高麗・巾着田 コスモスの散歩道(2017/10/12)

だいぶ出遅れたけど、高麗ならまぁまぁ近いので。

清瀬から小手指、飯能と乗り継ぎもよく、高麗に到着したのは13時前。曼珠沙華のシーズンを過ぎ、駅前にハイキング客の姿はほとんどない。

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踏切を渡って国道沿いのコンビニで昼食を調達、それから巾着田への道を下っていく。「台の高札場跡」(復元)の小さな辻を右折すると、その突き当たりに「水元の碑」と続く史跡ロード。江戸期にはそれなりの通りだったのか、確かに石垣の様子とか渋くはある。

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曼珠沙華の人波が去った今、この道は地域猫ロードでもあったりする。民家の庭からニャーと声を上げ計3匹…。追いかけられても、出すものがない(笑

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世の中は遠足シーズンらしく、巾着田をぐるっと囲む高麗川の河原には、小学生の一団が訪れていた。そこに巻き込まれるのはイヤだけど(笑、天気になってよかったね。

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土手から見渡すと、水色の空の下コスモスのピンクがきれいに広がっていた。巾着田曼珠沙華の時期が過ぎると、入れ替わるようにコスモスが満開を迎える。

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昨年は度重なる台風の襲来に、ことごとく破壊されたコスモス畑。晴天に恵まれた今年も、その影響か作付け面積を大幅に減らしているそう。背景にもやっと白いものが浮かんでいるけれど、これはエクトプラズムじゃなくて野焼きの煙(笑 長閑だなぁ。

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畑に下りて、こひつじとコスモスのさんぽ道的な。

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巾着田は曼殊沙華の名所にはなっているけれど、コスモス畑はそれほどメジャーではない。おかげで、のんびりとした巾着田のシーズンオフが楽しめるとも言える。

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一輪ぐらい残ってないかと曼殊沙華の林に踏み込むと、そこはすっかり緑の絨毯と化していて…。でも、木漏れ日のスポットライトに照らされて、煌めくその絵も意外と悪くない。

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緑の中のベンチに腰掛け、ちょっと遅めの昼食タイム。じりじりしていた空はここで一転、にわかに厚い雲に覆われて、風に肌寒さを感じるほどになってきた。

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巾着田を一周(3/4周かな?)すると、その終点付近に木製トラスの「あいあい橋」が架けられている。1996年に完成した比較的新しい橋で、かつてこの地で盛んだった林業の記憶を残すべく木橋にしたという。とは言え、木材は阿蘇から取り寄せたものだそうだが。

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橋を渡って巾着田と別れると、その先にあるのが「高麗郷民俗資料館」。古い公民館を活用した無料施設ということで、中身はお察しながら立ち寄ってみる。

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展示は主に、市内の家庭で保管されていた家事や仕事の古道具を、手当り次第(笑)収集してテーマ別に並べた感じ。まぁ資料館と言うか倉庫と言うか…物によっては陽に晒されながら展示されていたりする残念な状態。

個人的に興味を持ったのは、昭和初期と思しき飯能市周辺の地図。吾野止まりの「武蔵野線」や、今はなき天覧山駅など…。これもひどい状態だけど、まさか原本ではないよねぇ?

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資料館のあとは、巾着田の北側にある「高麗郷古民家」へ。江戸時代後期から明治時代の築という母屋をはじめとした、名士の邸宅が保存展示されている。

とは言え、2012年に全体的に改修され、市民へのレンタルスペースに業種替えをしたようで、妙に新しいしあまり感動はない。土蔵は二階まで開放されてるけど中には何もなかったり(笑、民俗資料館同様、どこを向いてるのかよくわからなかった。

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高麗駅への帰り道。ふと「地域猫ロード」を思い出し、コンビニでおいしそうなカツオを調達してみる(笑 ほらほら、警戒してないで寄りんしゃい。

…過去のブログ見て気づいたよ。この猫と、一昨年も会っている!

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のんびりムードの高麗駅に戻ったのは、15時過ぎのこと。下り方に秩父山地が迫る、関東平野のどん詰まり。違和感は、8世紀に渡来人が拓いたという歴史にも関わらず、史跡が江戸期以降のものばかりなことかな。

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こんどはちょっと、勉強してから訪れてみよう。もちろん、猫餌も忘れずに…(笑


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