不時に舞う桜と吉野(2017/4/15~16)その1

1日目 東京→飛鳥・橿原(1/2)

旅立ちを決めたのは2日前のこと。桜のタイミングと、天気のタイミング、これが最高に難しい。その天気も、晴れ間が覗くかどうか予報では微妙なところ…。

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品川経由ばかりだったので、何だか久しぶりの東京駅。友達におすすめされていたお弁当を売店で見つけ、さらに朝っぱらからアルコールもあわせて購入。次々と新幹線が入ってくる品川駅も壮観だけど、電車が旅人を待っている始発駅の雰囲気はやっぱいいね。

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「のぞみ105号」は、9時50分に東京駅を発車する。それにしても今日の東京は、ものすごい青空。今日は東京でお花見してた方が、案外賢いのかもしれない(笑

品川を過ぎたあたりで、満を持して「品川名物 貝づくし」(980円)を開封。新幹線品川駅開業に際して、「名物駅弁を作ろう」という強い意気込みのもとに開発されたというお弁当。ボリュームたっぷりな茶飯の上に、敷き詰められた具材はというと…。

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蛤、あさり、しじみ、貝柱、焼き帆立はご飯とよく馴染み、また煮物を中心とした付け合せも、やっつけ感がなくていい。これがまたワインと合うのだよ。

東京での青空も、関が原を越えたあたりで一転大雨に。白く霞んだ近江盆地、川沿いに植えられた桜のピンクが、車窓を賑わしてはくれるけど…。

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しかし、そんな雨も京都ではすっかり上がり、厚かった雲も次第に切れてきた。車販のコーヒーで口直しをしていると、12時23分、列車は青空の新大阪駅に滑り込む。

地下鉄御堂筋線天王寺に出て、近鉄南大阪線のターミナル大阪阿部野橋へ。ここで2両編成の近鉄特急に乗り換え、日射し降りそそぐ大和路を南へと向かう。ネット購入時には最後の1席だったわりに、車内はわりかし空席が目立つかな。

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カーブが多い路線を、のんびりと走っていく近鉄特急。沿線には古墳が点在し、これらを避けて線路を敷いたために線形が悪くなったという。橿原神宮前到着は13時45分、飛鳥まで特急券を持っていたものの、神宮参拝を思い立ちここで降りることにする。

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694年に藤原京が置かれ、710年に平城京に遷都されるまで日本の首都だった橿原市。その多くは火災で失われ、当時を振り返るものは多くはないようだ。

1923年に開業した橿原神宮前駅は、藤原京から南に外れた場所に位置している。駅舎は大規模なものではないが、関西を起点に活躍した建築家、村野藤吾の設計で、神宮の表玄関にふさわしい佇まい。

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ロッカーに荷物を預け、駅からほど近い橿原神宮へ。吉野の桜と絡めて観光客多いかなと思っていたものの、参道に人影はそれほどでもなく。「はにわ」を取り扱う土産物店が多いけれど、これってどのぐらい需要のあるものなんだろう?(笑

しばらく歩くと現れる、神宮の鳥居。奥に続く参道も、手前の駐車場も、第一印象はとにかくだだっ広い!

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橿原神宮自体は藤原京と直接の関係はなく、神武天皇の宮があったとされるこの地に神宮をという、民衆の請願を受けた明治天皇畝傍山の麓の皇有地を下げ渡し、1890年に創建されたものだという。

有名な神社なわりに比較的歴史は浅く、それ故に境内はすっきりとして一層広く見える。

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南神門をくぐり神域に入ると、白い玉石が敷き詰められた広場と社殿が現れる。通常立ち入れるのは外拝殿までで、今日は特別展で回廊の一部が開放されている程度。そういう点では格式高いと言うか、少々出し惜しみが過ぎると言うか(笑

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参拝をした証に、初めて御朱印帳(1,000円)なるものを買って、最初のページに御朱印(300円)をいただく。御朱印帳はシンプルなデザインで、背面に「橿原神宮」と金文字で入れられている。この御朱印帳が翌日大活躍することを、僕達はまだ知らない(笑

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敷地の西端には「深田池」という大きな水面が広がっていて、池畔はちょっとしたお花見スポットになっている。最高気温が25度に迫る今日の関西地方、上着なんて着てたら汗かいちゃうよ。

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一旦駅まで戻って、近鉄で2駅の飛鳥駅に降り立ったのは15時34分。この地を訪れるのは16年ぶりになるけれど、前回は大雨の徒歩行だった。そのリベンジと思っていたのも束の間、空にはまた厚い雲がかかってきた。

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神宮参拝で時間が押したため、ちょうど発車間際だったバスに飛び乗り「亀石」近くの野口まで連れて行ってもらう。走り去るバスの背中がちょうど亀石のラッピングだったということに、この日記を書いていて気付いたわ(笑

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その亀石は、幹線道路から少し入った畑の中に、16年前と変わらず鎮座していた。いや、変わっていたら大変なことで、南西を向いたこの亀石が西を向いたとき、大和盆地は泥沼になるという伝説があるのだ。まぁこれだけ変化がなければ、当分は問題ないかな…(笑

飛鳥にはこんな石造の史跡が多く散在するが、今日は限られた時間でそれを拾って歩いてみることにしよう。

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飛鳥の地は、聖徳太子が摂政となった593年から、藤原京に遷都するまでの102年の間、古代日本の都として栄えた。ただ、当時の「飛鳥」は飛鳥川東岸の狭い範囲を指したようで、西岸のこのあたりは過去も現在も変わらず郊外の農村地帯となっている。

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聖徳太子が建立したとされる七つの寺のひとつ、橘寺へ。とは言え、時間と天気と入場料(笑)を勘案して境内には立ち入らず…。それよりか、あたりに咲く花たちと背後に迫る山々を絡めた、こんな風景に古代飛鳥の息遣いを感じないだろうか。

そして、ここでついに、ぽつりぽつりと雨粒が落ち始めた。

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とりあえず、今日の目的地として設定していた石舞台古墳まで急ぐことに。飛鳥川沿いの徒歩道を上ると、次第に雨は本降りに変わっていく…。しかしそんな雨も、川を渡り石舞台を囲む園地に入るころには再び上がって。

16年前は整備中だったんだよな、もっと殺風景だった記憶がある。

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石舞台は桜の向こう。この結界を破るには、別途250円の入場料が必要(笑


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