岩手・遠野 普通の田舎の特別な旅(2014/12/29~2015/1/1)その6

4日目 遠野→東京(1/2)

元日の朝は、7時過ぎに起床。9時前にレストランに下りると、入口あたりで「お雑煮お作りしますか?」と声がかかったのでお願いする。せっかくなのでお正月らしさが出るように、珍しく和食中心のメニューをチョイス。

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新年の朝日が降り注ぐ中での朝食…。たづくり、なます、このあときな粉餅も追加して、結果けっこうお節っぽい感じになった。

何か写真が淋しいと思ったら、こぴよ連れてくるの忘れたねぇ…(笑

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9時前に部屋へ戻ろうとすると、レストランのスタッフに「二日間お世話になりました」と頭を下げられる。お世話になったのはこっちだけど、この一言は本当に気持ちよかったなぁ。

部屋のアンケートにお礼を書いて、限りなく元通りに片付けてからチェックアウト。ロビーでは晴れ着のスタッフが甘酒のサービスをしていたので、自動車の運転に支障ないことを確認のうえ(笑)頂戴する。宝くじもチェックアウトの際に頂いたもの。

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車に荷物を置こうと駐車場に出ると、昨夜屋根の下に停められなかったため、半ば雪に埋もれた状態に…(笑 借りた時に後部座席にブラシが入っていたことを思い出し、とりあえず放置してホテル周辺を歩くことにする。

ホテル裏手の南部神社へ。階段が凍っているため、滑らないよう一歩ずつ…。

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混雑を心配した南部神社だけど、地元の人がぱらっぱらっと訪れるだけで甘酒のテントも手持無沙汰…。新年最初のおみくじは「末吉」。自分より先に結ばれたおみくじは、すっかり雪の帽子をかぶっていた。

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今日は青空の下、きらきらと輝く遠野の町。

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山を下りて、遠野駅方面へ歩いてみる。蔵造りの街並は今日はどこもお休み。こぴよとスノーマンは、何をお話しているのだろう。

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春には様々なイベントが行われる、蔵の道ひろばから。遠野は当然のことながら、どの方角を見ても背景は灰色の山。山には黒い雲がかかっており、だから盆地の天気は油断できない。

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駅前通り(民話通り)から見る遠野駅。今日は誰も、除雪なんてする気もないんだろう。

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昭和の時代からほとんど変化はないだろう、懐かしい駅前風景。

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水道の仕切弁もカッパ、カッパ、カッパ…。

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ホテルの駐車場に戻って、運転に必要な最低限の雪だけ払って11時半ごろ出発。今回の旅で行こうと決めていた「飢饉の碑」を目指し、市街地を北西に抜ける。車輪がパウダースノーを踏む「さくっ」という感触が、足元から伝わってくる。

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こんなありふれた田舎の風景が、自分にとっては特別なんだよ。

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黒い雲は、来なくていいけれど…。

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「飢饉の碑左折」の標識を見て、真っ白な上り坂の道に折れる。進むだに雪が深まる道を雪だまりに突っ込みながら、それでも空転を繰り返しつつ上っていく。でもこの光景を見た瞬間に確信した。これ以上進むと戻ってこれないって(笑

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切り返しをしようにも路肩の雪にはまって進退不能となりそうなので、先ほどの交差点まで延々とバックで引き返す。やっと坂を下りきったところで、路傍になんだか石碑というか「それらしい石」を発見…。ここだったんだ(笑

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長い年月の中で碑の表面は雨に削られ、また遠野市の案内板も色が飛んでしまいそれぞれ解読困難な状態に。それでも目を凝らして読んでみると…。

「宝歴5年(1755年)、6年とつづいた大飢饉には、領内の人口の三分の一にあたる4300人が餓死をしました。その犠牲者を供養するため、宝歴7年にたてられたのがこの碑です」

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たびたび飢饉に襲われたという遠野の里、ただただ祈ることしかできず、時には自らの手で「口」を減らさざるを得なかった当時の人々の胸中は、いかほどだったのだろう。

時刻は12時10分。遠野盆地での観光はこれまでにして、昼食を取りながら盛岡へ向かうことにする。

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真っ黒な空の下、真っ白な道を行く。


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