旧岩崎邸庭園と気まぐれな空(2015/7/23)

朝出るときは雨除けの傘の心配をしていたのに、いつしか日傘が必要な青空に…。

湯島駅付近から始まる春日通の「切通し坂」は、江戸の頃に湯島の台地を切り開いて作られた。湯島天満宮と旧岩崎邸に挟まれたこの坂に漏れる灯りは少なく、その情景を石川啄木は「二晩おきに夜の一時頃に切通の坂を上りしも 勤めなればかな」と詠んでいる。

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今は湯島四丁目となったこの地域は、1965年まで「切通町」を名乗っていた。掲示板裏手の切通公園と、エアコン室外機が目立つ「湯島ハイタウン」までも、かつては広大な岩崎邸の敷地の一部だった。

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現在の旧岩崎邸庭園の正門は、坂下から交差点を折れたひっそりとした一角にある。無機質で圧迫感のある「湯島ハイタウン」だけれど、1969年の完成当時は高さ45mの高層マンションは珍しく、魅力的だっただろう。

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干からびたアジサイを横目にスロープを上がり、窓口で入場券を購入。すると目の前にはすぐ、1896年に建てられた英国ジャコビアン様式の洋館が立ちはだかる。園内の歴史的建造物は国の重要文化財となっており、保護のため内部が撮影禁止なのが残念だ。

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生活空間として使用されていた和館は、洋館と渡り廊下で結ばれている。この和洋が「不連続に連続」する様が、何だか日本人的で面白い。和館は1969年ごろにその大部分が取り壊され、今は大広間だけが当時の面影をとどめている。

今日の天気はけっこうめちゃくちゃ。青空から大粒の雨が落ちてきた。

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旧岩崎邸の敷地は元々越後高田藩榊原家の中屋敷だったものを、1878年三菱財閥初代の岩崎弥太郎が購入したもの。戦後のGHQによる接収、国有財産化後の敷地供出等を経て、2001年に都立公園として開園した。

庭園は本邸建築の際に池を埋めたて芝庭とされており、いわゆる「庭園的」な灯篭等は、外縁部に僅かに残される程度となっている。

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芝庭北端のログハウス風の建物が撞球室、つまりはビリヤード場となっている。当時ビリヤード場を持つことは、それなりのステータスだったのだろう。洋館とは地下道で連結されており、外観のみ公開ながら左手の開口部よりその様子が窺える。

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「庭園」として見る向きには物足りないかもしれないけど、明治日本の建築文化という観点ではなかなか興味深い。不忍池や上野公園が目と鼻の先という好立地で、今日も外国人観光客を何組か見かけた。

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しかしこの天気は…。降ったり、照りつけたり、暴風に傘を裏返されたり。出かけるときに想定していたタイトルは、「旧岩崎邸庭園と梅雨の戻り」だったのになぁ…(笑


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