遠野 落穂拾いの旅(2016/11/11~13)その2

2日目 遠野(1/3)

早朝、突然の揺れにたたき起こされる。瞬間、新幹線が止まって遠野から帰れなくなった、11年前のことを思い出した。結局二度寝はしちゃったけど、この地震がなかったら絶対に起きられなかったと断言できる(笑

9時前に「銀杏」にてバイキングの朝食。時間帯が遅いこともあって品数は多くないけれど、洋食の定番がきちんと揃っていて、それぞれ丁寧な作りでおいしい。

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コーンスープはおかわりまで頂いて、最後はけっこうお腹いっぱいだった。

ドアノブに「don’t disturb」の札をかけ、10時ごろ外出。透き通るように晴れ渡った空の下、まずは定番の鍋倉公園に上ってみようか。

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鍋倉公園は、1500年代に築城された鍋倉城跡を公園化したもの。公園化と言っても大きな手は加えられず、堀や土塁など多くはそのままの地形を残している。

赤く色づいた北国の秋に、苔むした階段が幻のようで…。

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山頂までの比高は50mほど。春は満開の桜に覆われる観光の一等地ながら、ここで観光客と出会ったことは殆どない。それ故、ここの解放感たるや素晴らしい。

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櫓状の展望台から見下ろす、晩秋の遠野盆地。決して大きな町ではないけれど、古から街道の中継地として賑わった。右下の赤い看板の右手が遠野駅、その背後に猿ヶ石川の支流早瀬川が流れ、遠景には秋色の山々に抱かれた田園風景が広がっている。

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鍋倉山は遠野盆地に突き出した扇状の台地で、南西側がだらだらと続く尾根道になっている。相変わらず人の気配と言えば落ち葉掃きの作業員ぐらいで、ひっそりとした里山をその先にある五百羅漢目指して歩いてみよう。

過去3度の訪問では訪れなかったスポット、そこを落穂拾いするのが今回のテーマ。

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尾根伝いの道は舗装から土に変わり、やがて林が切れて目に飛び込んできた風景がこれだ。釜石自動車道最後の区間の工事が、2018年の開通に向け進められていた。周辺では関連道路の整備も行われていて、こんど来る時はだいぶ風景も変わっているだろう。

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再びじめっとした林間の道を進むと、左手に鮮やかな朱塗りの鳥居が見えてきた。案内を見ると「程洞のコンセイサマ」ということで、まぁどこにでもある民俗信仰なんだけど、距離も200mと僅かなので参拝してみることにする。

しかしそれがかなりの急傾斜で、足元も滑りやすく想像以上に難儀する結果に…(笑

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大きく育った杉林の中で、ひっそりと見を竦めるコンセイサマ。昼なお暗きこの地は夏でも涼しく、解説によれば避暑地としても利用されるという。確かに歴史ある境内は、神々しい雰囲気に満ちている。

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目的だった五百羅漢の入口は、道路を更に進んだ山裾にあった。しかし林に入ると次第に明瞭な道はなくなり、沢登りの様相を呈してくる…。それでも苔むした林間は風情があって…というか、この写真の時点で気づかなきゃいけなかったのだ。

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五百羅漢を探しさらに沢を上るも行き詰まり、不審に思い携帯のナビを見ると既に倍ぐらい上がってきてしまった様子…。先程の岩がごろごろしたあたりまで下りてみると、風化しわかりにくくなっているものの、なるほどその岩にたくさんの仏像の姿があった。

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1780年代に訪れた天明の大飢饉は、かねてから疲弊していた農村を直撃し、100万人近い人口減をもたらしたと伝えられる。そんな犠牲者の供養のため、南部家の菩提寺である大慈寺の和尚が自然石に刻んだという。その想いも、自然に還ろうとしているかのようだ。

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来た道をまた、市街地の方へ引き返す。鍋倉公園から約2kmは決して近くはないけれど、青空と黄葉に抱かれた道中は絵画的で、気持ちいい。

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鍋倉の山を下りて、3時間ぶりの市街地へ。あえりあ遠野の正面を横切る来内川沿いは、人と自然が協同して作り上げたパレットとでも言うべきか。見ようによっては、現実感のない書き割りのようでもあるけれど。

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午後はレンタサイクルを足に、民話の里を紡いでみよう。その前に、お昼どうしようかな。


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