国道駅(2015/8/15)

終戦の日国道駅というのは、まぁ多少の意味はあるんだよ。

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時刻表と合わなかったため、鶴見駅西口から徒歩で鶴見線をトレースしていく。ちょっと寂れたスナックなんかが並ぶ高架沿いを歩くと、右手に広大な敷地を持つ總持寺の参道。一方高架下は耐震補強なのだろうか、ところどころ仮囲いがされている。

この付近には1942年まで「本山駅」があり、線路の間に今もホームが残されているものの、地上には一切それを感じさせるものはない。

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鶴見線はここから左カーブで東海道線を越えていくため、徒歩ではその先の花月園前踏切を利用することになる。しかしここ、横須賀線京浜東北線東海道線に貨物線の4複線が走るうえ、その先に京急の複線の踏切もあってちょっと生きた心地がしない…。

いやまぁ、このすぐ右手に京急花月園前駅に直結する歩道橋もあるんだけど。

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踏切を渡り少し歩くと、道路はその先で国道15号にぶつかる。このあたりは完全な埋め立て地で、東海道線も、京急も、国道も、陸地の伸長とともにその敷地を確保してきた。東京方面を望むとすぐ先に、国道を越える鶴見線のガーダー橋が見える。

その交点付近に位置するのが、その名も鶴見線国道駅」。

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線路すぐ右手のくすんだコンクリート建築は、駅ホームと一体となった商店の跡。今では老朽化が進み剥落対策の金網が張られているが、その外壁に刻まれた傷跡は、1945年5月21日の横浜大空襲における機銃掃射によるものという。

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高架下は昼なお暗い商店街、しかし多くの店舗は既にベニヤで塞がれており、営業を継続しているのは3店舗程度か。1930年の開業当時としては、駅直結の「モダンな」商店街といったところだったんだろう。

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この不動産屋ははたして営業しているのだろうか…。国道側入口に位置するこの店舗だけど、壁にはやはり無数の銃弾の跡が刻まれている。

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国道駅はもともと、鶴見臨港鉄道が鶴見(仮)駅~弁天橋駅開業に際し設置したものを、1943年に戦時買収で国有化したもの。鶴見駅での唯一の高架ホームという疎外感や、国道駅の当時としては意欲的なつくりも、私鉄として開業した故だろう。

駅を国道の反対側へ抜けてみると、そちらは少し落ち着いた雰囲気か。右手に写る青色のトラスは、ホーム延伸にあたり後補されたもの。

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そしてそのすぐ先で、線路は鶴見川を渡っていく。橋梁下から下流を眺めると、遠景には東電横浜火力発電所の2本の煙突。

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駅に戻り、簡易Suica改札機にタッチしてホームに上がる。開業から85年、大きな改築はされていないというこの駅。ここも国鉄っぽくはない屋根のつくりだけど、これも3両編成の電車に対し1両程度しか備えられていない。

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ちょうど海芝浦行きが来たため、予定してなかった「最も海に近い駅」への往復を敢行。再び国道駅へ戻ってきたころは、すっかり陽も傾いた18時前になっていた。けっこう日が短くなったよね。まだ夏だけど、こういう時に物寂しさを感じてしまったりもする。

こひつじも記念撮影しときます?

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上りホームから階段を下りると、途中で一旦商店街を渡ることになる。そこから見下ろす風景の、何とも言えない香ばしさよ…。駅というよりは、「洞窟」に近い印象かもしれない。

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帰りは花月園前から京急に乗車。今日は六郷の花火大会とあって、京急川崎~六郷土手までの一駅間だけ大量の乗車があった。気がつけばもう8月半ば。猛暑日に気を取られている隙に、夏はこっそりと秋への引継ぎのタイミングを計っているような…。


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