西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その12

2007/11/4 武蔵境→是政 8.0km(歩行距離9.9km)

12時34分 武蔵野市境南町二丁目

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中央線の連立事業もようやく、この7月に下り線の高架化が完成した。左下の上り線も翌2008年には高架化され、高度成長期の遺産たる連立事業がようやく完成を見た。これにあわせ、西武多摩川線武蔵境駅付近も高架化されている。

12時36分 武蔵野市境南町二丁目

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地平時代の武蔵境駅は、中央線下りと多摩川線がホームを共用しており、対面での乗り換えが可能だった。連立事業に伴い改札が分離され、特にこのころは駅舎を出て大きく迂回する必要があり、ずいぶん不便になったと感じたもの。

その後2008年に連絡改札口が開設され、さすがにその状況は改善された。

12時48分 武蔵野市境南町四丁目

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駅南口を出て線路沿いの道を西へ歩く。やがて多摩川線は左カーブで中央線から分かれ、地平に下りた先であっさりと最初の踏切を渡る。線路はここから、ほぼ真っ直ぐに多摩川の河川敷を目指していく。

多摩川線のルーツは、砂利運搬を目的として1917年に現在の白糸台まで開通した多摩鉄道に遡る。大正年間のコンクリート使用の増大と歩調をあわせ次第に路線を伸長し、1922年に是政まで全通後、1927年に西武鉄道に吸収合併された。

13時9分 小金井市東町四丁目

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線路はしばらく、住宅地を斜めに分け入るように進む。URの賃貸住宅「プラザ新小金井」が立地するなど家屋密度はそこそこ高いが、中央線東小金井駅の徒歩圏であり多摩川線利用者はさほど多くはない。

団地に囲まれた桜並木を抜けると、小さな駅前ロータリーを持つ新小金井駅が現れる。

13時12分 小金井市東町四丁目

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1998年に建築された駅舎は、住宅地の駅らしく環境と調和した落ち着いた佇まい。「新」を名乗りながらも開業は中央線の駅より一足早く、「旧」にあたるものは東北本線小金井駅というのは案外知られていなかったりする。

13時12分 小金井市東町四丁目

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駅の東西を結ぶ、歩行者専用の小さな踏切から。

構内線路は交換可能な配置で、構内踏切と1両分しかないギザギザ屋根の駅舎が、古き良き西武鉄道の面影を残す。多摩川線はラッシュお構いなしの(笑)終日12分ヘッドで、通常この駅と白糸台で交換が行われている。

13時26分 小金井市東町一丁目

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新小金井を出て先連雀通りの先まで続く側線は、戦中に使われた中島飛行機三鷹研究所への引込線の跡。1960年代まで砕石工場への引込線としても機能していたが、現在は線路から緩いカーブで離れて行く、写真左側の道路にわずかな痕跡を残す。

中島飛行機跡地は国際基督教大学に、砕石工場跡地は宅地分譲されており、また一部は1964年開校の東中学校敷地として提供された。

13時33分 小金井市東町一丁目

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連雀通りを過ぎた線路は、この先に待ち構える国分寺崖線をクリアするため、掘割を作りゆるやかに高度を下げていく。貨物輸送主体で開業した路線だけあって、勾配の管理については非常に神経を使っているように見える。

13時34分 小金井市東町一丁目

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道路はしばらく平坦を保ちながら、先ほどの分譲地を過ぎたあたりから一気に急勾配を駆け下りる。いつしか線路は掘割から築堤に変わり、そこには開業以来と思われる、制限標識ばかりのトンネルがあったり…。

このあたりの線路沿いも桜並木となっていて、春には見事なピンク色に染まる。

13時35分 小金井市東町一丁目

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線路は野川を越えるあたりは、国分寺崖線の自然を生かした武蔵野公園と野川公園という一大緑地が隣接している。崖線前後では50mほどの高低差があるといい、いよいよ多摩川沿いの低地へと足を踏み入れる。

13時50分 府中市多磨町一丁目

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野川を越えると沿線は、密集した住宅地が続く。線路の東側、現在のむさしの学園小の南北からは、かつて調布飛行場への引込線があった。またひどい写真だけど(笑)、「多磨町第2市民花壇」と銘打たれた線路脇の三角形の土地が、北側の分岐線の名残。

13時56分 府中市紅葉丘三丁目

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多磨駅は、小さな商店街の中に立地する。2001年まで「多磨墓地前」と称していた駅西側には多磨霊園が隣接し、駅前には石材屋が店を構える。

一方、駅東側の旧米軍住宅「関東村」は、2000年に東京外語大の移転、武蔵野の森公園の開園と民間利用に転換され、駅利用者層も街並みもだいぶ変革した。駅前広場は出入口のない駅東側に整備され、改札外地下道でのアクセスとなっている。

14時8分 府中市紅葉丘三丁目

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駅を出てしばらく歩くと一旦線路沿いに畑も広がるが、近年の宅地化で農地は減少してきてきている。甲州街道をくぐるあたりから再び住宅が増えるが、このあたりからは京王線の駅勢圏も重なってくる。

道祖神が祀られる旧甲州街道の踏切を渡ると、すぐ南に白糸台駅が現れる。

14時20分 府中市白糸台二丁目

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白糸台駅は、2003年の多磨墓地前駅の多磨駅改称とともに、北多磨駅から現駅名に改称された。京王線武蔵野台駅まで徒歩5分程度の乗換駅ながら、周辺は開発に取り残された感があり特に駅南側は農地が多い。

駅に隣接して多摩川線の全車両を預かる白糸台車両基地が立地するが、こちらも最大20両収容と模型のようなかわいらしさがある。

14時28分 府中市白糸台四丁目

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白糸台を出ると、写真の奥で多摩川線は京王線をくぐる。多摩川線は高圧線を背負う区間が多く、なんだか空がぐちゃぐちゃだ(笑 このあたりから地形は多摩川へ向けた下りに入り、線路は例によって勾配に気をつけながら掘割の中を下って行く。

14時52分 府中市柳町四丁目

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中央道をくぐった先からは、高度成長期にはほぼ全域が砂利採取場となっていたよう。線路は右カーブの築堤となり競艇場前駅の手前で地平へと下りるが、そのあたりからも折り返す方向で砂利運搬線が引かれていた。

15時3分 府中市柳町四丁目

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競艇場前駅は、多摩川線唯一の橋上駅舎。その多摩川競艇場は北西に隣接し、駅舎北口とペデで直結されている。砂利採取場からの転用が1954年といささか早い気もするが、川砂利採取の規制強化が1952年であり、その関係があったのかもしれない。

15時6分 府中市柳町五丁目

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南口側は、後年に開発された綺麗な区画の住宅地となっている。2005年までこの駅も交換可能な設備を持っていたが、バリアフリー化に伴い旧上り線が撤去され、立派な橋上駅舎に似つかわしくない棒線駅となった。

競艇場前を出ると、線路は多摩川の堤防とほぼ平行して終点の是政を目指す。

15時15分 府中市是政四丁目

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かつての砂利採取場の敷地は、是政駅付近まで続いていたようだ。跡地は競艇場のほか、西武運輸の倉庫や住宅地に転用され、さらに近年はマンションの姿が目立つようになった。線路は多摩川堤防の袂で、府中街道に突き当たるように終わる。

15時19分 府中市是政五丁目

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是政駅の1994年にリニューアル工事が行われ、駅舎、ホームとも小奇麗になった。構内には保線車両の留置線となったかつての機回し線が残り、駅舎を通り越してその先の保線資材置き場まで続いている。

15時20分 府中市是政五丁目

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多摩川の砂利採取は、河床低下などの問題で1964年に禁止された。かつての砂利採取場は住宅地へと変貌したものの、2011年の是政橋完成や2013年のJR南武線高架化、さらには競艇場の廃止と公園化など、町の動きはまだまだ止まらない。


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