西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その4
2007年9月17日 清瀬→西武球場前 11.8km(歩行距離15.9km)
13時43分 清瀬市元町一丁目
清瀬駅北口は1993年に区画整理が完了し、雑然とした飲み屋街は淘汰されけやき通りが駅前まで繋がった。駅から向かいの西友まで駅前広場を飛び越えて歩行者デッキが整備され、同時に駅舎のリニューアルも行われたようだ。
しかし清瀬市の財政事情なのか、駅前広場のコンクリート舗装はこの時点でひび割れだらけ…。最近ついにアスファルト舗装に打ち直され、市の玄関口として面目を取り戻した。
13時56分 清瀬市梅園一丁目
誘導員が常駐する小金井街道の踏切を渡り、線路沿いを西へ。清瀬を過ぎると一気に、沿線は畑や緑の多い長閑な風景に変わる。それでも子どものころに見た雑木林は、戸建住宅に変わるなどほとんど見られなくなった。
14時01分 清瀬市野塩三丁目
志木街道のアンダーパスを渡ると、いよいよ沿線は郊外の風景に。ここから飯能までは、圧倒的な狭山茶の産地になる。ちなみに狭山茶というのは、埼玉県全域及び隣接する東京都西部地域におけるブランド名なのだそう。
「故郷かつ地元(当時)」にも関わらず、ここで道を誤り大迂回そ強いられる…。田舎は道が少ないから、一本間違えたときの被害が大きいのだよ…。
14時10分 清瀬市野塩三丁目
空堀川沿いを歩いて線路近くまで復帰。この突き当りの緑が円福寺で、「清瀬の名刹」とは言われているが、その縁起はいまいちはっきりしない。かつては境内に幼稚園や電車図書館があったが、今では廃止されている。いや、そこに通ってたんだけど…。
その後2002年に、三重塔が建立されたとのこと。
14時11分 清瀬市野塩一丁目
西武線とは切っても切れない空堀川を、ここで初めて渡る。空堀川はそもそも現河道の東側を蛇行していたが、現在も野塩一丁目と三丁目の境に、小規模ながら緑地となって痕跡をとどめている。
このあたりから秋津駅にかけては、茶畑と造園業の風景が続く。
14時28分 所沢市上安松五丁目
1990年に開設された、秋津駅北口。秋津駅周辺は行政区が複雑に入り組み、北口は所沢市に位置する一方で、清瀬市のコミュニティバス「きよバス」の経由地になっている。
14時33分 東村山市秋津町五丁目
南口は、1992年に建て替わりテナントの入る駅ビルになった。 徒歩6分にはJR新秋津駅があり、また1998年に近くに明治薬科大が移転してきたことから、それなりに人で賑わうような駅風景に変わってきた。
かつては小学校の遠足の時など、秋津駅では臨時のゲートを開け、急行を停車させる対応を取っていた。上屋の延伸とともに臨時口は閉鎖され、今では当時の面影はない。
14時42分 東村山市秋津町五丁目
錆びついた跨線橋で武蔵野線を渡り、秋津神社を回り込みJRと西武の連絡線を越える。写真の中央の線路が連絡線だけど、1996年に貨物輸送は廃止されており、線路は赤茶色に錆びついている。
奥の左右の雑木林が、概ね都県境を流れる柳瀬川沿いの緑地帯。河川改修の進んだ柳瀬川だけど、このへんは行政区も入り組んでおり今でも原風景を残している。
14時58分 所沢市北秋津七丁目
そのまま線路沿いを所沢駅まで辿るつもりだったものの、曲がるところを間違えたようで気づくと大きな茶畑に迷い込んでいた。はるかかなたに、所沢駅周辺のビル群が…。
15時13分 所沢市くすのき台一丁目
茶畑を下り駅前通りを突き当たった先が、所沢駅東口。貨物輸送華やかな時代の設備は全て撤去され、跡地では新駅舎建設の準備が進んでいた。かつては側線を何本も越えた敷地の一角に、ライオンズショップが寂しげにあったよね…。
東口は立派な駅前広場が整備され、西武鉄道本社の入ったビルが二棟あるものの、大型商業施設などもなく、駅ナカの商店を除いては今でも閑散とした雰囲気ではある。
15時17分 所沢市日吉町一丁目
2階デッキと直結する南口。このころは駅南側の改札へのアプローチとして多くの利用があったが、改札が橋上駅舎に集約された現在では閑散としており、自由通路としての役割も新駅舎にとって代わられてしまっている。
15時17分 所沢市くすのき台一丁目
2013年に新駅舎が完成する以前、地平だった時代の所沢駅西口。当初は駅上に人工地盤を構築し駅の東西を一体化する計画だったものの、不況の煽りを食ってか改良工事はだいぶ縮小されたものとなった。
石神井公園ともども、西武らしいギザギザの上屋や木造の跨線橋が残った駅だった。
15時21分 所沢市東住吉一丁目
駅の南西方にあった、所沢車両工場への引込線跡。工場敷地の一部は駐輪場等に転用されているが、塗装工事に起因する土壌汚染の問題もあり、施設の撤去や再開発は遅々として進行していない。
なお、この引き込み線のほんのわずかの面積だけ、「東住吉一丁目」という丁目が与えられているのは面白い。
15時35分 所沢市南住吉
工場敷地を抜け県道を渡り、少し裏手に入ると線路沿いの道に出る。ここから西所沢までは、戸建住宅と茶畑の中を歩く。
15時59分 所沢市西所沢一丁目
西所沢は、池袋を出て初めて出入口が片側しかない駅。駅舎は1988年築の三角屋根で、わりと所沢以西はこういう意匠が多い気がする。なお、線路の向かい側は家屋が密集しており、「裏口」の設置は今後もなさそうだ。
今日は西武ドームでのプロ野球開催日ということで、帰宅輸送に対応すべく構内では電車の入換が慌ただしく行われていた。
16時19分 所沢市山口
池袋線から左急カーブで分岐する狭山線沿いを、終点に向かって歩く。このあたりはわりと土地の起伏があり、道路は線路を跨いだり、くぐったり。周辺は相変わらず、茶畑と戸建住宅が点在する風景…。そして本格的に、道がなくなってきた。
16時39分 所沢市山口
県道から少し入った住宅街にある、下山口駅。駅周辺は極度にスペースがなく、駐輪場は駅周辺の細い通路の半分を潰す苦肉の策ぶり。駅周りは住宅が密集しており、辛うじて古びた商店が県道沿いに並ぶ。
この駅は1976年に設置された比較的新しもので、当初駅本屋方のホームを使用していたが、野球輸送の対応ため1981年に現ホームを設置し、列車交換の役割を果たすこととなった。
17時11分 所沢市上山口
夕暮れ時、野球帰りで渋滞した県道を歩く。この間、線路はずいぶん細くなった柳瀬川上流部と絡むように続く。次第に畑や未利用地が増え家屋はまばらになり、夕暮れ時と相まって淋しげな雰囲気になってきた。
17時14分 所沢市上山口
西武球場前駅の手前で、線路は高架となって狭山丘陵へ駆け上がる。1979年の終点駅移設以前の狭山線は、現高架の左側地上を走り、現在の山口線ホーム付近を通過して狭山スキー場前の狭山湖駅を終点としていた。
このあたりから、緑の向こうの丘陵の上に、銀色に輝く西武ドームの屋根が見えてくる。
17時24分 所沢市上山口
ファミリーマートを目印に左折すると、そこが西武ドーム前の広場。正面には、夕陽に輝く西武ドーム。既に野球観戦の人波も途絶え、テニス客の姿がちらほらと見られるだけ。
西武系のレジャー施設が鬩ぎ合っていた狭山丘陵周辺も、2006年のユネスコ村閉園など規模縮小の流れが寂しい。西武球団の身売りが失敗に終わったからこそ、今でもこうして体裁を保ってはいるけど。
17時25分 所沢市上山口
今日のゴール、西武球場前駅。波動輸送対応のため4面8線とそれは規模の大きな駅なんだけど、周辺に人家は少なく、普段の閑散とした駅の様子は時が止まったかのよう…。
この日は対楽天戦。西武は先発帆足が完封して、9対0で勝利したらしい。その帆足も、2012年に移籍しもういない。これから先、強い西武が戻ってくることはあるのかなぁ?
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