東大和南公園(2017/11/25)

小川駅を発車した西武拝島線は、右へ直角に向きを変えると、しばらく一直線の線路を飛ばしていく。拝島線の小川~玉川上水間は、現在の玉川上水駅近くにあった日立航空機立川工場の専用線として、1944年に急ごしらえで敷設されたもの。

平行する青梅街道沿いの、短冊状に区画された農地を横切るロケーションもあり、かなり整理された今でもこの一区間には17もの踏切が並んでいる。

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正面に続くあぜ道が小川第7号踏切を渡る私道で、その奥にある教習所の建物右手の敷地内が、1953年に米軍輸送機が墜落し当時最多129名の死者を出したまさにその現場である。1950年代はこの多摩地区でも、毎年のように米軍機の墜落事故が起きていた。

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すっかり秋色に染まった玉川上水駅で下車。

多摩モノレールの開業で南北交通の結節点となったこの駅だけど、あたりの雰囲気はベッドタウンそのもの。駅前の一角を占める都営住宅の間を勘を頼りに歩いていくと、5分ほどで東大和南公園に辿り着く。

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紅や黄に色づいた園内は、体を動かす若者や親子連れが目立つ平和な風景。そんな中、今日お目当ての物件はあっさりと見つかった。

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旧日立航空機立川工場変電所。1938年に開設された同工場の給電施設として建設され、その後米軍による接収の期間を経て、最終的には小松製作所関連会社の工場の施設として、機器を入れ替えながらも1993年まで変わらず職務を全うした。

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終戦を目前とした1945年前半、工場は3度の空襲に遭い、この建物も壁面に機銃掃射や爆弾の破片による無数の傷が刻まれた。工場全体では110名以上の死者を出したという。

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建物裏手に回ると電線類が顔を出し、こちらのほうが変電所らしい佇まい。周辺には碍子や設備類がオブジェとして配置されているほか、費用の問題で取り壊さざるを得なかった工場の給水塔のごく一部もモニュメントとして保存されている。

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「平和な国のこぴよ(たち)」って歌なかったっけ?…「子供たち」か。たぶん穴井夕子(懐

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現在は毎月第2日曜日に、内部の公開をしているとのこと。今日も扉が開いていて、「物理的に」入ろうと思えば入れる状況だったけど…。まぁ人目が多いからね。

団地越しの空に奇跡を描く、飛行機雲。

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公園という、幸せな空気に囲まれたかつての軍需工場施設。自らの老朽化も進む中、どんな気持ちでこの風景を見つめているのかな。崩れ落ちそうな外壁をはじめ、これから先さらに大規模な修復工事が必要だと、東大和市のホームページでは主張されているけれど。

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秋の日は釣瓶落とし。16時過ぎだというのに、すっかり夕やみに包まれた玉川上水駅。北口広場中央の交通島には、「米軍大和基地の碑」というものが据えられているそうで…。帰ってから知ったので、見に行かなかったし、まぁいいかなという。

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モスバーガー玉川上水店に入店。「とびきりハンバーグサンド<薫るベーコン&クリーミーポテト>」(580円)、もろもろ足すと1,000円を超えてしまう。でもベーコンに存在感があって(確かに「薫る」んだ!)、まぁ高いだけのことはあったのかな。

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いやなんか、平和だなぁ。


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