西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その1
清瀬市の北端、所沢市との境界付近で過ごした幼少期。線路から1キロは離れた我が家にも、夜になると西武電車の音が聞こえてきた。いつか全線足で辿ってみたいなぁと思いつつ、その好機が訪れたのが2007年の秋…。
もともと「歩くこと」に主眼があったため写真もガラケで大したものはないけれど、7年が経過して沿線の様子もだいぶ変わってきたこともあり、ここで一旦記録として残しておこうと思います。何回シリーズになることやら…。ていうか最後まで辿り着けるかどうか。
2007年9月2日 池袋→豊島園 7.0km(歩行距離10.3km)
14時50分 豊島区南池袋一丁目
スタートはここ、西武最大のターミナル池袋駅東口。2008年から2010年にかけ百貨店の改装が行われ、現在は大看板の標記など変更になっている。その昔は、確か駅入口も「西武池袋駅」だった憶えがある…。
14時55分 豊島区南池袋一丁目
明治通りから一歩入った奥には、人影もまばらな西武南口。降車ホーム直結で西武線ユーザーがリブロや無印に行くには便利だけど、逆に帰りは乗車ホームまでぐるっと回る必要があるため、降車ホームからの不正乗車の温床になっている(笑
池袋駅ホームの駅名標は、他の駅と違い黒字に白文字で描かれた独特のデザイン。子ども心には、何だか「都会の証」みたいでかっこよかったもの。
15時10分 豊島区目白二丁目
雑居ビルの立ち並ぶ裏道を歩くと、山手線をオーバーパスする陸橋にあたる。左手車窓に見えたヨネクラボクシングジムはいつの間にか廃業し、今では建物はそのままに「米倉荘」というアパートに変わっている。
ガードの北側にはかつて山手線に二つしかない踏切の一つが存在したが、2006年に豊島区の人道橋「はなのはし」が完成し、除却された。それと同時に、西武線の擁壁改修と橋梁の架け替えが行われている。
15時22分 豊島区目白三丁目
山手線を越えた線路はしばらく住宅地を身をくねらせながら進む。ここは珍しくてメディアにもよく取り上げられる、V字型をした踏切。戦前はこの付近に「上り屋敷駅」があり、今も草生した敷地にその名残がある。
15時34分 豊島区南長崎一丁目
椎名町駅のすぐ池袋方を渡る椎名橋は、このころ首都高中央環状新宿線の工事が花ざかり。山手通りの拡幅とともに2008年に竣工した。これにあわせ桁下の踏切も移設し、ホームの延伸が行われている。
15時37分 豊島区南長崎一丁目
2011年に橋上化された椎名町駅。それ以前の南口は木造の跨線橋に取ってつけたような改札口があるだけの、非常に簡素なものだった。
15時40分 豊島区長崎一丁目
北口には平屋建ての駅舎があった。駅前は商店街で雑然としていたが、これも駅前広場の整備が行われ現在では雰囲気は一変している。「椎名町」の地名は住居表示施行時に廃止されており、その原因は帝銀事件のマイナスイメージと言われている。
15時51分 豊島区南長崎二丁目
椎名町から、引き続き線路は住宅地の中を行くが、線路沿いに道路がないためフォローしにくい…。線路にほど近い街角に、かつての牧場の名残「安達牧場」があった。
明治年間、都心部にあった牧場が当時郊外だったこの地へと移転してきた。安達牧場は付近に3つあった牧場のうち椎名町駅に至近のものであり、長らく「牧場」のブランドを外さずにきたが、現在では普通の一戸建て住宅に建て変わっている。
16時4分 豊島区長崎五丁目
東長崎は、かつての池袋線でいちばん汚い…古びた駅だったと思う。駅前の狭さや密集っぷりも沿線随一で、まるで京急の駅(立会川あたり)みたいと思ったものだけど…(笑 北口には駅前広場が整備され、見違えるほどきれいになった。
16時7分 豊島区長崎五丁目
南口。このころは旧駅舎が撤去され、新駅舎の一部が供用されていた。
16時9分 豊島区長崎四丁目
江古田駅の待避線を移設すべく、構内の側線跡を利用してまさに拡張工事中。現下りホームを先行的に設置したあと、線路を南側に振って一時的に上下共用にしていた時代の風景。
16時18分 練馬区旭丘一丁目
池袋から江古田までの区間は、だいたい同じような住宅風景が続く。途中千川上水を跨ぐ区間だけ、線路は築堤となっている。千川上水自体は暗渠化されているが、豊島区と練馬区との境として今も地図上にくっきりとその姿を残す。
16時25分 練馬区旭丘一丁目
江古田駅の改良工事は東長崎駅の全面完成に引続いて、それまであった退避線を閉鎖する形で2008年に着手された。
江古田駅南口駅舎。この後、2010年に橋上駅舎が完成した。池袋線にはもう、こんな感じの駅は残ってないよね。ただ駅周囲は多少の跡地開発が行われただけで、雑然とした商店街の風景は相変わらず。
16時36分 練馬区旭丘一丁目
北口はいかにも、限られたスペースで苦労して設置した感じ。階段の上で、跨線橋が道路上空に張り出している。現在は退避線の廃止でスペースが捻出され、その分若干道路も広げられた。
16時36分 練馬区旭丘一丁目
16時46分 練馬区桜台一丁目
環七通り桜台陸橋をくぐるとここから高架区間。その南側に並行する、千川通りを西へと歩く。流路上に作った広い歩道と、蛇行した官民境界に水路の面影を残す。千川上水は水量も多く、かつては子どもの転落など痛ましい事故もあったそう。
歩道に立てられた説明板には、かつてのこの通りの名称「清戸道」が刻まれている。池袋線(武蔵野鉄道)開業前は江戸と練馬、清瀬方面とを結び、農産物や下肥を運搬する重要な交易ルートであったという。
16時55分 練馬区桜台一丁目
千川通りから商店街を右折すると、その奥に桜台駅が現れる。ほぼ商店街と一体化したように見える南口の風景。将来的にはここも一掃されて、きれいになるのだろう。駅は北口も同じ意匠。
地上からはうかがい知れないが、桜台の池袋方で西武有楽町線が合流しており、地下と高架との二重構造になっている。
16時58分 練馬区桜台一丁目
北口の風景。駅と道路との狭い敷地には、「たばこ」をはじめとした古びた商店が未だ立ち並ぶ…。これって、日照も何もあったものじゃない。
16時59分 練馬区桜台四丁目
駅前を抜けると、線路沿いに作られたきれいな側道に風景が変わる。この区間、南側は千川通りが線路に寄り沿ってくるところで、シーズンになると咲き誇る桜たちが電車からもよく見える。
17時8分 練馬区練馬一丁目
線路沿いから最後の街区をぐるっと回ると、練馬駅北口。かつては豊島線が分岐するだけの小駅だったけど、西武有楽町線、都営大江戸線の開通で都心へのアクセスが向上するとともに、このころには駅ナカも完成。ターミナル駅へと大きく変貌を遂げた。
17時10分 練馬区練馬一丁目
練馬駅北側の鐘紡工場跡地の再開発は、練馬文化センターと公園ができたあとしばらく地表面での動きはなかったが、2014年ついに8階建ての複合施設「ココネリ」がオープンした。かつての練馬駅とその周辺の様子も、もう記憶の中で相当小さくなった。
17時11分 練馬区練馬一丁目
練馬区役所への近道となる、練馬駅西口。もう完全に、ガラケの能力の限界が…(笑
17時15分 練馬区練馬一丁目
豊島線が高架から駆け下りてくるところ。下り切ったあたり、かつての地上線の跡と思しきスペースが見て取れる。大江戸線開業で廃線も囁かれていたけれど、各駅停車の折り返し場として体よく利用されている感じ。
線路は住宅地の中ずっと右にカーブを切って、すぐ終点豊島園に到着。
17時24分 練馬区練馬四丁目
ひっそりとした豊島園駅。かつては練馬北町方面へのバスターミナルになっており、巨大なピエロの看板が子供心に恐怖だった。今はユナイテッドシネマとしまえんの敷地に転用されている。ユナイテッドシネマもいつも空いているけど。
けっこう前になるけど、としまえん敷地の東京都への売却と公園整備が発表された。以降具体的な動きがないけれど、もう30年もすればこのあたりも大きく変わるんだろう。
17時26分 練馬区練馬四丁目
豊島園駅ホーム。敷地ギリギリのため8両対応でホームの先がとーっても狭い(笑 上屋も使用頻度の高い片方だけで、遊園地の流行らない今となってはローカル線の侘しささえ感じさせたりして…。
今日はこれにて清瀬に帰宅。来週はまた、練馬から歩こう。
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