南紀 徒然な旅(2019/4/11~13)その2

1日目 東京→熊野市(2/2)

先ほどの三叉路まで引き返し、松本峠道を大泊方面へと下る。南向きだった上りと比べ、北側斜面はひんやりとした空気に包まれ、苔むした石畳が一層趣きを増す。紀伊半島南部は降雨量の多い土地でもあるので、それもここの湿度に影響しているだろう。

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古道は国道に突き当たって、唐突に終わりを告げる。鬼ヶ城方面は国道を右折だけれど、ここは一旦道を渡って海辺の集落にお邪魔してみる。

熊野市は1950年代の大合併で概ね現在の市域となっていて、この小さな平地は合併前の泊村の中心部だった。廃墟の目立つ旧国道沿いから畦道のような小道を歩いていくと、線路沿いに咲き残る桜の並木と小さな駅舎が見えてくる。

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大泊駅は、旧泊村が消滅した2年後の1956年に開設された。1986年に無人化されたが駅舎は残され、窓口の跡など有人時代の痕跡が残る。小さな集落と海水浴場に隣接するこの駅には、列車は一日10往復程度やっては来るけれど、それを利用する客数は10に満たない。

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そんな田舎駅から坂を下り、防波堤を越えるとそこか大泊海水浴場。さほど広くはない砂浜は両脇を稜線で固められ、この時期の平日とあってアプライベートビーチ感満点。見渡す限り漂着物のひとつもなく、蒼い海の色もすごく綺麗。

南側の稜線には、先ほど越えてきた松本峠の鞍部が見える。

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時計は16時と、わりと予定どおりないい時間になってきた。ここから熊野市街に戻るには、往路の松本峠、国道旧トンネルという選択肢もあるけれど、ここは海沿いに穿たれた鬼ヶ城の遊歩道を使うことにする。

鬼ヶ城の入口となる「鬼ヶ城センター」は、国道から分かれた少し先にあるが、途中歩道のない橋があったりとあまり徒歩でのアクセスは考慮されてないみたいだ。

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鬼ヶ城の遊歩道は、岩ゴツな熊野市の景観を代表するもののひとつ。波の浸食作用により創造された奇岩が、隆起作用により海面上に現われたもの。寂れた地方の観光地然とした入口付近から、踏み込んでしまえばもう岩と海しかない非日常空間。

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500mほどの遊歩道の上には、ホールのような千畳敷から、心細い断崖の道まで、変化に富んだ岩の造形続々と現れる。打ち寄せる波はけっこう強く、波音が反響して陸地側から聞こえたりと、脅かされるのはさすがに鬼ヶ城と言ったところか。

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鬼ヶ城センターに駐車して探索する観光客が多いからか、遊歩道の道筋は次第に怪しくなって、足元の目印をよく見ていないとコースアウトして進退窮まる危険性もある。

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ここが地獄と現世との境目かな。紀伊半島東岸に続いてきたリアス式海岸は終わりを告げ、緩やかな弧を描く砂浜へと一変する。ただ、奇岩続きの風景もこのぐらい見ると馴れてきて、「早く帰りたいなぁ」とか思えちゃうのが人間だ(笑

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市街側の入口は、鳥居がひとつあるだけで普通に道路に繋がっていく。道なりに国道に出て、信号を右折するとアーケードの商店街に出る。「聖地」ローソンに寄ってから、観光案内所で荷物をピックアップ。

夕暮れ時の熊野市街は、ありふれた田舎町なんだけどどこか愛おしいような。

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駅にほど近い「ビジネスホテルみはらし亭」には、18時前のチェックイン。およそ観光で使ったことのない(学生時代以来かも)地方都市の格安ビジホだけど、まぁ選択肢も限られているので。

19時半ごろ食堂へ降りると、厨房ではおばあちゃん一人が切り盛り中。そのためか、しばらくして運ばれてきた夕食は冷えたものが多いかな。

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夕食後は、アルコールを調達しに近くのイオンへ。イオンの隣にはオークワ、ツタヤなんてのもあって、市街地で生活する分には日本全国そう変わらないのかもね。そして、景品目当てで場違いな缶コーヒーパック買い(笑

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明日は少し早目なので25時には就寝。それにしても壁薄いなぁ、このホテル…(笑


タイムスケジュール(1日目)
8:10~9:47 東京→名古屋「のぞみ15号」
10:01~13:17 名古屋→熊野市「ワイドビュー南紀3号」
13:30~14:00 熊野市駅松本峠道(熊野市方登り口)
14:25 東屋
15:00~15:10 松本峠道(大泊方登り口)→大泊駅
15:20~15:30 大泊駅~大泊海水浴場
15:50~16:15 大泊海水浴場~鬼ヶ城(東入口)
17:00~17:35 鬼ヶ城(西入口)~熊野市駅
17:40~17:50 熊野市駅~宿泊先
17:50 チェックイン「ビジネスホテルみはらし亭」
19:00~19:25 夕食


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