西武沿線完歩の旅(2007/9/2~12/16)その6

2007年10月6日 稲荷山公園東飯能 8.6km(歩行距離13.5km)

13時17分 狭山市稲荷山一丁目

イメージ 1

稲荷山公園駅北口は1988年に改築され、簡素ながら小奇麗な駅舎になった。駅北西側には狭山稲荷山公園が広がっており、かつては米軍施設の廃墟等も残っていたようだが、今ではすっかり撤去され小綺麗な芝生広場になっている。

13時20分 狭山市稲荷山一丁目

イメージ 2

狭山市立博物館のあたりまでしばらく、線路の北側に沿って歩く。博物館横には、狭山市コミュニティバス「茶の花号」が待機中。稲荷山公園の前後は入間市だけど、駅周辺だけ狭山市がくさびのように入り込んでいる。

このあたりから道路が霞川へと落ちていくのに対し、線路は高台にしがみ付くようにS字カーブを描いていく。線路沿いには富岡変電所があり、これはかつて入間市富岡町であった名残。

13時35分 入間市黒須一丁目

イメージ 3

坂を下り切って左へ折れると、入間黒須団地に入る。団地の奥では、線路をアンダーパスする道路と、線路と並行する橋梁の工事が進められていた。橋梁は鉄道の管理用なのか、未だに用途がわからないけど。

13時38分 入間市黒須一丁目

イメージ 4

団地を抜け、歴史を感じる玉石積みの民家が並ぶ坂道を上る。このあたりは再開発の手が及んでおらず、未だ山里のような風情ある街並みだ。そんな前時代的な風景から最後のカーブを曲がると、唐突に入間市駅のホームが姿を現す。

13時41分 入間市河原町

イメージ 5

入間市駅は1993年に構内改良工事が完成。所沢~飯能間無停車だった特急も停まるようになり、埼玉県南西部の中枢駅としての地位を得た。ただ北口駅前は未だ空地のままで、駅も入口だけの簡素なつくり。

13時44分 入間市河原町

イメージ 6

南口は駅ビルを構え、商業施設や集合住宅が多く立地している。また、アウトレットへのバス便も出ているが、このあたりはまで来ると車社会なのか、立派な駅施設に比べ構内は通学の高校生以外閑散とした印象がある。

13時56分 入間市河原町

イメージ 7

駅を出ると線路は右カーブで国道と霞川を渡り、こんどは左カーブでその先の尾根の中腹に取りつくように進む。この左カーブの区間、進行方向左側のシートに座っていると窓外に空しか見えず、子どもの頃の電車が空を飛ぶような感覚があった。

この区間電車は線路を軋ませながら、ゆーっくりと進む。

14時1分 入間市鍵山一丁目

イメージ 8

霞川を渡った先から、駅方面を振り返る。霞川に張り出して建てられた古びた家屋の向こうに、天空の城のようにそびえたつビル群が何ともミスマッチだ。

14時4分 入間市鍵山一丁目

イメージ 9

県道から一歩入ったところにある、入間浅間山団地。1階は通り抜けのできる共有ゾーンとなっており、未だ数軒の店舗が営業を続けている。その先の商店も含め、ここだけ時代に取り残されたような不思議な空間。

団地をくぐると、その先の道路は尾根沿いを走る線路としばらく並行する。古の人々は、この尾根を富士の裾野の突端と考え、信仰していたという。

14時9分 入間市鍵山一丁目

イメージ 10

線路は次第に高度を下げる。このころ、副都心線用の茶色い電車がどんどん増えていく感覚があった。

14時28分 入間市牛沢町

イメージ 11

線路沿いの道はやがて行き止まり、右へ折れた先で県道に突き当たる。このあたりは蛇行する入間川と尾根の間のわずかな平地を、線路と県道が並んで走っている。斜面には「牛沢のカタクリ自生地」と看板が出ているものの、この時期カタクリの代わりに曼珠沙華が咲いていた。

圏央道の高架の下から旧道を入ると住宅が増え、線路と合流し前堀川を渡ると仏子駅に到着する。

14時47分 入間市仏子

イメージ 12

仏子駅北口。駅名の表示が「ぶし駅」とひらがなになっているのは、西武が開発した「ぶしニュータウン」の関係か。駅すぐ北側は入間仏子団地が広がるなど、駅周辺は駅名の垢抜けなさに対し意外と開けた雰囲気だ。

14時49分 入間市仏子

イメージ 13

南口は取ってつけたような簡易駅舎…。駅南側は「西武中学校」など「西武」の文字が目につくけれど、これはかつて周辺が入間郡西武町であったことの名残。

15時0分 入間市仏子

イメージ 14

仏子を出た線路は、入間川を渡るべく築堤により周囲との高度差を増していく。築堤には「高さ1.5メートル」なんていうお辞儀しないと通れないガードがあって、小手指あたりもそうだけど「やりたい放題だよなぁ」とか思う(笑

写真右手は入間リバーサイド団地の敷地。このあたりの入間川沿いには桜が植えられ、春になると白い散歩道となって大勢の人で賑わうそう。

15時3分 入間市仏子

イメージ 15

池袋線入間川橋梁は1969年に架け替えられ、そのとき前後の線形も数10mほど北へ振られた。旧線路敷の一部は小学校に取り込まれたりしているものの、ほとんどは木の枕木の柵に囲まれ築堤の姿を留めている。

15時9分 入間市野田

イメージ 16

入間川の河道に今も残る、レンガ造の橋脚と錆びついたプレートガーダー。この橋梁、1970年に西武鉄道から入間市へ無償譲渡されたというのだから、市も進んでババを引いたものだ。結局費用面で問題となり、撤去は遅々として進まない。

桁下1.6mで旧橋をくぐり、坂を一気に上ると旧橋の取り付け部あたりに出る。こちら側の線路敷は完全に転用されており痕跡はなく、住宅地を道なりに抜け踏切を越えると元加治駅に到着する。

15時13分 入間市野田

イメージ 17

元加治は1990年に新駅舎が完成、その後1999年に西武初の無人駅となったが、2009年には再び有人駅に戻っている。駅周辺は農地が多く、宅地開発もある程度されているものの道は狭く曲がりくねった農道そのままの姿を留めている。

なお、駅の南側にはバスロータリー然とした空間があるが、駿河台大学専用のバス乗降場であり、今現在南口は開設されていない。

15時17分 飯能市岩沢

イメージ 18

元加治駅を過ぎると、風景は次第に農地の比率を高めていく。屈曲の多い道路は知らぬ間に、線路から遠く離れて行ってしまう。JR八高線との交差のあたりから住宅が増えるが、同時に荒地とも農地とも区別のつかない土地も広がってくる。

15時34分 飯能市川寺

イメージ 19

2001年に八高線の高架が架け替えられるまで、西武線はその手前にあった笠縫信号所で単線に絞られていた。八高線をくぐった先は上下線の間隔が拡げられているが、これは未成線化している「飯能短絡線」分岐の予備工事だろう。

15時43分 飯能市川寺

イメージ 20

飯能短絡線は、未だ貨物輸送華やかな時代に飯能駅での折り返しを解消するため計画された。しかし貨物輸送の廃止、旅客輸送の伸び悩み等環境の変化から、路床工事まで終えた土地が放置されたまま、住宅地を斜めに貫いている。

短絡線の分岐付近に立地する飯能変電所のあたりから、いよいよ飯能の市街地が広がってくる。踏切を渡り道なりに歩くと、その先が飯能駅南口の駅前広場。

16時0分 飯能市南町

イメージ 21

飯能駅は1989年に南口が開設、1992年には北口に高層のステーションビルが完成した。かつて稼働していた機回し線は踏切が撤去され道路で分断されたものの、途切れた線路と車止めは今でも残されている。

16時6分 飯能市仲町

イメージ 22

駅北側の風景。区画整理事業の進行は遅く、空き地と古民家が混在する。中心街にあった「まるひろ」は2009年に東飯能駅ビルに移転開業しており、かつての飯能店は解体され跡地にはりそな銀行が移転開業している。

16時9分 飯能市仲町

イメージ 23

新駅ビル完成以来北口には長らく飯能プリンスホテルが入居していたが、2012年に撤退し今は「ホテル・ヘリテイジ飯能sta.」に代わっている。飯能市も市内の西武鉄道も、時機を逸したような事業が目立つように思う。

ここから東飯能まで距離がないため、そこまで歩いて今日の到達点としよう。

16時17分 飯能市栄町

イメージ 24

飯能市街は道路の整備水準が低い一方、交通量は多く渋滞が慢性化している。歩くには少々、身の危険を感じるような町中だ。土曜日の夕暮れ時、帰宅するハイカーを乗せた快速急行が目の前を通過していく。

飯能短絡線用地が合流し、八高線と寄り添うとその先が東飯能駅

16時21分 飯能市東町

イメージ 25

東飯能駅は1999年に橋上駅舎が新設され、西口が西武鉄道の管理となった。駅ビルには丸広百貨店東飯能店が入居したものの2006年に撤退、同百貨店飯能店が移転開業する前のこのころは空き家となっていた。

この駅を出ると線路はいよいよ山越え区間に突入していくわけだけど、果たして踏破は可能なのかどうか、正丸峠は越えられるのか。本当に不安になってきた…(笑


次の記事


この旅の記録