西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その15

2007/11/23 上井草→久米川 12.9km(歩行距離17.3km)

12時15分 杉並区上井草三丁目

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上りホームへのアクセスとなる上井草駅北口。踏切を渡る南北道路沿いに古びた商店が立ち並んでいるが、駅すぐ北側の街区はほぼ大きな敷地を持った民家一軒に占められている。そのため南口と比べると、相当に大人しい印象だ。

12時16分 杉並区井草五丁目

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そんな中でも、アニメ制作会社「サンライズ」本社が至近ということで、街頭にはケロロ軍曹や、時にガンダムのフラッグが下げられている。

12時18分 杉並区上井草三丁目

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駅周辺はいかにも手狭で、西側の踏切にはホームが食い込んだ状態で設置されている…。現状で真っ先に改良する必要がある駅だと思うんだけど、東伏見までの連立化という「夢」を見ているうちに、周囲から取り残されてしまったようにも見える。

この踏切を渡った先にある上井草スポーツセンターは、かつて西武鉄道が後援した「東京セネタース」の本拠地だった東京球場の跡地。

12時22分 練馬区石神井

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その次の踏切で、練馬駅付近からずっと南西へ直進してきた千川通りと交差する。この交差付近だけ一瞬千川上水は開渠となり、踏切の脇で別に線路をくぐっている。踏切を南に渡り千川通りを西へ歩くと、その先にあるのが上石神井車両基地

12時26分 練馬区石神井一丁目

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石神井車両基地は、川越鉄道が高田馬場に延伸した翌年の1928年に開設された歴史のある施設。都心に近く使い勝手がいいためか、留置線には多くの車両が憩っている。門から覗くと赤い鳥居があったり、どことなくレトロな雰囲気がある。

車両基地を過ぎるとすぐ、上石神井駅南口に到着する。

12時33分 練馬区石神井一丁目

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石神井は1965年と比較的早い時期に橋上駅舎化された。北口、南口とも階段下にごくわずかな駅前広場を持ち、歩行者のたまり空間程度の利用がされている。

12時35分 練馬区石神井二丁目

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北口と、その駅前広場?の全景を…。路線バスのターミナルは横断歩道を渡った先にあり、踏切前後の歩行者と自動車の動線の混乱ぶりは西武沿線随一ではなかろうか。しかし外環道整備との兼ね合いもあり、都市計画は遅々として進まない。

12時43分 練馬区石神井四丁目

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石神井周辺は密集した商店街やマンションとなっているが、駅を離れ5分も歩くと農地やグラウンドが点在する郊外の風景へと変化していく。しばらくは、線路の北側に沿って続く道を歩く。都心を抜けて、やっとほっとできた感じかなぁ。

12時45分 練馬区石神井四丁目

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線路沿いの道は途中で途切れ、そこからは線路をやや離れて住宅地を歩く。再び風景から畑がなくなり、商店街が広がりだすと武蔵関駅に到着する。

12時56分 練馬区関町北四丁目

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武蔵関は、東京23区内に存在する最西端の駅。北口は商店街の一角に、スーパーなどが入った駅ビルが設置されている。1ブロックほど北を流れる石神井川まではマンションや店舗が密集しているが、その先は整然と区画された住宅地となっている。

12時58分 練馬区関町北二丁目

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駅南口も直接道路に面しており、バスロータリーどころかバスベイもなく、路上ペイントのバス停から中央線方面へのバスが発着する。ただ北口ほどの商店街の中ではないので、思いのほか風景はすっきりしていたりする。

13時1分 練馬区関町北二丁目

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駅南側に平行する商店街の細い通りを抜けると、石神井川がこんな専用構造物で線路をくぐってくる。ここから先、しばらく線路と川と道路が仲良く並んで続く。

13時7分 練馬区関町北三丁目

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このあたりの川沿いは、春には西武沿線の桜の名所として名高い。しかし季節は晩秋、今日は落葉の始まった並木道を歩く。その並木道が突き当たったところに、区立武蔵関公園がある。

13時10分 練馬区関町北三丁目

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武蔵関公園は、かつて石神井川の水源のひとつだった富士見池を中心に整備された都立公園。今は水源はほぼ涸れている状態で、高台になっている東伏見方面からの湧水を引いている。規模さほどではないものの、紅葉を映す水面の風景はなかなか綺麗。

公園を通り過ぎると、行政区は練馬区から西東京市に変わる。線路沿いの道路から東伏見アイスアリーナ改めダイドードリンコアイスアリーナを左手に見て、間もなく東伏見駅に到着する。

13時16分 西東京市東伏見二丁目

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東伏見は1983年に新築された橋上駅舎を持つ。これまでの新宿線各駅と変わって、南北とも広々とした駅前広場が整備されている。駅周辺は区画された住宅地となっており、商店が少なく落ち着いた佇まい。

13時16分 西東京市東伏見二丁目

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駅を出て右手の線路脇には、駅名の由来となった東伏見稲荷神社の鳥居が立つ。1929年に京都の伏見稲荷大社から分霊を勧請したというこの神社は、駅から南西方向に10分ほど離れたところにある。

13時20分 西東京市富士町四丁目

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機能一辺倒で、飾りっけのない駅北口。駅前広場からして中層マンションや戸建て住宅に取り囲まれ、人いきれを感じさせない街ではあるけれど、閑静で住むにはいい環境だろう。

13時25分 西東京市東伏見一丁目

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東伏見を出ると、線路は緩い左カーブを切る。このあたりは地形が下っているため、線路はしばし築堤の上を走る。周囲は相変わらず住宅地ながらも、庭に緑を湛えたゆったりとした敷地が増えてくる。

写真右端に、東伏見稲荷へ向かう第二の鳥居が見える。

13時28分 西東京市東伏見一丁目

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2013年に開通した、都道東大泉田無線のアンダーパス付近。都市計画道路の整備とあわせ東伏見公園の一角となったこの土地も、このころはまだ広大な更地が広がるばかりだった。

公園予定地を過ぎて線路沿いの路地を歩き、バス通りを渡るとその先が西武柳沢駅となる。

13時33分 西東京市柳沢一丁目

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西武柳沢駅も、2005年にバリアフリー工事が完了し、特に階段付近は新築のようなきれいな駅になった。中央線方面へのバスが発着するバスターミナルを持つ南口側だけど、駅前広場は都営住宅に囲まれ、店舗も数えるほどで活気はない。

13時35分 西東京市保谷

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一方の北口は駅広用地の確保中で、古びた商店街から細い支道に入って行き止まりの、何とも不思議な空間に階段を下ろしている。

13時36分 西東京市保谷

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一歩視点を変えるとこんな駅前…。表通りも「富士街道」の表示にはじめてここが都道であることを認識するものの、道路は一方通行であり周囲の道路も軒並み狭い。

13時37分 西東京市保谷

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2001年に田無市保谷市が合併し、誕生した西東京市。街を歩くと、様々なところにその痕跡を残している。消火栓の蓋と、資源ゴミのカゴ。過去と現在が混在中。

13時39分 西東京市保谷

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まぁマンホールの蓋なんて、なかなか取り替えるものでもないからね。

13時41分 西東京市南町一丁目

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西武柳沢から、しばらく富士街道を西へ向かう。線路は築堤を駆け上がり、戦時中の中島飛行機専用線の跡をオーバークロスする。写真はその交差部分と言われているところだけど、いかんせん時期が短すぎてはっきりしないようだ。

富士街道はその先で青梅街道に突き当たるため、そこを左折し緑色のガードをくぐる。このあたりの高架は、1973年に西武鉄道ではいち早く立体化された区間という。

13時49分 西東京市南町一丁目

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築堤脇の細い砂利道を抜けると、線路からもよく見える広々とした児童広場に出る。ここは石神井川の貯留池となっており、豪雨などいざというときは水が入れられる。この何にもなさが、ちょっと球技やるにはいいんだよね。

児童公園を抜けると再びガードをくぐり、線路北側の坂道を上る。田無駅東側の踏切を渡り商店街を歩くと、入り組んだ街並みのごくごく狭い一角に田無駅南口が現れる。

13時57分 西東京市田無町四丁目

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駅南側は駅前広場の計画はあるものの、現状では古びた雑居ビル、木造アパート、屋敷林の残る旧農家等が混在した、かなり混迷したエリアとなっている。駅前にたまりスペースは一切なく、結果こんなアップの写真しか撮りようがない(笑

13時59分 西東京市田無町四丁目

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一方で北側は1996年までに再開発事業が完了、1999年に新駅舎が完成し、広々とした駅前広場にペデを擁する拠点駅の佇まいとなった。

13時59分 西東京市田無町四丁目

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北口は地平面とペデ上にそれぞれ接続されており、出口付近の風景は「超劇場版ケロロ軍曹」の映画にも「奥東京駅」という名前で登場していたりする(笑 駅周辺は北側を走る新青梅街道あたりまで、官公庁や商業施設が集積する市街地となっている。

14時8分 西東京市芝久保町二丁目

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田無市の人孔蓋、発見。こういうのを探して歩くのも一興かも。

田無を出ると、これまで細かく刻んできた駅間は一気に広がる。周囲は、畑やビニールハウスが点在する郊外の住宅地といった風情になる。途中公社田無南住宅付近まで、線路北側に沿った道を歩く。

14時20分 西東京市芝久保町二丁目

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低層棟が並ぶ、公社住宅。池袋から沿線を歩き始めて三か月、すっかり季節は変わり、木々は冬枯れの風情になってきた。

14時22分 西東京市芝久保町三丁目

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線路から少し離れた都道に出ると、その北側は畑や駐車場の開けた風景となる。北側遠方には1989年に完成した多目的電波塔、「スカイタワー西東京」が見え隠れする。

14時31分 小平市花小金井一丁目

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都道はやがて、ゆるやかにカーブする線路と踏切で交差する。その踏切の手前に花小金井駅へ通じる路地があるが、その風景は何となく昭和の時代のマーケットの香りを残す。

14時33分n小平市花小金井一丁目

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花小金井駅は、2000年に橋上駅舎が完成した。駅南北とも立派な駅前広場が整備され、池袋線と中央線とを結ぶバスの経過地となっており、駅勢圏が広く利用者も多い。

14時36分 小平市花小金井一丁目

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駅南口。駅名は南側を並行する玉川上水脇に咲く小金井桜に因んだもので、地名は駅名を取ってあとからつけられたもの。小平市内に「小金井」というのも面白い。駅周辺は市街地ながら空き地も多く、今まさにマンション建設が進んでいるところ。

14時36分 小平市花小金井南町一丁目

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花小金井からは多摩湖自転車道を歩く。沿道の住宅地はほどなくして途切れ、いよいよ本格的な農地が姿を現す。線路はやがて青梅街道と交差するが、ここは輸送のネックになっている有名なS字カーブ。

14時57分 小平市花小金井七丁目

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道路との交差が鋭角となるため、非常に無理をして45度まで角度を稼いでいるこの踏切。小川駅西側の踏切のほうがひどいと思うんだけど(笑、まぁ今後新宿線の高速化がさほど必要とも思えないので、たぶん永遠にこのままなんだろう。

踏切の西側には1954年まで東小平駅が存在しており、今も線路の南側に糞尿輸送用の貨物側線跡が敷地として残されている。

15時3分 小平市花小金井八丁目

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ここで多摩湖自転車道を離れ、青梅街道を東に渡る。ただ、これが大きな選択ミスで、行けども行けども小平方面へ向かう道がない…。周囲は農地に旧家屋が点在する畑作地帯で、線路に復帰するまで3倍ぐらい歩いてしまった。畑の向こう、昭和病院は何やら工事中。

15時20分 小平市美園町一丁目

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大沼町一丁目と書かれた交差点を左折し、線路を目指して真っ直ぐ南へ下る。小平駅東側の踏切は駅からだいぶ離れたところにあるが、これは踏切のすぐ傍まで折り返し線が延びているためで、これも一つの地域分断の課題と言えるだろう。

結局多摩湖自転車道に戻り、しばらく歩くと小平駅南口に到着する。

15時27分 小平市美園町一丁目

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小平駅は、拝島線が分岐する新宿線の運転上の主要駅。ただ周囲に西武他線の駅も多く、また北西側に小平霊園が広がっていることもあり、乗降客数はそれほど多くない。橋上駅舎化は1968年と早く、改築はされたものの階段付近は味もそっけもない。

15時29分 小平市美園町一丁目

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北口は小平霊園への玄関口となり、駅から霊園への参道沿いには石材屋が軒を連ねる。「小平駅」の控えめな表示より、石材屋の看板の方が目立つほど(笑

小平を出ると、線路はゆるやかな右カーブとなり、その北側に平行して参道が続く。

15時30分 小平市美園町二丁目

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小平霊園は、1948年に開園した小平、東村山、東久留米の3市にわたる都立霊園。緑豊かな園内の北東部は「柳窪」という地名が示しているように、東久留米を縦断する黒目川の源流域となっている。ただし、現在はほぼ枯れているよう。

15時41分 東村山市萩山町五丁目

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夕方の霊園は地域住民の憩いの場でもあり、散歩やランニングをする人とたびたびすれ違う。時折緑の壁の向こうを、黄色い電車が通過するのを見かける。

15時48分 東村山市萩山町五丁目

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霊園を西口に抜け、目の前の高さ1.9mのガードはくぐらず線路沿いの道に右折する。久米川駅までの僅かな距離は、団地や大規模なマンションが立ち並ぶ一角となっている。そのマンションの直下を、JR武蔵野線のトンネルが貫いている。

歩道橋から眺める、夕暮れの街並み。

15時55分 東村山市萩山町五丁目

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野火止用水に突き当たったところで踏切を渡ると、そこは久米川駅前の商店街。ほどなくして今日の終着地、久米川駅南口に到着する。

16時2分 東村山市栄町二丁目

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駅南口は、それほど大きくはないものの駅前広場があり、バス路線も何本か乗り入れて賑わいがある。南口から真っ直ぐ伸びる「ウイング通り」商店街を行けば、ものの10分も経たずに多摩湖線八坂駅に到達できる。

それにしてもこの駅、「北口、南口」と名乗ってはいるけど、地図を見た感じ「東口、西口」の方が近いんじゃないかと思うんだけど…?


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