西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その8
2007/10/14 吾野→芦ヶ久保 12.4km(歩行距離22.7km)
11時21分 飯能市坂石
正丸峠越えの時間を考え、初の昼前行動…(笑
池袋線の終点でありかつては砕石積込みの使命を持っていた吾野駅。駅の秩父側にはホッパが現存し、山側には4本の側線を持っていた。しかし1999年に発生した土砂崩れの復旧の際、側線の大部分は失われた。
11時24分 飯能市坂石
今も「西武建材株式会社吾野鉱業所」の敷地内に残る、積込み用のホッパ。トラック輸送に切り替わった現在も、営業自体は続けているようだ。採掘所の開設は1928年と古く、切られ続けた背後の山の上はすっかり形を変えてしまったという。
吾野駅の構内から西側の町名は、「町分」が取れた「飯能市坂石」に変わる。旧道沿いの家屋も一気に少なくなり、やがて高麗川を渡るとバイパスしてきた国道と合流する。
11時39分 飯能市坂石
吾野から先の山間部は、しばらく集落が点在する。しかしそれも次第に縮小し、風景は山がちになってくる。
蛇行を繰り返す国道に対し、1969年に開業した西武秩父線の線路は、先ほどまでとは打って変わってトンネルと橋梁で直線状に貫いていく。国道から線路が見えるのはたまの交差部だけで、それも遥か頭上を越えていく。
字名で言うところの飯能市吾野の集落は、西吾野駅の1kmほど手前にある。我野神社を中心に吾野小学校や行政機関が立地する、周辺では最大の集落だ。ただ駅自体はもうひとつ尾根を越えた、人気のない山腹にある。
南川(高麗川)に北川が合流する地点で市道を右へ入ると、正面のとんでもなく長いスロープの上、「えっ?」という位置に西吾野駅が現れる。
駅の周囲に目立った人家はなく、深い緑の中十分に「秘境駅」と呼んでいい佇まい。ただ、吾野、北川、南川の3つの集落の中心付近に位置しており、利用客は多いのかスロープの途中の駐輪場が妙に充実している(笑
線路はここから北川を遡り、その先トンネルで南川の集落に出るコースを取る。北川沿いの道路は秩父方面へ通じていないため、一旦北川の集落まで歩き引き返すことにする。
12時24分 飯能市北川
北川集落の入口付近から…。今日の電車は平常運行の4両編成。この一週間でちょうど曼珠沙華のシーズンが終わったみたいで、何だかすごく落ち着いて見える。
国道と北川の集落を結ぶ市道には「道路改修記念碑」が建てられ、厳しかった山村の暮らしを想像させる。そんな住民にとって「車道」の開通ほどエポックメーキングな出来事はなかっただろう。
12時49分 飯能市南川
北川とは尾根を挟んで反対側、南川の集落の中では大きな木造の建物がひときわ目を引く。ここは2003年に廃校となった旧南川小学校で、同様に明治年間の木造校舎が残る北川小学校とともに吾野小学校に統合された。
御多分に漏れず過疎化が進む山間の集落、日本から田舎の風景がだんだんと消えていく…。今日は交通量の少ない国道299号は、このあたりから一気にその勾配を増す。
12時57分 飯能市南川
北川からトンネルで抜けてきた線路は、正丸駅の手前で国道と交差する。峠に向けて高度を稼いできた線路は一瞬だけ姿を現し、またトンネルから切通しへと吸い込まれていく。だんだん、現実離れした風景になってきた。
高麗川もいよいよ源流に近づき、次第に小川のように変わっていく。国道を左折し、高麗川を渡った先に、三角屋根を被った駅舎が現れた。
13時6分 飯能市坂元
正丸駅は西側すぐに正丸トンネルが控えており、周囲に目立った家屋もない。乗降客数は西武全駅でもワーストをひた走っており、当初から観光に特化した駅と考えているのだろう。
延長5km弱にも及ぶ正丸トンネルは、開通当時は私鉄最長を誇った。一方1982年に開通した国道のトンネルは、まだここからのアプローチで高度を稼ぎ、延長を2km弱に縮めている。そのトンネルには歩道がないという情報だったため、歩行者は峠越えにアタックせざるを得ないのだ…(笑
13時30分 飯能市南川
登山道の入口は、駅から飯能方へ少し戻ったところにある。線路をくぐるとしばらくは、渓流に沿った舗装路を上っていく。やがて点在していた人家が途切れると、道は森へと吸い込まれていく。
13時41分 飯能市南川
昼なお暗き杉林…。
正丸峠の観光開発は意外と古く、1936年に武蔵野鉄道の手で「正丸峠ガーデンハウス」が開かれた。1994年にはコテージが整備されるなど拡充もされたが、レジャーの多様化を受け2005年に無期限休止となっている。
14時0分 飯能市南川
登山道から峠越えの旧国道に出て、峠の手前から東京方面を眺める。この緑に覆われた谷間で高麗川が生まれ、入間川、荒川を経て東京湾に注いでいる。
14時6分 飯能市南川
標高646mの正丸峠は、切り通しを道路が抜ける峠らしい峠の姿。国道の正丸トンネルが開通しメインルートから外れた今でも、奥村茶屋はそこそこの賑わいを見せていた。
14時24分 飯能市上名栗
高麗から続いてきた坂道は文字どおり峠を越し、横瀬へ向かう下り坂に変わる。旧正丸峠越えの登山道がはっきりしないため、下りは旧国道を歩くことに。ガードレールの損傷っぷりは、峠を攻める者達の仕業か…。
正丸峠は2005年まで飯能市と名栗村との行政界だったが、両者の合併により相も変わらず飯能市というところが、いまいち達成感の湧かない原因かもしれない(笑
14時56分 飯能市上名栗
つづら折れに方向感覚を失い、坂下の県道に出たところで一瞬道を間違える。このあたりは森の中で全く人の気配はなく、山に迷い込むリアルな恐怖に襲われる。そんな中見つけた、この標識の嬉しかったこと…。
しばらく歩くと久々の人家が現れ、松枝からは西武秩父駅へのバス路線もはじまる。この路線、西武秩父線開業前に吾野と秩父を結んでいた系統が短縮された姿だけど、1日2往復ではハイカーは使えない。
横瀬川に沿って県道を下りきると、その先の三差路で国道トンネルの横瀬方坑口付近に突き当たる。これで道路は一気に賑やかになるが、線路的にはまだ正丸から芦ヶ久保の中間点あたりで、先は長い。
ここからひたすら国道を下るが、遠く前方によもやのトンネルが現れ、歩道のない正丸トンネルの例があるため思わず身構える(笑 結局坑口の脇から歩行者は旧道を迂回できるようになっており、ほっと胸を撫で下ろす。
その旧道の様子。旧道化にあたり道路幅員が縮められたとは地形上考えにくく、この幅でバス路線だったことを考えると、現役時代の難儀が偲ばれようもの。ただ左手下には横瀬川の清流がせせらいでいて、歩き疲れた体には心地よいマイナスイオンだ。
トンネルを回避してカーブを抜けると、少し山も開けてきたように感じる。このあたりでようやく、正丸トンネルを抜けた線路が左下方から姿を見せてきた。線路沿いでは法面の補強工事が盛んに行われていたが、これは吾野駅での土砂崩落事故を受けてのもの。
生き急ぐように急坂を下りる国道を進み、前方から南向き斜面に開けた芦ヶ久保の集落が近づいてくると、その左手、芦ヶ久保駅へのアプローチはこの期に及んで階段で…。
駅前にはかつて「あしがくぼスケートリンク」が立地していたが、1998年の閉鎖とともに特急通過駅へ格下げされた。しかし駅前には2003年に道の駅が開業し、自動車主体ながら周囲は賑わいを取り戻している。
昼食も取らずに歩きづめだったため、西武らしい(笑)駅前食堂で昭和の夕食とする…。アルミのお盆とスプーン、なんだか小学校を思い出すなぁ。
木造のベンチ、古いデザインの番線表示、四角い平板のプラットホーム、何もかもが懐かしい芦ヶ久保駅。一民鉄がこんな山間地を通して秩父までバイパスルートを引くなんて、現代の感覚からは想像もできない。軽井沢まで延伸するという口上も、あながち嘘ではなかったのだろう。
今日も池袋行きの快速急行に乗って帰宅。先週と違い車内はガラガラ、ボックスシートを独り占めで。曼珠沙華のシーズンを少し過ぎただけで、本っ当に違うものなんだねぇ。
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