島根 ゆったり、やくもの旅(2017/9/20~23)その6

4日目 津和野→東京(1/2)

6時半ごろ起床。窓から見る津和野の町は、白いもやに覆われて。

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8時から、館内レストランで朝食。旅館の料理って夜は豪華な反面、朝はお盆一枚で簡単に終わらせるところが多いと思う。だけど、ここはまず盛り付けがお洒落だし、これから何が出てくるんだろうという期待感がある。

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まず期待感に応えてくれたのが、白菜の煮浸し。単なる白菜と言うなかれ、これが瑞々しく、ほっこり温かくおいしいのだ。そのまま食べてもよし、ご飯のおかずにもよし。

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さらにはふっくら手作りの卵焼き、自家製豆腐に合わせ味噌と、料理人の愛情を感じるような料理が続々と…。朝食として適度なボリュームながら、コース料理のような楽しさがある。そしておいしい。ここ、部屋とお風呂は普通だけど、料理でまた来たくなる(笑

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ついついゆっくり味わってしまって、片づけが進まないのはいつものこと。

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10時チェックアウト。通りに出ると、朝浮かんでいたもやは晴れ、雲は多いけれども青空も覗く観光日和になっていた。まずは、時刻表の確認と荷物を預ける都合で津和野駅へ。行き当たりばったりの旅だから、帰りの列車もまだ決めてない。

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ここ津和野は、山間の谷沿いに細長く広がる人口7,000人程度の町。鉄道が通ったのは1922年で、1979年から運転を開始した「SLやまぐち号」の終着駅として全国に知られることとなった。駅は津和野盆地の北端付近に位置しているため、表も裏も山が迫っている。

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津和野を訪れるにあたって、3箇所ほど気になるスポットを見つけてきた。まだ人の少ない午前のうちに、ひっそり訪ねたい乙女峠から行ってみよう。

駅をぐるっと回って、踏切を渡り裏手に出る。そこは日本中どこにでもある田舎の風景で、この近くで世界的にも(「その世界では」と言うべきかな)有名なある出来事があったとは考えられない長閑さだ。乙女峠を指す矢印に従い、三叉路を山の手に折れる。

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入口に「乙女峠参道」と掲げられた道は、薄暗い林へ入ってはいくもののそれなりに幅員もある林道状の道だ。しかしそれが歩道に変わり、峡谷となり、滝登りの様相を呈してくると、次第に「秘め事」の香りが漂ってくる。

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そんな山道に突然光が差したと思ったら、そこには小さくかわいらしい聖堂があった。「乙女峠マリア聖堂」は、この地での殉教者を讃えるため1948年に建立されたものだ。

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キリシタン禁制の政策の下、1867年の「浦上四番崩れ」を契機として、隠れキリシタンとその家族ら153名がこの地に送られた。廃寺だった光琳寺に幽閉されたうち36名が、改宗を求める津和野藩の拷問により殉教したという。その場所がまさにここなのだ。

聖堂のステンドグラスには、その当時の様子が美しくも悲しく描かれている。

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もちろん、津和野藩としても考えはあった。藩主の亀井氏が神道に通じていたことから、当初は話し合いによる平和的な解決ができると信じていた。そのため津和野に多くのキリシタンが送られ、結果として多くの殉教者を出すことになった。

いつの時代も、思想の違いは争いの種だ。お互い信心深ければ、なおさらだ。

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現在の乙女峠は…一部では心霊スポット扱いされているけれど、自分が今日感じたのはそういうネガティブな感情ではなく、ポジティブな神聖さだった。そう記しておこう。

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聖堂のある平場からは、隣の谷へ山道が通じている。ここも道中、「十字架の道行」になぞらえられた碑が立っているのだが、蜘蛛の巣ばかりでそれどころではない(笑 辿り着いた先には、飢饉の犠牲者を弔う「千人塚」と、殉教者へ向けた「千福碑」が祀られていた。

雰囲気のあるところなんだけど、蜘蛛の巣でぶち壊しだなぁ(笑

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ここから沢を真っすぐ下りると、麓近くに曹洞宗の寺「永明寺」(ようめいじ)が門を構える。1420年創建、1720年再建という、歴史ある津和野藩の菩提寺だ。太宰治や坂崎出羽守のお墓があるということで、時折お参りする旅人の姿が見られる。

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山門をくぐると砂利敷の広場になっていて、そこから眺める境内の雰囲気は相当なものだ。中国の寺院を想定させる鐘楼と中雀門に、深い茅葺の本堂は寺というよりは豪農の屋敷のようでもある。禅寺らしく質素だが、その「重み」がすごい。

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拝観料300円で、本堂内部や裏にある日本庭園まで観覧できる。境内の蔵には波を渡る兎の紋が掲げてあるけれど、この子も出雲大社のアレの親戚…なわけないよなぁ?

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山を下りて、久しぶりの人里へ。踏切から見る津和野駅には、朝から変わらずタラコ色の気動車が留置中。時刻は12時半、あと30分足らずで「SLやまぐち号」が、大勢の観光客を乗せてやってくる。

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津和野観光のメインストリート、殿町通りに建つ津和野カトリック教会へ。ここは1931年、やはり殉教者の慰霊のため建立されたゴシック建築の教会だ。面白いのは内部を畳敷きにしていることで、当地におけるキリスト教がいかに「庶民の信仰」だったかを感じさせる。

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敷地内にはほんの小さな「乙女峠展示室」があって、書籍販売のほか「明治初年の乙女峠復元パノラマ」の展示がされている。左奥がキリシタンの幽閉された光琳寺で、現在のマリア聖堂は右手前の土蔵のあたりに建っている。石垣の様子は昔も今も変わらない。

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不意に、「ポーッ」という汽笛が山間の町にこだました。どうやら「やまぐち号」が津和野に到着したらしい。これからいっとき、津和野の町は昼間人口のピークを迎える(笑 その人波から逃れるように、駅に背を向け第二の目的地に行ってみよう。

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次回は、お稲荷様編。


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