西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その2

2007年9月9日 練馬→保谷 8.1km(歩行距離10.4km)

15時57分 練馬区練馬一丁目

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完全に出遅れた…(笑 夏空が広がる午後、今日は練馬駅中央口から。道を挟んで右手に南口があるけど、駅へは遠回りになってしまうので見た感じ利用率は低い。

駅前の千川通りを西へ。駅周辺の賑やかな一角を過ぎ目白通りに入ると、しばらくは高層マンションの林立する区画が続く。その先も集合住宅が目立つが、人通りは次第にまばらになってくる。

16時9分 練馬区中村北二丁目

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西武線の高架と目白通りの交差するところ。地上線時代は、線路の上を目白通りがダブルS字カーブを描いて乗り越えていた。2001年に練馬高野台までの高架化の仕上げとして、一晩で上下を入れ替えるいわゆる逆立体が行われた。

今もS字カーブの敷地だった、大きく膨らんだ植樹帯がその事実を物語っている。

16時17分 練馬区貫井一丁目

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高架北側の側道を歩き、南北に延びる商店街にぶつかったところが中村橋駅北口。中村橋の駅名は、南を流れる千川上水に架かる橋の名に由来する。駅のデザインには、三角屋根だった旧駅舎の意匠が引き継がれる。

16時18分 練馬区中村北四丁目

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南口。こちらのほうが、元の屋根形状に近いかな…。完成したばかりの南口広場には、旧駅で使用していたという井戸が展示されている。

16時21分 練馬区中村北四丁目

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中央線方面へのバス停は千川通り上にあり、駅からの動線となっている商店街は人通りが絶えない。

商店街は意外と新しいビルが多く、このときもちょうど千川通り交差点付近の古びた蕎麦屋が取り壊されていた。ここも今では高層マンションに更新され、その1階で蕎麦屋は今も営業を続けている。

16時27分 練馬区貫井一丁目

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中村橋からは、再び高架北の側道を歩く。次の富士見台までの距離は800メートルほどで、富士見台停車中の電車から顔を出すと中村橋駅が見えたような、小さいころの記憶が微かにある。

側道は途中で途切れるため、高架の南に移って時には区道、時にはアパートの敷地内と思われるところ(笑)を歩いて行く。

16時32分 練馬区貫井三丁目

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富士見台駅南口は2006年に改装され、膜屋根が張られその下はショッピングモールのようになっている。しかしこの駅前整備により、駅入口上にある富士山を模したステンドグラスが見えなくなった。

16時33分 練馬区貫井三丁目

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ステンドグラスの観賞は北口で…。北口は南口と比べ開発途上で、駅前は古い商店が雑然と立ち並ぶ。

富士見台からは高架北に再び現れた側道を歩く。池袋から切れ間なく続いてきた住宅地もこのあたりから緑が目につくようになり、地形の起伏も増し、谷底では千川上水から旧貫井川へ注いでいた水路跡を渡る。

16時43分 練馬区富士見台三丁目

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やがて側道は、環八通りに突き当たる。前年5月に開通した環八の最終区間だけど、本線の開通を優先したため側道はこの時点で整備途上だった。高架北の側道もここで途切れ、ここからは線路の南側に道を変える。

16時45分 練馬区南田中三丁目

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高架をくぐった先にある藤吉米店。車窓からも見えるこの古びた商店だけど、シャッターを下ろしたまま現存はしているよう。

16時48分 練馬区南田中三丁目

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練馬高野台駅の手前で、石神井川を薬師堂橋で越える。田無に端を発し王子の先で隅田川に注ぐこの川、都市河川らしい垂直護岸がずーっと続く。

16時49分 練馬区高野台一丁目

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練馬高野台駅南口。1994年に開業した西武線でいちばん新しい駅で、笹目通りとの平面交差解消のため先行して高架化された区間に誕生した。2001年から2012年までは所沢方に引上げ線を備え、長らく地下鉄方面からの折り返し駅ともなっていた。

16時51分 練馬区高野台一丁目

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駅北口。原色使いの駅舎デザインは、当時のセンスなんだろうなぁと思う(笑

16時54分 練馬区高野台三丁目

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北口から側道を歩く。高架はやがて擁壁となって、500メートルほどで地上に下りていた。2012年の石神井公園高架化にあわせて橋梁形式になると思いきや、意外にも擁壁はそのままで、一旦下って再び上る線形が残されている。

17時2分 練馬区石神井町一丁目

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高架を下りきった先。線路沿いの畑は事業用地だと思っていたけど、今でも変わらず単純に畑だった(笑

17時12分 練馬区石神井町三丁目

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石神井公園駅池袋方のカオスだった踏切道。停車位置は踏切ギリギリで、電車が踏切に頭を突っ込んだ状態で遮断機が開くのもしばしばだった。有楽町線の黄色い帯も今はない。

17時15分 練馬区石神井町二丁目

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北口は2002年に再開発が行われ、駅前広場と再開発ビルが整備された。しかし駅の整備は事業の遅れもあり、長らく木造の跨線橋の下に改札を設けただけの簡易な構造だった。

2012年に新駅舎が全面供用となり、ようやく周辺と釣り合うだけの駅風景となった。

17時20分 練馬区石神井町三丁目

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所沢方の踏切付近から。駅構内は広く、末期は交換用のレール置き場や保線車両の留置に使われていた。子どものころ電車から眺めた「コープとうきょう」は一足早く解体され、記録に残せなかったことが悔やまれる。

17時23分 練馬区石神井町三丁目

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駅南口は、落ち着いた住宅地の玄関にふさわしい上品な駅舎だった。殺風景なバスロータリーともよく似合っていたものだけど、ここも高架化の進展とともに閉鎖された。駅舎の裏には確か、ミスドの店舗があったよね。

子どものころ、石神井川の歯科医院に通っていた時期があって憶えてるけど、この駅前の雰囲気はずっと変わっていなかった。現在、駅前ではビルの取壊しなどが始まり、今後大々的に再開発される予定だそう。

17時51分 練馬区東大泉一丁目

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大泉学園駅池袋方までの高架化は用地取得の都合で事業化が遅れ、この時点では着手できていなかった。2013年に下り線が高架に切り替わり、今後2018年にかけて上り線高架化を行う予定とのこと。

ゆめりあ」を目印に、大泉学園を目指す。

17時58分 練馬区東大泉五丁目

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大泉学園駅南口。この駅は1983年に橋上化されたが、それまでは田園調布のような味のある洋館風の駅舎だった。大泉学園都市を開発した、箱根土地会社の寄贈という。歩行者デッキは2002年完成の「ゆめりあフェンテ」にあわせ整備された。

18時0分 練馬区東大泉一丁目

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駅北口は、今後の再開発が予定されているエリア。北西の区画には大泉学園パルコがあったが、2010年に撤退し、今はダイソーなどが入るテナントビルとなっている。

18時7分 練馬区東大泉四丁目

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大泉学園駅の前後から、住宅の間にぽつりぽつりと畑が増えてくる。ここでついに、初めてのビニールハウスを発見。そういえば、空もだいぶ広くなったような。

18時12分 練馬区南大泉五丁目

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白子川を泉橋で渡ると、そこからは練馬区南大泉。南大泉はもともと埼玉県だったものを、東京都に編入したところ。暮れなずむ空の下、道路はしばし線路と並行する。

18時26分 西東京市東町三丁目

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踏切を渡り商店街に入ると、途中から行政区域は西東京市に変わる。歩道のない狭い通りを慎重に進むと、その先が保谷駅南口。しっかしひどい写真…(笑

18時27分 西東京市東町三丁目

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南口は駅前広場整備が進められていたが、予定地には未だ反対派が店を開き、「理不尽な再開発は絶対反対です」などと実にきな臭い…。結局2012年に歩行者デッキが完成、駅前広場も整備され、バスが駅前まで乗り入れるようになった。

とっぷりと日が暮れたので、今日の探索はここまで。しかしこの2年後、この街に住むことになるとは夢にも思わなかったなぁ。


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