線幅ギリギリの道路になっていて、交通量も多くけっこう怖いのだ。あと、どこから来てるのか人影もわりと多い。

西武球場前の前身として1929年に開業した村山公園駅(その後村山貯水池際、村山と改称)は、ここから100mほどのところまで足を延ばしていた。

17時5分 所沢市上山口

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多摩湖を背に坂を下ると、風景は緑の森から西武第二球場、そして駅からも見える「スタンドアローン」なマンションに変わる。まぁ見えないだけで左手奥には山口観音があって、西武とは無関係な門前らしき街並みもあったりするのだ。

17時9分 所沢市上山口
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西武ライオンズ球場の玄関口として、1979年に移転開業した西武球場前駅

多摩湖畔にあった駅は、戦時休止を経た1951年の営業再開にあたり狭山湖と改称され、現在の狭山スキー場の前まで短縮された。2度の移転と4度の改称を経た駅であり、さらに言うと路線名も山口線から狭山線へと改称されている。

17時10分 所沢市上山口

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プロ野球が開催できず閑散としたドーム前広場。新しいチケット売り場の屋上で虚勢を張るライオンも、まさかここまで放置されるとは思ってなかっただろう。駅に思ったよりは人影があるけれど、4面8線の設備が活用される機会もなく。

17時15分 所沢市上山口

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西武球場前を出ると、線路の近くに道はなく、ひたすら県道で丘を下っていく。この道を真っすぐ行けば西所沢なんだけど、それはさすがに手抜きというか…(笑 丘陵地帯はすぐに終わり、風景はありふれた郊外の住宅地に変わる。

17時23分 所沢市上山口

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高架を下ってきた線路と、県道が接するのはこの一点だけ。西武球場~西所沢は柳瀬川源流部の谷地形を斜めに横切る形になっていて、直線状に走る道路に対し、線路は緩いS字で台地の縁を辿って行く。

ローカル線ではあるけれど、多摩湖線と比べると何故か「幹線感」がある。

17時26分 所沢市上山口

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戦時中の営業休止までの期間、この空き地に上山口駅が存在した。休止時期が早かったため資料に乏しいけれど、今でもその規模の大きさが窺える。営業再開することなく下山口もろとも廃止され、後に下山口のみ復活開業を果たしている。

17時39分 所沢市山口

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柳瀬川を渡り道なりに右折して、相も変らぬ住宅地をだらだらと歩く。交差点脇にほんの一部だけ残る山口城址を過ぎると、スーパーの駐車場越しに見覚えのある大観覧車が。直線距離だと、武蔵大和から眺めるのと変わらない。

17時42分 所沢市山口
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古い商店が増えてきたのを合図に右折すると、住宅地に紛れるように下山口駅がある。戦時休止のまま1954年に廃止されたものの、宅地化に伴い1976年に再開業、1979年のライオンズ所沢移転を受け、1981年に交換設備が設置された。

再開業時のホームが5年で廃止されるとか無計画ぶりが際立つけれど、それだけ球団誘致が突発的だったんだろうなぁと思う。

17時55分 所沢市山口

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このエリアの命綱のような、一本道の県道。あと一駅の経路にしばし葛藤するも(笑、この交差を最後に県道とは別れ、裏道チャレンジしてみることに。橋は県道整備に伴い2009年に架け替えられたもので、まだ新築の匂いがする。

18時1分 所沢市山口

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県道を左へ折れ、畑混じりの住宅地を登っていく。突き当たりは掘割になった線路で、そこには鉄骨を組み合わせた味のある跨線橋があった。法面は明らかに最近固められたもので、西武鉄道「法面撲滅計画」の犠牲者だろう(笑

折角なので橋を渡って、しばらく掘割沿いに歩いて行く。

18時7分 所沢市山口

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多摩湖と呼ばれる村山貯水池、狭山湖と呼ばれる山口貯水池は、それぞれ1927年と1934年に完成した。近隣の鉄道事業者はこぞって路線を伸ばし、武蔵野鉄道も1929年、村山公園までの山口線(初代)を開業した。

1930年に村山貯水池(仮)駅を開業した多摩湖鉄道、同じく村山貯水池前を開業した旧西武鉄道と、駅名からして意識しまくりでカオスである(笑

18時14分 所沢市新井一丁目

f:id:monif_0321:20200628230805j:plainどうやら裏道チャレンジは成功したよう。西所沢に近づくにつれ町並みは活気づき、やがて駅西側の踏切に出た。手前が狭山線で、奥にもう一つ池袋線の踏切が見える。西所沢は出入口が北側にしかないので、踏切の利用者は多い。

18時14分 所沢市新井一丁目

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今日の終着地、西所沢駅。1979年の輸送力増強以前の西所沢は、左手のホームが池袋線の島式ホームになっていて、跨線橋で結ばれた狭山線用の島式ホームが並んで設置されていた。今の上り本線は、ホームのない側線だった。

時代とともに役割を変えてきた、多摩湖周辺の鉄路。その歴史を紐解くのは、なかなか面白いものだよね。


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