惜別品川区! 戸越銀座食べ歩き(2015/9/5)その3(終)

約1.3km続いた戸越銀座商店街、これが最後のゲート。

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ゲートをくぐった先は三ツ木の商店街、この商店街が連続する様が何とも品川区らしい。ただ三ツ木通り自体が人の流れとかけ離れており、沿道は完全に住宅街の佇まいだ。

このあたりになると大崎も近く、民家の頭越しに再開発された高層ビル群が姿を現す。

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夢を乗せた超特急はもう、50年もこの街を見下ろしている。

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商店街から右手に折れて、戸越公園へは住宅地を歩いて5分ほど。熊本藩細川家下屋敷の庭園跡を利用した公園で、1932年に当時の所有者だった三井家から荏原郡荏原町に寄贈された。戦後一部を学校用地に転用しながら、区立公園として段階的に整備がされている。

現在の正門となっている薬医門は、1992年に再建されたもの。

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園内は江戸時代の回遊式庭園の風情を残しているけれど、敷地は大きいとは言えず、あくまで庭園でなく公園という理解がいいのかな。敷地を分け合った戸越小学校や都立大崎高校とはフェンス1枚仕切られただけで、東急大井町線の線路も隣接して見え、要は俗世間とひどく近い(笑

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池にはこんな金色の子がいたり…。戸越公園はお花見の名所ということで、その時期に来てみれば印象もまた変わるかもしれない。

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あまり展望の利かない築山の上で、食べ歩きの総括と行きますか…。おいしかったのは「焼き小籠包」、肉汁には十分注意だけど料理としてしっかり完成されている。「おでんコロッケ」はネット上では人気だけど、普通におでん買ったほうがいいと思った(笑

残った分は、温め直して家で食べよう。

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戸越公園の向かいには2013年、「文庫の森」が新たにオープンした。ここは、2008年に立川市に移転した国文学研究資料館の跡地を整備したもの。旧来の建物の一部と池が保存され、あとは芝生広場となって今日も多くの親子連れで賑わっている。

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敷地の片隅にはかつての三井文庫第二書庫が、防災備蓄倉庫を兼ね残されている。一度だけ仕事で立ち入った時に見た広々とした空間を思い出すけれど、今はフェンスと緑の木々に囲まれひっそりと余生を送っている。

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大崎高校の脇を歩いて、戸越公園駅へ。

もともとこの地域は、白蛇の伝説に由来した「蛇窪」という地名で呼ばれていた。その後1932年の東京市編入を機に「神明」と改められ、さらに現在では豊町、二葉という二つの町名に変わっている。今でも下神明は駅名に、蛇窪は貨物線の通称にその面影を残す。

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ここで引用しておきたいのが、1945年の戸越公園駅を記録したこの写真。(「戸越公園駅」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』)

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そしてこれが、焼け野原からの復興を果たした現在の姿。しかし、この踏切を含む道路は20m幅への拡幅が決定しており、この風景もまた急ピッチで変わっていくんだろう。

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転居先にもろもろ持って行ってしまったので、出かける時にバッグがむすび丸のトートしかないことに気付いたのだ。ちょっと恥ずかしいと思ったけど、商店街で買い物する分には使い勝手はよかった(笑

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この旅の記録