西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その3

2007年9月16日 保谷清瀬 5.5km(歩行距離9.8km)

13時50分 西東京市保谷四丁目

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保谷駅北口は、2003年に駅前広場とあわせ整備された。駅前は西側を中心に商店が並んでいるが、東側や北方向は畑や駐車場などの未開発地がひろがっており、その町の薄さに「書き割り」と評されることもしばしば…(笑

14時1分 西東京市保谷五丁目

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駅の北西に広がる電留線群。開業時からの歴史あるこの施設も、2011年の駅改良工事にあわせ縮小され、奥に見える車庫もこのとき撤去されている。

14時11分 西東京市保谷五丁目

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電留線群をぐるっと回り、西側にある高架橋から。今日は秋晴れ…というかは、完全に「残暑お見舞い申し上げます」な状況…(笑

14時21分 西東京市泉町六丁目

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駅周辺の商店街から一歩奥へ入ったところ、都市計画道路調布保谷線は、用地取得がほぼ終わり工事を待っている状態だった。現在では奥の西武線をアンダーパスする工事が進んでおり、2014年度中の完成を見込んでいるそうな。

池袋線と立体交差する主要道路は大泉学園から清瀬までない状況だけど、これが抜ければ保谷駅あたりの慢性的な渋滞も何とかなるのかな。

14時43分 西東京市栄町一丁目

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保谷高校の北側、農地を抱き込むように描かれた保谷の大カーブ。宅地化が進み、農地もだいぶ縮小された気もするけれど、農村だった武蔵野の風情をよく残している。

保谷は明治年間に埼玉県から東京府編入された地域で、2001年に田無市と合併し「西東京市」になった。当時の都知事が「西なのか? 北東京じゃないのか?」とか何とか言っていたのを思い出す…(笑

14時43分 西東京市住吉町五丁目

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この踏切道の雰囲気なんて、数十年前から変わってないのではなかろうか。

このあたりの道路はかつての畦道そのまんま。屈曲や行き止まりが多く、線路をトレースすることがだんだん難しくなってくる。一地主単位のミニ開発が多く、今後もたぶん永久にこのままなんだろう。

14時49分 西東京市住吉町四丁目

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畑の脇に咲く、夏の名残り。

15時1分 西東京市住吉町三丁目

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又六石仏群の向かいにあった、保谷商店。今では完全に撤去され、ブロック塀に囲まれた民家の庭へと変わっている。都道からひばりヶ丘方面に向かう古道が分岐しているが、ここで進路を誤ったためえらい遠回りをする羽目に陥った…。

遠く見える西友を目標に線路を北へ南へと渡りながら、ようやくマンションの立ち並ぶ駅前通りに辿り着く。

15時19分 西東京市住吉町三丁目

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ひばりヶ丘駅南口は、2005年に曲線の屋根とガラス張りが印象的な明るい駅舎に生まれ変わった。周辺は集合住宅が多く、駅前広場の東側の都営住宅跡地には2009年に高層マンション「ひばりタワー」が完成した。

15時20分 西東京市ひばりが丘一丁目

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所沢方踏切の警戒標識は、だいぶ数が減ってきた「汽車」デザイン…。

15時22分 西東京市ひばりが丘北三丁目

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変わって北口は、雑然とした商店街に古びた階段が顔を出し…しかもよく見ると、最後の何段かは道路の中にはみ出していたりする。橋上駅舎へは上り線の上空に設けられた連絡通路を渡ってのアプローチになっている。

北口から5分も歩くと埼玉県新座市。いよいよ埼玉県が近づいてきた。

15時30分 東久留米市浅間町三丁目

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次の東久留米は、黒目川とその支流が作る谷に立地する。沿線は単調な住宅地だが、しばらくすると道路は谷底へと一気に駆け下りる。

15時45分 東久留米市本町一丁目

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黒目側の支流、落合川を渡る。河川改修にあたっては環境保護で揉めに揉めた落合川を、線路は架け替えられた橋梁で軽快に越えていく。

15時50分 東久留米市本町一丁目

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中島航空金属専用線の跡地を越えると、東久留米駅。一時期線路沿いのアメリカンスクールに通っていたことがあるため、駅周辺はとても馴染み深かったり…。

15時52分 東久留米市本町一丁目

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東久留米駅西口。1994年に橋上駅舎が新設されたこの駅、駅2階には「富士見テラス」が設けられ、駅前の「まろにえ富士見通り」の延長線上に富士を望むことができる。だいたい定点観測のカメラマンに占拠されてはいるけれど…。にしても街路樹で駅が見えない(笑

15時58分 東久留米市東本町

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東口も凝った意匠で。駅前広場の周りは集合住宅が林立してきたものの、一歩奥に入ると畑の広がる風景がまだ残っている。

16時1分 東久留米市東本町

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そして橋上化前は唯一の玄関だった、北口駅舎。当地を舞台とする「めぞん一刻」に倣った「時計坂」の駅名板を掲げるイベントを最後に、2009年に解体された。その後旧駅舎跡地へ、代替となる橋上駅舎からの連絡通路が設置されている。

北口解体前は、上りホーム所沢方では本屋が営業するなど特徴ある駅だった。

16時8分 東久留米市氷川台一丁目

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東久留米から線路は築堤を上り、その先で黒目川を越える。道路は少し遅れて黒目川の先から上り坂となり、線路から分かれると同時に住宅地に紛れていく。

16時25分 新座市新堀三丁目

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玉川上水から分水し新河岸川に注ぐ野火止用水。ここからほんのわずかの間、埼玉県新座市に足を踏み入れる。線路の北に残る畑をぐるっと回り込んで、清瀬駅方面へ。

16時41分 新座市新堀三丁目

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左カーブ奥のから駅が現れるも、この歩道橋はまだ新座市の施設。

16時43分 清瀬市松山一丁目

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歩道橋のすぐ西側では、新小金井街道清瀬立体が工事の真っ最中。この道路の中心に都県境があり、それを越えた線路は再び東京都に入る。清瀬立体は2009年に開通し地下歩道が整備されたものの、先ほどの歩道橋は予想に反し現存している。

16時46分 清瀬市松山一丁目

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今日の終着地、清瀬駅南口はすぐ。ここは1971年と早くに橋上化されたため、近年の建替えラッシュに取り残され駅舎はやや手狭な印象。駅から南へ延びる「ふれあいど~り」商店街は活気があるが、今後再開発の予定があるとのこと。

商店街では「清瀬名産」の人参ジャムや人参カステラが絶賛発売中。買ってみたけれど、人参の味は大してしなかった(笑


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