西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その14

2007/11/18 西武新宿→上井草 11.7km(歩行距離14.3km)

立ちあげてしまった手前、完歩しないとねぇ…(笑

12時47分 新宿区歌舞伎町一丁目

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新宿駅から青梅街道を挟んだ歌舞伎町に立地する、西武新宿駅正面口。1977年に新宿プリンスホテルが完成し、見た目それなりのターミナル駅となった。

西武新宿駅は、高田馬場が起点だった旧西武鉄道村山線が、新宿乗入れまでの仮駅として1952年に設置した。その後新宿駅ビルからの撤退、地下急行線計画の撤回、新宿駅貨物駅跡地の落札失敗を経て、歌舞伎町に今も存続する。

12時53分 新宿区歌舞伎町一丁目

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駅沿いの路地の先にある、駅北口。大久保方面へのアクセス口になるものの、歌舞伎町の繁華街からは外れており、正面口に比べるとだいぶ人通りは少ない。

13時0分 新宿区百人町二丁目

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都道を渡って、線路沿いの道を北へ歩く。計画線が入っているため古びた家屋が目立っていたが、現在ではすっかり更地化されたよう。線路との間には高い生垣や看板があり、線路側の様子を窺い知ることはできない。

電車の中からも見えるロッテの工場付近では、甘ったるい匂いが漂ってくる…。

13時10分 新宿区大久保三丁目

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真新しい団地の脇を通り過ぎると、その先が諏訪通りのアンダーパス。2006年の工事中にJRの軌道が盛り上がり、一時不通になったことは記憶に新しいけど、今でもまだ事業が完了していないというのが謎。

そこから線路脇の細い通りをしばらく歩くと、高田馬場駅のホームが見えてくる。

13時14分 新宿区高田馬場一丁目

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いかにも裏道然とした、上りホーム直結の戸山口。高田馬場駅は山手線東側のわずかな敷地に設置されており、後発事業者ならではの敷地の制約はこの先の線形にも感じられる。

13時17分 新宿区高田馬場一丁目

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こちらがメインとなる早稲田口。いつも学生をはじめ多くの人で賑わっている。

新宿線高田馬場~東村山間は、当時の川越鉄道が1927年に自前の都心直結ルートとして開業したもの。甲武鉄道武蔵野鉄道と比べ線形やターミナルが不利であり、それが現在の残念な扱いにつながっている。

13時21分 新宿区高田馬場二丁目

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高架の高田馬場駅を出た新宿線は、すぐに急勾配の左急カーブでJRの下をくぐる。このころ、神田川では河川改修が行われており、仮囲いの向こうの新宿線も仮橋だった。この先新宿線は、何かと川との関わりが多い。

13時34分 新宿区下落合一丁目

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坂を下りた線路は、しばらく新目白通りと平行する。その地下から妙正寺川が顔を見せると、こんどは妙正寺川と絡みつくよう進路を変える。新目白通りから左斜めへと入り、ビルの谷間の川沿いを歩くと、小さな橋を渡った先に下落合駅がある。

13時37分 新宿区下落合一丁目

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駅本屋となる北口駅舎。その後CI変更にあわせリニューアルされている。

13時39分 新宿区下落合一丁目

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南口は早朝深夜閉鎖の臨時口で、線路とマンションに挟まれたその間口は何とも窮屈だ。

下落合から中井にかけては、1910~20年代にかけて堤康次郎が分譲地等として開発をしたところ。その中央部を横断する新宿線の開業は政治的背景を感じるが、その街並みは戦災を通じほとんどが焼失してしまった。

13時47分 新宿区中落合一丁目

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線路の一街区離れた、妙正寺川沿いを歩く。風景はマンション街から古びたアパート街へと変わり、それが商店街へと変わった先に、次の中井駅がある。

13時49分 新宿区中落合一丁目

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中井駅は南側にしか改札がなく、上りホームへは跨線橋での連絡となる。1997年の現大江戸線開業で乗換駅となったが、妙正寺川を挟んだ徒歩連絡となっているためか、未だに地味な各駅停車駅を脱却できていない。

13時50分 新宿区中落合一丁目

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上空の山手通りでは拡幅事業が行われており、また地下深くでは中央環状新宿線の工事が行われていた。この直後の2007年12月に、中央環状新宿線は開業を果たしている。

中井を出ると、周囲は昔ながらの分譲住宅と高そうな(笑)一戸建てが混在する住宅地の風景に変わる。この先上石神井あたりまで狭い駅間が続き、基本的に住宅地、商店街、駅という単調な風景が続く。

14時2分 新宿区中井二丁目

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線路は一旦妙正寺川を渡る。このあたりの地形は意外に起伏が激しく、丘の上には緑豊かな目白大学のキャンパスが見える。この橋から先が、連立事業により地下化される区間となる。橋を渡ると中野区に入る。

密集した住宅地を抜け商店が増えてくると、やがて右急カーブの途中に設けられた新井薬師前駅に到着する。

14時12分 中野区上高田五丁目

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1975年に開設された北口は小さなテナントビルとなっており、このころは本屋が入っていたが、地下化を控えた現在は空家となっているようだ。

14時12分 中野区上高田五丁目

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一方で古き良き香りを残す南口はやや奥まったところにあり、駅前の小さな広場には門前駅らしい小さな売店が並んでいる。駅名の由来となった新井薬師こと梅照院は、駅から南西方向へ500mほど行ったところにある。

新井薬師前の急カーブは地下化にあわせいくらか改善されるようだけど、池袋線のような格段のグレードアップを伴うものでないというのが寂しい。

14時16分 中野区松が丘一丁目

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新井薬師前から直線となり、線路は北西へ向かう。この区間妙正寺川が蛇行する尾根状の地形となっており、線路は一旦掘割に入る。再び妙正寺川を渡り、通過線を分岐しながら左にカーブを曲がると、その先に沼袋駅のホームが現れる。

14時26分 中野区沼袋一丁目

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沼袋は、西武初の急行追い越し駅という微妙な記録を持つ。本屋は北口で、1983年の配線工事に伴い一時仮駅舎となったあと新築された。中野駅までは南に2kmほどで、中野のライブハウスに行くときとか、時々ここから歩いていったもの。

14時27分 中野区沼袋一丁目

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どことなく鉄道駅らしい雰囲気のある駅構内。ここも地下化により除却される。

14時27分 中野区沼袋一丁目

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南口は2000年に開設された簡易な駅舎で、新宿線都心部は上下ホームそれぞれに出口も持った、こんな構造の駅が多い。そして各駅に、そこそこの規模の商店街が張り付いている。

14時30分 中野区沼袋三丁目

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沼袋を出ると、細く曲がりくねった道に住宅が密集する、言わば「手つかずの住宅地」が続く。緩やかなS字にカーブを描く線路の、その北側に沿う道を歩いていくと、心配になるほど細い野方駅のホームが見えてくる。

14時41分 中野区野方四丁目

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野方駅は、ホームの直下を環七通りのアンダーパスが抜けている。当初井荻まで予定されていた連立事業の際、このアンダーパスの処理がひとつの課題ではあったが、その後野方まで短縮されたことで後ろ向きな解決が図られている。

14時44分 中野区野方五丁目

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2010年の新駅舎完成まで、野方駅の出口は南側のこの駅舎のみで、環七による地域分断とあわせ町づくりの課題となっていた。連立事業範囲確定後に建て替えに着手し、現在では最近の西武らしい小奇麗な橋上駅舎が完成している。

14時51分 中野区鷺宮一丁目

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野方からは一部を除いて、ほぼ線路沿いに道が続く。各駅間が短いため、どこも「何となく」市街化されているのが新宿線沿線(笑 中央線の各駅へバス便があるというのも、市街地が早期に形成された理由かもしれない。

野方駅からは直線となり、それが左カーブを切る途中に都立家政駅がある。

14時55分 中野区鷺宮一丁目

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都立家政は、1937年の旧制府立家政女学校の設立と同時に新設された駅で、高田馬場~東村山間の開業後に設置された唯一の現存する駅。学校は現在、都立鷺宮高校として存続している。駅北口は簡易駅舎で、一橋学園駅と似たデザイン。

14時57分 中野区若宮三丁目

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何故かオレンジ基調にデザインされた南口駅舎。駅前の通りは南北に走る商店街となっており、そのイメージキャラクターは、「家政」をもじった火星人…(笑

次の鷺宮まではホーム間で300mほどの距離。都立家政のカーブを曲がり切ると、いきなり鷺ノ宮のホームが見えびっくりする(笑 ここまで来ると高層マンションは影を潜め、中低層の住宅群へと変わったことに気づく。

15時7分 中野区鷺宮三丁目

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鷺ノ宮は1979年に改築された、今となっては古びた佇まいの橋上駅舎。北口は密集した商店街の中に一応「駅ビル」はあるものの、駅前は例によって何とも手狭。階段下の線路沿いに「西武鷺ノ宮名店コーナー」が続く風景はちょっと懐かしい。

15時7分 中野区鷺宮三丁目

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駅の西側はすぐ中杉通り。阿佐ヶ谷近辺のイメージからすると歩道もない田舎道だけど、バスの往来もあって駅前は相当な錯綜ぶり…。このあたりまで、連立できなかったものかなぁ。

15時9分 中野区若宮三丁目

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南口は妙正寺川に向かって口を広げており、北口とは一変して寂しい印象。階段の目の前には小さな橋がかかっているが、渡った先は緑をたたえた鷺宮八幡神社。あとは比較的古い建物の多い、住宅密集地となっている。

鷺ノ宮からしばらくは川沿いに歩き、鷺宮西団地の手前を右折して線路際に出る。このあたりから沿線にも畑が目につくようになり、新宿線の線形もほぼ直線に変わる。

15時19分 中野区白鷺三丁目

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この踏切手前の空間が、かつて2年間だけ営業した西鷺ノ宮駅の跡地。都立家政と同様に、府立中学校へのアクセスのため1942年に開業した駅だった。敷地の一部は現在では、鷺宮変電所用地に転用されている。

15時30分 杉並区下井草二丁目

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下井草駅南口。下井草駅は「駅まち一体事業」で建て替えられたばかりで、旧駅舎とは比べ物にならない立派な橋上駅舎になった。改良前は南側だけに駅舎があったが、そちらは23年の短命に終わった。

15時31分 杉並区井草一丁目

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北口周辺は基本的に中層住宅街となっているものの、駅に隣接して敷地が二区画に亘る旧農家が残っていたりと、駅周辺は南側も含めこのような風景がまだまだ残っている。

15時32分 杉並区井草一丁目

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「オリンピックを東京に、2016年!」とか、これは幻に終わった東京五輪

15時37分 杉並区井草二丁目

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下井草からは、線路から少し離れて並行する道路を歩いていく。このあたりでは、かつて農道だったと思われる歩行者専用の小さな踏切を多く見かける。前後の道路は広いため、恰好の自転車置き場になっているが…。

線路が緩い左カーブを切って、商店街を抜けるとその先が井荻駅

15時43分 杉並区下井草五丁目

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かつての井荻駅入り口は南側のみで、上りホームは構内踏切で連絡するなど旧態依然とした設備だった。駅西側では環八通りと平面交差し渋滞の名所となるなど問題が多かったが、1997年の環八井荻トンネル開通から一気に改良が進んだ。

15時45分 杉並区井草三丁目

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環八側道に向かって新設された、簡易な北口駅舎。目の前を渡る跨線橋井荻トンネル建設に先行して作られたもので、現在では側道用として使用され、かつての踏切は完全に除却されている。

「井荻」の地名は開業5年目の1932年に消滅しており、もとは「井草」と「荻窪」から一文字ずつ取った町名だった。かつては養蚕が盛んだったという。

15時48分 杉並区井草四丁目

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井荻から線路はほぼ直線で、引き続き少し北に離れて並行する道路を歩く。線路は途中で、かつての桃園川を小さな橋梁で二回渡る。桃園川自体は下水道幹線化され緑道となっているが、線路にはしっかり橋梁が残る。

15時53分 杉並区井草五丁目

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しばらくは住宅地が続くものの次第に農地が増え、特に線路の北側には屋敷林を持った明らかな旧農家が目立つようになる。一方で南側の道路沿いには商店街が形成され、そこそこ活気のある街並みを歩いていくとその中に上井草駅が現れる。

15時59分 杉並区上井草三丁目

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1987年に改築された三角屋根の南口駅舎。駅構内に上下ホームを連絡する通路がなく、駅周辺の開かずの踏切とともに地域の課題となっている。写真に見える売店が2012年に閉鎖される一方で、2008年にはガンダムのモニュメントが設置されている。

16時2分 杉並区上井草三丁目

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上井草駅は、南口駅舎こそ比較的新しいものの、ホームは石積みで電車との段差も大きく、木のベンチや上屋など、レトロな雰囲気を漂わせている。木造の壁はこのころ緑色に塗られていたが、その後何故かピンクに変更されている…。


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