東北 記録と記憶の旅(2013/5/2~6)その2
2日目 盛岡→北上
ホテルの朝食。全体的に普通だけど、わさびシューマイ6個がポイントかも。
10時過ぎにチェックアウト。盛岡駅前のニッポンレンタカーへ。何かのツアー?とあたってしまったのか、窓口混雑で20分ぐらい待つ。文句や嫌味を言っているおじさんグループもいるが、もう少し広い心でいたいもの。
盛岡市街を抜け、国道455号を三陸方面へ向かう。山を分け入っていくと、沿道には放置された家屋が目に着くようになる。盛岡市の旧玉山村というところらしく、沿道で見かけた外山小学校は全校児童が何と4名…。
樹海ロードに突然現れる、立派な早坂トンネル(3,115m)を抜け岩泉町へ。道の駅「三田貝分校」は、実在した分校跡を活用した施設。食堂が「給食室」とか、そういう系のお店かとも思ってしまうが…(笑
地元の短角牛を使った串焼き、お土産のレトルトカレーとフラワーリースを購入。分校時代の資料も置いてあって、思わずしばらく立ち読みしてしまう。本当に昔って、子供がたくさんいたんだねー。
分校をあとに、日本三大鍾乳洞「龍泉洞」と思ったものの、あまりの人出と強風に挫折。3年前の土砂災害から不通になっているJR岩泉線の終点、岩泉駅へ行く。龍泉洞と対照的に、こちらは人っ子一人いない…。
廃止の検討をはじめた岩泉駅のホーム。この花たちが再び列車を見ることはあるのだろうか。
真新しい道で山中を抜け、道の駅「たのはた」で小休止。ここからはじめて三陸の海を見る。リアス式海岸らしく、遠く逆三角形に見える海は本当に穏やかだ。売店で盛岡ベリーのソフトクリーム購入。いや、今日はすごく寒いんだけど(笑
三陸沿いの町、三陸鉄道の小本駅へ山を下りる。震災被害により、この駅より北の三陸鉄道は未だ復旧していない。駅前広場が暫定的に、代替バスの待機場所となっていた。
小本駅を後に、ここからは三陸海岸を南下する。はじめに眼前に広がる被災地が、宮古市の田老地区。「世界最大の防潮堤」を擁しながら、油断もあったのだろう、大きな被害を受けてしまった。
震災後、住民の8割以上が高台移転に賛同したという事実は、インフラに頼った津波対策の反動もあろう。市の復興計画も、高台移転が真っ先に位置付けられている。しかし何より、人が戻ってくるかどうかが問題だ…。
宮古駅へ。宮古駅の待合室には、西武鉄道からの応援パネルが置かれていた。そういや、メッセージ募集してたもんな。 手作り感溢れるパネルは、温かみがあっていい。
しかし駅の運賃表は、山田線釜石方面が白い紙で隠されていた。
三陸海岸をさらに南下、今日最後の目的地、大槌町へ向かう。悲惨な津波がニュースでもくり返し流された大槌町。大槌駅は辛うじて壊れたホームが残っているが、どこに線路が走っていたのかすらわからない。
ナビに映し出される街並みの面影すら、目の前の風景にはない。
大槌町の復興計画は、JR山田線の内側をすべて盛り土するというなかなかドラスティックなもの。そもそも平地が狭いし、移転に適した高台もなければ、こういう青写真しか描きようがないのかもしれない。
時刻は17時。今日は三陸に泊まりたかったが、宿がなかったため内陸の北上まで戻る。北上駅は思いのほか閑散としており、構内の「そば処はやて」にて、そばと海鮮丼のセットで夕食。なぜここに来て、赤羽駅レベルの食事をしなければならないのか(笑
新幹線が来たからって大都会になるわけでもない。それが東北の新幹線なのかなーとか思う。
ホテルッメッツ北上にチェックイン。晩ごはんがアレだったので、早くもお腹が空いてきた(笑 東北の町はどこか侘しい、だけど旅人はそれを求めて北に向かうのかもしれないね。
しぷーん。
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