惜別品川区! 古戸越川を歩く(2015/10/24)

荏原町の部屋を引き払って、「つけ麺町田」にて最後のランチ。ここのラーメンははじめてだけど、どろっとしたスープはまさに町田のつけ汁そのもの。定番の餃子は肉汁たっぷりで、数ある店の中でここのがいちばん好きだった。

イメージ 1

荏原町を後にして、大井町線で2駅の戸越公園で下車。最後に、前から気になっていた水路跡を歩いてみよう。

イメージ 2

現在の地形に大正末期の水路の一部を落とすと、だいたいこの地図のようになる。戸越公園から反時計回りに弧を描き、大井町線やその他各線と蛇のように絡みながら目黒川に流下するのが、古戸越川。もう流れは失われているが、一部に流路の痕跡が残る。

イメージ 3

お祭りで賑わう戸越公園を抜けた、公園の南東角のあたり。右手の木立のあたりから道路を渡って左手へと、かつて水が流れていた。

水源だった戸越公園の池の水は現在では循環使用されており、越流した際にはこの道路に敷設された下水道管に落とされているようだ。現在の下水道の経路と水路跡とはイコールではないけれど、概ね旧戸越川沿いに流下し最後はやはり目黒川に注いでいる。

イメージ 4

住宅地の角を左手に折れると、そのすぐ先から水路跡が始まっている。

イメージ 5

旧水路は大井町線をくぐると、「らしい」緩やかなカーブを描きながら続いている。ただ大正末期の地図だとこのあたりは2本の水路が平行しているところで、もしかしたら古戸越川は左手の住宅地の中たったのかもしれない。

道路はこの先で白い仮囲いの中に取り込まれ、そこからは街路事業用地となっており痕跡は完全に失われる。

イメージ 6

一旦水路敷を離れ住宅地を歩いていくと、道路は大井町線をくぐったすぐ先で横須賀線のガードに突き当たる。このガードの向こう、右手奥の舗装された広場状の敷地から再び水路敷の路地が始まっている。

イメージ 7

ここからほんの束の間ながら、雰囲気のある曲がりくねった路地が続く。ただこの道、下神明駅から戸越公園方面の抜け道となっており案外人通りは多い。

イメージ 8

その下神明駅前の通りに残された、古びたコンクリートの欄干。いい加減な保存状態ながら、「古戸越橋」の4文字が今でもはっきりと読み取れる。

イメージ 9

昭和8年2月完成というこの橋梁。日本最古の鉄筋コンクリート橋が1903年の試造と言われており、この橋梁の架設はそのわずか30年後の出来事だったのだ。当時はけっこう、ハイカラな存在だったのかもしれない。

イメージ 10

古戸越橋を越えて「ゆるく」封鎖された下流側に入ると、水路敷は蓋架けの暗渠に変わる。右手には公園の擁壁が続き、そして水路上は民家の洗濯物干場としていいように使われている。ほんとこの先は、写真を撮るのもはばかられる風景だった(笑

イメージ 11

民家の軒先を忍び足で通過して、辿り着いたところは行き止まり。なるほどね。

イメージ 12

近くの湘南新宿ラインのガードには、「蛇窪」「古戸越」とかつてを彷彿とさせる文字が刻まれている。「語感が悪い」という理由で消滅した「蛇窪」の地名とか、こういう古いのを使い続けるのは国鉄か警察署だと思っている。

この先も水路敷は途切れ途切れに続くけど、探索はこのあたりで切り上げることにしよう。

イメージ 13

もうしばらくは来ないであろう、しながわ中央公園へ。今日は親子連れの影も少なく、ぷりんな噴水も傾いた陽射しの中でゆっくりした時間を過ごす。

イメージ 14

そして総員集合、というか…。

イメージ 15

三年ちょっと過ごしたこの街とも今日でお別れ。さぁ新しい街では、どんな思い出を積み重ねていこうかな。


惜別品川区!関連の過去記事