西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その18

2007/12/8 小平→拝島 14.3km(歩行距離18.5km)

11時5分 小平市美園町一丁目

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拝島線の路線形成は複雑な経緯を辿ってきており、ここ小平から次の萩山の間は、1928年に多摩湖鉄道(堤康次郎)が開業させた小平線がルーツとなっている。その後も細かな変更があり、玉川上水までとりあえず全通したのは1962年まで下らなければならない。

11時12分 東村山市萩山町一丁目

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小平駅を出ると、しばらくは小平霊園に向け線路北側の道を歩く。霊園手前の大踏切を左へ渡ると、拝島線もここから左カーブで新宿線と分かれて行くのが見える。しばらく住宅地の道路を歩いていくと、その先で多摩湖自転車と鋭角に交差する。

11時22分 東村山市萩山町二丁目

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自転車道は直線のまま踏切で線路を渡り、その先で公園風に整備された一角を抜ける。するとその左手に、自転車道に面するという特異な立地の萩山駅北口が現れる。

11時23分 東村山市萩山町二丁目

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このころの萩山駅バリアフリー化工事の最中で、駅前には仮囲いが設置されていた。萩山駅の生い立ちは複雑な拝島線の中でも特に複雑で、多摩湖鉄道時代から始まってその後移転や改修を重ね、それが現在の窮屈なホーム配置や配線に表れてしまっている。

11時26分 東村山市萩山町三丁目

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萩山から再び自転車道を少し歩くと、多摩湖線から拝島線が分岐するポイントに差しかかる。直進する多摩湖線のほうが立派で幹線に見えてしまうけど、これが「継ぎはぎ亜幹線」拝島線の悲しさ。ノロノロ運転の連続で、通勤で使っていたころいつもイライラさせられてた(笑

小川まではブリヂストン東京工場への専用線を活用し、1962年に開業した区間。線路はブリヂストンの敷地に挟まれて進むため、徒歩だと北からぐるっと回り込む必要がある。

11時36分 小平市小川東町三丁目

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団地の敷地内から、辛うじて線路を捉えた一枚(笑 奥に見える跨線橋ブリヂストンの敷地同士を結ぶもので、現在ではこのあたりが高架区間の始まりになっている。

11時47分 小平市小川東町一丁目

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2012年の立体化で除却された、府中街道の踏切。確かにドライバーにとってこの踏切は目障りだったけど、府中街道の渋滞の原因は実はここじゃなかったりする。

11時49分 小平市小川東町一丁目

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踏切から都営住宅の敷地に入るとすぐ、線路を跨ぐぼろぼろの歩道橋が現れる。このときはこんなものを放置しておいて大丈夫かと思ったものだけど、立体の事業化待ちだったんだね。

歩道橋で線路を渡って住宅地を南へ歩くと、間もなく小川駅東口のロータリーに到着する。

11時59分 小平市小川東町一丁目

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小川駅の周辺は、かつて9本の街道が集まる交通の要衝で、青梅街道の宿場町「小川宿」として栄えたところ。現在の小川駅は、ブリヂストンの工場からホームにまでゴムタイヤの匂いが漂ってくる、さしずめ「ブリヂストン城下町」といったところか。

12時4分 小平市小川西町五丁目

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跨線橋を渡り西口に出て、しばらくは線路と離れ西へと歩く。わりと近年整備したと思われる住宅地や団地の、緑の多い落ち着いた町並みが続く。頃合いを見て南へ進路を変え、小川を出て直角カーブで西へ向かってくるはずの線路を迎えに行く。

12時11分 小平市小川西町五丁目

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線路沿いの道は歩道まできれいに整備され、右手北側のエリアは宅地造成も進んでいる。一方、線路を挟んだ南側はまだまだ従前の農村の風景が残っている。そんな伸びやかな風景の中を、線路は続いている。

小川から玉川上水までの区間は、日興工業の専用線を譲り受け1950年に開業したもの。S字カーブの連続をくぐり抜けてきた電車は、この直線区間で鬱憤を晴らすかのように疾走する。

12時15分 小平市小川西町一丁目

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渾然一体とした北側の風景。小川駅から西に向かうに従い、住宅地と農地の比率は明らかに逆転する。しかし写真の農地も、現在では北側半分程度が戸建て住宅に変わっており、背景の野火止用水沿いの緑地帯を望むのはほぼ不可能になっている。

12時31分 小平市小川町一丁目

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多摩変電所を境に地形は下りに転じ、一方で線路は高架へと駆け上がる。青梅街道に下りて300mほど歩くと、青梅橋交差点の向こうが東大和市駅。この交差点を渡ると、行政上も東大和市の範囲に入る。

12時38分 小平市小川町一丁目

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東大和市駅は、青梅街道が野火止用水を渡る「青梅橋」に隣接していることから、1979年まで駅名は「青梅橋」を名乗っていた。野火止用水が暗渠化されたことで青梅橋は撤去され、当時の地名は交差点名にその名を残す程度となっている。

12時41分 東大和市桜が丘一丁目

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東大和市前後は、1980年とわりと早い時期に高架化された。駅前広場に隣接してBIGBOX東大和東大和スケートセンターが立地しているものの、場所が郊外なだけにどれだけ需要があるのだろう?

12時52分 東大和市桜が丘三丁目

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東大和市を出ると、暗渠化された野火止用水の水路敷を歩く。線路は一気に高架を駆け下り、ほぼ下りきったところで右にカーブを切るが、そのカーブの内側には1990年に開設された玉川上水車両基地が立地している。

12時58分 小平市中島町

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野火止用水を分水する小平監視所から上流の僅かな区間が、現在玉川上水が水道水として用いられている範囲。監視所から下流の武蔵野や世田谷のあたりは、1986年から清流復活事業で下水処理水が流されている。

上水ばたは遊歩道が整備され、しばらく歩くとその先に玉川上水駅の南口広場が現れる。

13時7分 立川市幸町六丁目

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玉川上水駅周辺は、1998年の多摩モノレール開業で大きく変貌を遂げた。駅西側の芋窪街道が立体化され、南口は玉川上水を跨ぐ形で駅前広場が整備された。西武線多摩モノレールの改札口が向かい合い、間に自由通路が通ることで東西南北にアクセスしている。それにしても、この構造物のカオスっぷりは…。

13時12分 東大和市桜が丘三丁目

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唯一「西武鉄道」と入った、玉川上水駅北口。玉川上水駅はもともと立川市に面した南側が正面で、北側は日立航空機立川工場のほか人口の少ない農耕、森林地帯だった。今では都営住宅やマンションも増えたが、公共的施設が多く駅前開発の余地はあまりない。

13時17分 東大和市桜が丘四丁目

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玉川上水を出ると終点の拝島まで、1968年に開業した新線区間となる。駅前広場からすぐ線路沿いを伝う道が出ているものの、土地勘があるわけもないので道を探しながら芋久保街道を北上してしまう…。結局佼成霊園、上水高、拓大一高、国立音大とぐるっと回って線路沿いに復帰する。

13時36分 立川市砂川町六丁目

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玉川上水を出ると線路は単線になるものの、線路敷は開業時から複線分確保してあるところが多い。まぁ当時一面の農地であったころから、二束三文で買い叩けたのだろう。地形は平坦で線形も良いため、このあたり電車はスピードを上げて通過していく。線路左手は、立川砂川浄水所の貯水タンク。

13時51分 立川市砂川町八丁目

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地形はこの先残堀川に向けた下り勾配となっているため、線路は築堤を上がって行く。盛土自体の幅は単線対応であるものの、コンクリートの橋台は複線分となっており、そのため橋台の背面が一部露出している。

13時52分 立川市上砂町五丁目

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武蔵砂川駅周辺は、開業以来10余年「スーパーマーケット不毛地帯」と呼ばれてきた。1999年にようやくマルエツが出店、その後199年にサンクスが開店し今に至る。サンクス前にはクリスマスの装飾が…。歩き始めて3か月、もうこんな時期になったんだねぇ。

13時54分 立川市上砂町五丁目

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武蔵砂川は、地元要望を受け1983年に新設された駅。1999年に閉鎖された日産村山工場の最寄駅で、以降開発の手はほとんど伸びずに、駅周辺は低利用地が広がっている。一方日産跡地の大部分は、2002年に宗教団体へと売却されている。

駅舎は築堤沿いに走る市道をダブルS字で外に振ることにより、道路の安全性を低下させながら設置スペースを無理やりに確保した感じ。要望駅らしく行政側が足元を見られたのかなぁと何となく思う。

13時56分 立川市上砂町四丁目

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駅出口は北側のみ設置されており、南側からは畑の中を通り、突き当たった右手のトンネルで築堤をくぐってのアクセスとなっている。

14時1分 立川市上砂町四丁目

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武蔵砂川を出た線路は複線に戻り、引き続き築堤上を走る。このあたりが築堤になっているのは、地形的な問題とほかに一番町あたりの南北道路との交差の関係と思われる。

14時3分 立川市上砂町五丁目

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ほどなくして残堀川を渡るものの、晴天続きのため全く水がない。そもそもこのあたりは水の吸い込みやすい地質で、空堀川なんかの名称に表われているとおり川に水がないことも少なくない。残堀川はこのすぐ南で玉川上水と立体交差し、またその先には滝が控えているなど特徴のある河川。

14時15分 立川市一番町二丁目

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築堤沿いの道は五日市街道に突き当たって途切れるため、ガードを南側にくぐり線路から少し離れた道を歩く。このあたりは畑を中心に風景が開けており、遠くからでも線路の位置がはっきりと確認できる。

14時25分 立川市西砂町一丁目

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五日市街道を越えると線路はすぐ地平に下りる。踏切の手前で道路とも通路ともつかない道を線路沿いに入ると、その先に西武立川駅跨線橋と特徴的な形をした送電塔が現れる。

14時27分 立川市西砂町一丁目

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その道路か通路の横はこんな荒れ地。駅前が畑だったりする例は少なくないけど、廃材置き場になってるところなんてここぐらいだろう(笑

14時28分 立川市西砂町一丁目

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西武立川は、この当時は西吾野に並ぶ秘境駅(笑)だった。農地の中に住宅が散見される北側はともかくとして、南側ははるか遠くまで広大な更地が広がっていた。これが開業当時「有望路線」と呼ばれた拝島線の、40年を経過した現実の光景。

14時30分 昭島市美堀町一丁目

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2005年に一旦、リクルートコスモスとの共同事業で高層マンションを中心とする開発計画が発表されたものの、地元の反対やコスモス側の経営破たんにより頓挫。その後コスモスイニシアほか3社により、2009年ごろから戸建住宅団地の整備が進んでいる。

その後他事業者も開発に参入、ようやくと言っていいだろうけど駅前にマンションや商業施設が立ち並ぶようになってきた。駅舎も2011年に橋上駅舎に改築されており、同時に北口が開設され駅前広場も整備されている。

14時43分 立川市西砂町二丁目

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西武立川を出ると、線路は再び単線に戻る。踏切を渡って北側に出ると、左にカーブする線路と西北西に向かう道路は次第に離れていく。周囲の風景は相変わらず農地だけれども、駅から少し離れるとわりと住宅団地が整備されていたりもする。

14時50分 昭島市美堀町三丁目

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一旦住宅が途切れると、その先は米軍横田基地の緩衝地帯として機能する、昭島市エコパークなど緑の多い地域となっている。ここが見事な紅葉で、歩行者も少ないため歩道がまるで黄葉の絨毯のようで…。枯葉舞う中を、さくさくと音を立てて歩いていく。

14時57分 昭島市美堀町四丁目

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やがて道路は玉川上水に突き当たり、そこを渡ると同じく玉川上水を越えてきた線路と踏切で交差する。ずっと上水の北側を走ってきた線路は、ここからJR拝島駅に接続すべくはじめて南側へと位置を変える。

15時1分 昭島市美堀町五丁目

 

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このあたりで線路は再び築堤に上がるが、ここも橋台は複線分で、手前方に桁がないためぽっかりと空に穴があいている。この状態が、開業から40年以上も続いているのだ。

右カーブでJR拝島駅へと寄り添っていく線路の、右手には西武拝島ハイツの団地群が立ち並び、左手は広大な拝島駅構内が広がってくる。拝島駅はJR3線が交差する交通の要衝だけれど、各線ともローカルで寂れた雰囲気が漂っている。西武はここから、奥多摩方面への連携も視野に入れていたようだが…。

15時9分 昭島市美堀町五丁目

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西武線とJR線を一気に渡るこの長大踏切は、延長130mを誇り「日本一長い踏切」としてメディアにもよく取り上げられていた。当然のことながら安全性には問題があり、拝島駅の構内自由通路が供用となった2009年に廃止されている。

15時12分 昭島市美堀町五丁目

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気がつくとこの英語標識のおかげで、道路脇の線路が拝島線から米軍の専用線に変わったことに気付く。この専用線は現役のもので、週に二度ほど燃料を積載したタンク車が、川崎から横田基地まで走ってくるらしい。

専用線西武線の交差は平面となっており、交差の手前の西武線上には脱線ポイントが設置されている。かつて西武立川折り返しの設定があったのは、米軍の輸送に支障を及ぼさないためだった。

15時13分 昭島市美堀町五丁目

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右カーブが終わりその先の踏切で専用線を渡ると、正面に終点拝島駅が現れる。専用線玉川上水とで三角形に仕切られた北口駅前は、何ともうらぶれた雰囲気だけど…。駅前広場の半分が福生市域だったりと、そのあたりもすっきりしない。

15時14分 昭島市美堀町五丁目

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このころの拝島駅は新駅舎が一部立ち上がり、引き続いて旧駅舎が撤去されたところだった。この後旧駅舎部分に自由通路が建設され、最終的に2010年に完工している。

15時16分 昭島市美堀町五丁目

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旧駅舎のころはJRとの中間改札がなかったため、乗り換えの際にパスネットの精算でわざわざ改札口に出たり、「ならでは」の不便もあった。そんな旧駅舎だけど、写真に一切残さなかったのが心残りだなぁ。

次回やっと最終回。


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