西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その7

2007年10月7日 東飯能吾野 13.3km(歩行距離17.8km)

13時30分 飯能市東町

イメージ 1

西武秩父行きがしばらくなかったので、今日の出発地、東飯能までは飯能から徒歩で。駅前を通り過ぎると北側の踏切で、西武秩父行きの電車が追い越して行った。曼珠沙華のシーズンのため、今日は増結の8両編成。

13時46分 飯能市中山

イメージ 2

線路は左にカーブし北西に向きを変えると、北飯能信号所で複線となり高架橋を武蔵丘へと駆け上がる。ここから高麗までの線路は、入間川流域から高麗川流域に出るための、ちょっとした峠越えの区間に入っていく。

この峠付近を造成し、2000年に開設されたのが武蔵丘車両基地

14時2分 飯能市飯能

イメージ 3

峠を切って、その前後を盛って、なんだか瓢箪のような形をした車両基地の敷地。写真はちょうど瓢箪のくびれたあたりで、秩父方面の本線は再び単線となり、ここからは中央の掘割を下っていく。

武蔵丘は小手指と同様、将来的には駅を開設する目論見で開発用地も確保されている。しかし周囲は飯能市の観光案内所のほか、「11月中旬オープン」と横断幕の出たマミーマートの工事が進んでいる程度だった。

14時7分 飯能市飯能

イメージ 4

最後の人家を過ぎると国道からは歩道が消え、その先は緑の中へと吸い込まれていく。自動車の通行量はそこそこ多く、こんな道が秩父まで続いていたら…とかなり不安になる(笑 峠越えの途中で、行政区は飯能市から日高市に変わる。

14時24分 日高市

イメージ 5

しばらくすると道は高麗の里に下り、ここで一旦視界は晴れる。子どものころにハイキングで訪れた滝不動尊を横目に、引き続き歩道のない国道を行く。「高麗」という地名は、かつて高句麗からの渡人が居住したことに由来するとのこと。

案内に従って左に折れると、一旦ホームをくぐったその先に高麗駅の入口が現れる。

14時27分 日高市武蔵台一丁目

イメージ 6

巾着田のシーズンとあってハイカーで賑わう高麗駅。駅前には高麗神社にちなみ、「天下大将軍」「地下女将軍」と記された朝鮮半島道祖神が建てられている。

駅の南側には「こま武蔵台ニュータウン」の住宅団地が広がっており、峠越えの道とのギャップが激しい。ニュータウンの玄関口として、でもいまいち通勤駅へ脱皮することのできなかった高麗駅、という印象かな。

14時32分 日高市久保

イメージ 7

高麗駅では1996年までセメント貨物の扱いがあったため、構内には積み込み施設と側線跡の敷地が残されている。隣接して「高麗石器時代住居跡遺跡」が保存されている一方で、これも立派な昭和の遺跡…。

高麗駅を過ぎると国道は高麗川を線路の対岸に渡り、また緑も生い茂り次第にお互いの位置関係が曖昧になっていく。しばらくは新しいミニ開発も含め住宅が続いており、途切れていた歩道も復活し胸をなでおろす…(笑

14時53分 日高市横手

イメージ 8

しかし国道から一歩入ると、そこは行き先が保障されない世界。集落の道は高麗川の手前で突然途切れ、その先には木の板を渡しただけの頼りない橋が…。引き返すのも悔しいので渡ってみたけど、この橋が揺れて結構怖いのだ(笑

14時53分 日高市横手

イメージ 9

橋の途中から見上げる高麗川。ここから正丸まで、この川とともに山を上ることになる。

14時55分 日高市横手

イメージ 10

渡った先はひなびた山村…。小規模ながら山を切り開いた段々畑など、長閑な光景が広がっている。その中で比較的新しい特養老人ホームを右手にこんどは「普通の」(笑)橋を渡り、個人商店が点在する旧道に入る。

同じく高麗川を渡ってくる線路にぶつかると、武蔵横手駅

15時10分 日高市横手

イメージ 11

武蔵横手駅は戦後一旦廃止となり、1970年に再開業した特異な経歴を持つ。駅構内は無駄に広く、2009年からはヤギの「そら」と「みどり」を放すことで、「エコな除草」をアピールしている。なお、ヤギには二匹の子が誕生したが、父親の「そら」はこの3月に生涯を終えたとのこと。

15時12分 日高市横手

イメージ 12

武蔵横手まではそれでも比較的人の手が入った風景だったものの、駅のすぐ先で高麗川を渡り飯能市に戻るとともに、ここからは蛇行する高麗川に沿った本格的な山へと入っていく。

飯能から先の山岳区間は、当時飯能まで開業していた武蔵野鉄道が、鉱石の輸送を目的として1929年に延伸開業したもの。この建設費負担はやはり厳しかったらしく、武蔵野鉄道の経営権が堤家に移る一因になった。

15時27分 飯能市平戸

イメージ 13

東吾野までの区間は、国道と線路が交わることなく進む。少し旧道に入ってみると、古びた蔵と林業の風景が見られる。東吾野駅付近には「吾野原木センター」という丸太市場もあり、このあたりの林業はまだ細々とでも生きているようだ。

15時36分 飯能市平戸

イメージ 14

国道の歩道は高麗川に張り出して設置されており、広く歩きやすいものの、単調な山間部でだんだん何のために歩いてるのかわからなくなってくる(笑 高麗川と緑の山々に囲まれて、ただただ足を前にと進める。

15時39分 飯能市平戸

イメージ 15

東吾野駅に近づくにつれ、付近は里の雰囲気を取り戻していく。国道の北側にはほとんど平地はなく、そんな斜面に張り付くような市立病院の前を左に折れ高麗川を渡ると、東吾野駅に到着する。

15時44分 飯能市平戸

イメージ 16

東吾野駅は、山間の小駅といった佇まい。開業当時は対岸の字名から、「虎秀駅」を名乗っていた。1983年に改築されたおとなしいデザインの駅舎と、申し訳ばかりのホーム上屋に田舎駅の味わいがある。

15時50分 飯能市虎秀

イメージ 17

そしてここが、家屋もまばらな虎秀の集落。ただ間口は狭いものの、この裏山まで含んだエリアが「飯能市虎秀」を名乗る。16時を前にして秋の陽は傾いてきた。今日の目標地点である吾野まで、あと一駅。

16時0分 飯能市井上

イメージ 18

東吾野吾野間には意外にも、池袋線に一つしかないトンネルが存在する。極力地形に逆らわないで線路を敷設した吾野までの区間と、大規模な構造物が連続し技術力を見せつけるような吾野以遠の区間とでは、大きな時代と思想の違いを感じる。

国道に寄り添う高麗川には相変わらず「手作りの橋」を見かけるが、たまにそれが流されていたりするのが面白い(笑 でもこの橋、地形図にもうっすらと記載されており、まぁ「古道」みたいな扱いなのだろう。

16時13分 飯能市井上

イメージ 19

沿道は基本的に緑に覆われた渓谷だけれど、たまの南向き斜面には集落が散在している。国道の交通量は多いものの、広い歩道にすれ違う人影は全くない。

16時29分 飯能市坂石町分

イメージ 20

飯能から上ってきた国道は初めて線路をくぐり、ここから吾野駅へ向け少しずつ住宅が増えてくる。「坂石町分」というのも珍しい地名だけど、かつての坂石村のうち街道沿いの町場分を分村したという意味らしい。

もう一度線路をくぐりその先で旧道を左に折れると、高麗川の蛇行の内側に広がったかつての宿場町、吾野の街並みに入っていく。

16時43分 飯能市坂石町分

イメージ 21

くすんだ色合いの建物の並ぶ、吾野の集落。正丸峠越えを控え、秩父を目指す旅人はこの町で最後の気力を奮い立たせたのだろう。集落を迂回するバイパスが完成した今では、かつての街道筋はゆっくりとした時の流れの中で余生を送っているよう。

16時46分 飯能市坂石町分

イメージ 22

今日は集落の中心にある白髭神社のお祭りで、通りには提灯が下げられ、神社の前には神輿の姿もあった。すれ違う地元の人は挨拶してくれるけど、よもや飯能から歩いてきたとは思うまい…(笑

吾野駅を前にして、ひたすら上り坂を歩いてきた足は痛くて力も入らず、引きずるようにゆっくりとしか進めない…(笑 集落が途切れたその先に、最後の試練のごとく駅にアプローチする見上げるような階段が現れた。

16時53分 飯能市坂石町分

イメージ 23

吾野駅は、集落を行き過ぎた山の中腹にある、中途半端な感じもするかつての終着駅。構内には砕石の積込み施設と多数の側線を有するほか、正丸峠を越えて秩父へ向かうバス路線の発着駅でもあった。

ちょうど池袋行きの快速急行が来たところで、今日のところは撤収とする。山登りということで慣れない靴を履いたため、帰ってみたら右足が血まみれになっていた(笑 内出血した親指の爪は、後日ぱっくり剥がれ落ちるし…。そんな状態で、次回はハイライトたる正丸峠が待っている(笑


次の記事


この旅の記録