西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その17

2007/12/2 入曽→本川越 11.9km(歩行距離14.7km)

11時53分 狭山市南入曽

イメージ 1

入曽駅西口は、1996年に開設された新しいもの。旧市街となっている東口とは違い、西側は旧道沿いに区画された農地が延々と続いており、武蔵藤沢駅付近にまで達している。

11時55分 狭山市南入曽

イメージ 2

西口は駅前から茶畑が広がり、今や入曽駅名物にもなっている(笑 

入曽を出て緩い右カーブを曲がった線路は、不老川を渡ると再び直線となり北西に向かう。武蔵藤沢付近で池袋線をくぐった不老川も、このあたりまで下ると河川改修が行われ直線的な広々とした流れになっている。

11時54分 狭山市北入曽

イメージ 3

不老川を渡ったあたりから、周囲は住宅地ながら再び農地の密度が高まってくる。きれいな蒲鉾形に剪定されたお茶の木と、後方には屋敷林が残る。

12時11分 狭山市入間川

イメージ 4

線路は入間野小学校と中学校の間に入り込み、そのまま入間基地とコーセー狭山工場の敷地に挟まれ続くため、徒歩では迂回を余儀なくされる。こんな雑木林の道を歩き、その先で県道に抜ける。

12時14分 狭山市富士見二丁目

イメージ 5

コーセーの敷地が終わると、周囲の風景は住宅地へと変わる。ニシヤマ美容室向かいの畑も、現在では住宅地にミニ開発されている。このあたりから線路は入間川沿いの低地に下りるため、掘割を作りながら右にカーブを切っていく。

12時37分 狭山市入間川一丁目

イメージ 6

急な坂道を下りて踏切を渡り、雑然とした一角を抜けるとその先に、がらんとした狭山市駅西口が現れる。

12時38分 狭山市入間川一丁目

イメージ 7

狭山市はもともと、入間川の水資源が豊富な駅西側に集落が形成されていた。駅西側には旧来からの商店が軒を並べ、狭い駅前にバスや送迎の自家用車が錯綜していた。しかしついに再開発が動き出したようで、このことは閉店した店が目立つ寂しい雰囲気だった。

12時39分 狭山市祇園

イメージ 8

狭山市駅は旧川越鉄道全通当時からの歴史ある駅で、正面口となる西口駅舎は平屋建てで往年の幹線駅といった風格があった。その後2010年までに新駅舎と綺麗な駅前広場が整備されている。

12時42分 狭山市祇園

イメージ 9

東口には1979年開業の「西武狭山ステーションビル」があったが、こちらも再開発にあわせ取り壊され、橋上駅舎と一体となった新たな駅ビルが開業している。

12時57分 狭山市狭山

イメージ 10

狭山市駅の前後で、線路は大きな右にカーブで進路を北西から北東に変える。周辺の地盤は久保川に向け一旦下がるため、線路はこの区間築堤に上がる。東村山以北は汽車鉄道由来の路線だけあって、このあたりの縦断線形には余裕を感じる。

13時7分 狭山市狭山

イメージ 11

次の新狭山まで、線路西側は畑が多いものの基本的には住宅地が続く。歴史を感じさせる県道沿いの「鈴木理髪館」は、今日現在でも現役のようだ。狭山環状道路を越えると県道は1.5車線の頼りない道に変わり、やがて踏切を渡って線路の東側に移る。

13時18分 狭山市東三ツ木

イメージ 12

新狭山駅の手前から線路沿いの道が復活し、このあたりから周囲も農地から住宅地へと変わる。単調な道を真っ直ぐに歩いていくと、やがて新狭山駅北口に到着する。

13時24分 狭山市新狭山三丁目

イメージ 13

新狭山駅は、1960年代後半から始まった川越狭山工業団地の造成にあわせ、1964年に設置された。開発以前の周辺は一面の農地であり、その後道路を整備して市街地を形成したため駅周辺はきれいに区画されている。

13時25分 狭山市新狭山三丁目

イメージ 14

北口、南口とも住宅地が整備されているものの、10分も歩けば従前の農村が広がっている。なお、南側はやや離れて国道16号が平行しており、大型店舗はそちらにも多く立地している。

13時30分 狭山市新狭山一丁目

イメージ 15

新狭山から次の南大塚にかけて、線路両側はほぼ工業団地の風景が続く。開発当時日本一の規模だったこの工業団地の寄与もあり、狭山市の工業製品出荷額へ県下屈指という。

13時35分 狭山市新狭山一丁目

イメージ 16

昔の西武沿線ではよく見かけた、手書きの注意を促す看板。それにしても「柵をこわさないで下さい」って、具体的にどういう事象が起きているのか全く想像できないんだけど…(笑

13時52分 川越市南台三丁目

イメージ 17

途中で行政区は狭山市から川越市へと変わる。なおも歩くと工業団地の先に保線基地が姿を現し、さらにその前方に南大塚駅の橋上駅舎が見えてくる。

13時55分 川越市南台三丁目

イメージ 18

南大塚駅は、本川越方面の複線化が完成した1980年に橋上駅舎化された。1980年代は、当駅から分岐する安比奈線の復活計画が出たころでもあり、将来の構内拡張を見据えた施設配置になっているように思える。

13時57分 川越市南台三丁目

イメージ 19

南口は2001年にエレベータの設置を行っており、階段付近が更新され駅名もこのころの西武らしい丸ゴシックに変わっていた。

南口周辺は商業施設も少なく、ロータリーをマンションがぐるっと取り囲んでいる。ただ市街化されているのは駅前の本当にわずかな区画だけで、そこを抜けるとまだまだ農村の風景が残っている。

14時6分 川越市南大塚三丁目

イメージ 20

南大塚を出てしばらく北へ歩くと、住宅地の先で関越道川越ICのランプ部をくぐる。跨線橋の部分では仮足場を組んで、耐震補強工事が進められていた。

14時18分 川越市旭町三丁目

イメージ 21

ここから川越の市街地まで、線路沿いの道を淡々と北上する。関越道をくぐったあたりから風景は一旦農耕地帯へと変わるものの、終点が近づくにつれ再び住宅地へと変わっていく。そんな中を線路は、ひたすら真っ直ぐに走っていく。

14時36分 川越市旭町一丁目

イメージ 22

直線区間の終点にある脇田信号所で、複線で続いてきた線路は単線に絞られる。緩い左カーブの先にあるJR川越線東武東上線のガードが複線化のネックになっているが、現状の線路敷も複線分はないように見える。

14時40分 川越市脇田本町

イメージ 23

写真奥に川越線の緑色のガードが見える。線路左手の敷地はかつて日清紡川越工場の貨物側線とホームがあった跡で、長らく積出倉庫も残っていた。2012年に大規模な戸建住宅団地「川越ココロマチ」として開発され、現在風景は大きく変わっている。

ガードをくぐるとすぐ、本川越駅の駅ビルが姿を現す。

14時46分 川越市新富町二丁目

イメージ 24

駅南側から覗く、本川越駅のホーム。1990年に特急専用の番線をホーム真ん中に設置したことから、両側を挟むホームの先端部が異様に狭くなった。改修前は駅北側の道路に踏切があり、飯能駅と同様に機回しのための線路が残っていた。

14時50分 川越市新富町一丁目

イメージ 25

駅出入り口は、1991年に完成したステーションビルの中にある。現在は東側にしか出入り口はないが、西口開設と駅前広場整備で川越市駅との連絡を強化する計画が、一応川越市にはあるようだ。最近の状況を見ると、いつになるかはわからないけど。

14時50分 川越市新富町一丁目

イメージ 26

本川越は川越駅に比べ旧市街地に近く、一方で近年ではマンションの建設も進んでいる。駅前の埼玉りそな銀行は、1918年に「第八十五銀行」として建てられた近代建築。隣のイトーヨーカドーも、1967年開業で既存店では3番目に古かったりする。

なんだか最後の区間は、単調過ぎて感動がなかったのを覚えている(笑 師走に入り気温も落ち込んできて、つい早足になってるのもあるのかもしれないけど。


次の記事


この旅の記録