街歩き(都内)
千葉県に来たの久しぶり! 東京から一歩出た程度だけど、北多摩からこのあたりはひどく遠く感じる。
東日本大震災から7年目のこの日。7年かぁ…。 新橋駅を降りて、駅で見た地図を頼りにリバーサイドへ。道路が広く横断歩道が少なくて、歩道橋上がらないと行き止まりだとかいろいろとトラップが…。
最近すっかりコンビニ生活。高いけど、おいしい。おいしいけど、高い?
ぼっとしているうちに、今年も「残渣」になってしまったじゃないか…。
暖冬の影響で例年より早かった開花宣言から8日目、ここ新宿のソメイヨシノもぽつぽつと開花を迎えていた。
昨秋まで暮らしていた荏原町。昼下がりながら、商店街を行き交う人は少なくない。3年間を過ごした部屋も、今では新しい住民が新しい暮らしを始めたみたいだ。
曇ってきちゃったなぁ。
昨年は「残渣」だったので、今年は意識して早く来てみた。
久しぶりに青空の広がった昼休み。
荏原町の部屋を引き払って、「つけ麺町田」にて最後のランチ。ここのラーメンははじめてだけど、どろっとしたスープはまさに町田のつけ汁そのもの。定番の餃子は肉汁たっぷりで、数ある店の中でここのがいちばん好きだった。
おにぎりがあったので、久しぶりの外(ソト)食で。
旗の台駅に降り立ったのは、世の中が連休に入った秋晴れの午後。
新馬込橋を渡ったあたりから両側には切り立った谷が迫り、古道に接続する区道には急勾配の警戒標識が並ぶ。この地形が入り組んだ様子から、古の人は馬込を「九十九谷」と呼んだ。
昭和7年の道路地図に、松原橋で交差する計画線が環七通りと第二京浜。荏原町の南、「馬込町」と書いたあたりは真っ白だけど、これは当時耕地整理事業中だったからだろう。このエリア、当時道らしい道は「中通り」と呼ばれるオレンジ色の線1本だけだった。 何…
約1.3km続いた戸越銀座商店街、これが最後のゲート。
戸越銀座商店街には、2箇所の案内所が設置されている。ここで聞いてみるのもいいけれど、店頭で配布している商店街のマップと歴史や概要を記した「戸越銀座物語」を読むだけで、だいたいのことはわかっちゃうかも。
3年間ほぼ毎日利用した、隣の駅に手が届くような大井町線の日常風景。
休みを取って新宿に来るというのも、なんだか損したような不思議な気分。新宿アイランドの木陰に落ちる、激しい蝉しぐれ中…。
朝出るときは雨除けの傘の心配をしていたのに、いつしか日傘が必要な青空に…。 湯島駅付近から始まる春日通の「切通し坂」は、江戸の頃に湯島の台地を切り開いて作られた。湯島天満宮と旧岩崎邸に挟まれたこの坂に漏れる灯りは少なく、その情景を石川啄木は…
なんだか急に暑くなった。街はすっかり真夏の匂い…。
実に11年ぶりの合同庁舎。
午前中ふと窓外を眺めると、そこには45度の角度で流れて行く白い何か。まともな雪もなく越したこの冬、いや4月になってこんなんなるか。 昼には小降りになって、写真には何も写っていないけど。
「序」を書いたきりで、少し気になってはいた(笑
すっきりと晴れ渡った空。
午後になって、雨が上がった。
大井町駅から続く、東急大井町線の高架は耐震補強工事中。高架下の店舗は工事に場所を明け渡していて、これを機に廃業を決めた店もあるみたい。
朝出かけようとしたら、外は大粒の雪! 池上線は避けて、地下鉄で五反田まで出て出勤。池上線は、雨でもすぐ混乱するからねぇ。 西新宿の高層ビルから、山手の街並を。
ありふれた街、新宿(笑 サザンテラス周辺で11月から始まったイルミネーションも、クリスマスをもって大方が終了し、2月25日まで僅かな残り火がくすぶっている状態。スイカのペンギンのライトアップとか、なんで見にこなかったんだろう?
予定になかった東京駅に降り立ったのは17時前。社会人当初この街に勤めていたものの以降来る機会もなく、そう言えば復元された丸の内駅舎も見てないなぁと思ったのが動機。 やけに綺麗になった地下街に驚きつつ、階段を上がり丸の内北口方面へ。
だいぶ前に届いたけど、まだ開いてない「Lマガ」。 FCはまぁ継続するんだろうけど、なんかこう明るい話題がないというか。小谷野ダメ、ナカジもダメで、監督も代わらない中でどこに起爆剤を求めるかという…。郭は楽しみだけど、まだ育成が必要だと思うし…