函館・松前 過去と未来を紡ぐ旅(2015/5/15~19)その4

3日目 松前(1/2)

8時起床。9時前に2階のレストラン「四季」にて、洋食バイキングの朝食。「洋食基本セット」(笑)を押さえた上で、中央奥に函館らしく塩ラーメンをプラス。右奥のかぼちゃのポタージュがおいしかった。

イメージ 1

10時チェックアウト。今日もすっきりとした青空だけど、風が嵐のように吹き荒れ、函館地方は強風注意報発令中とのこと…。写真に風が写らないのが悔しい(笑

イメージ 2

やっとの思いでロータリー向かいのニッポンレンタカーに辿り着くと、外装確認もそこそこに逃げ込むように車内へ…。勢いよく雲の流れる空の下、海岸線の国道を西へと走る。

途中、27年前に道内で初めて下りた上磯駅を訪問。まぁその時は寒すぎて、殺風景な橋上駅舎から一歩も出られなかったんだけど…。

イメージ 3

駅西側に立地する太平洋セメント上磯工場からは、積み出し用のパイプラインが函館湾内へと伸びている。海岸から見渡すそれは、まるで函館山を目指すバベルの塔のよう。

イメージ 4

海岸線を走る国道から、当別の集落の先で町道を右折。丘に上ると風景は一気に開け、真っ直ぐな杉とポプラの並木道に変わる。その遠い遠いいちばん奥の丘の上に、トラピスト修道院が姿を見せる。

イメージ 5

駐車場に車を入れ、桜に彩られたスロープを正門へと上る。修道院内部の見学は男子のみの予約制、それも日曜日はお休みと文字どおりの門前払い(笑 せめて門扉の隙間から、花と緑と修道院を捉えてみようか。

イメージ 6

締め切られた門扉の脇には観光客向けのちょっとしたギャラリーがあり、創設以来の院内の写真などが展示されていてこれはなかなか興味深かった。

門の外、と言っても広大な敷地には桜が咲き誇り、遠くには津軽海峡が横たわる。1894年の開院当時、ここは石ころだらけの荒涼とした原野だったという。「祈れ働け」のトラピスト精神の下、開墾されたのがこの大地なのだ。

イメージ 7

1902年にはオランダから乳牛が輸入され、それが道南における酪農の始まりだった。有名なトラピストクッキーやバター飴はここから生まれ、北海道を代表する銘菓へと成長した。

イメージ 8

桜、タンポポ、若草。こひつじもパステルカラーの世界で。

イメージ 9

気が付けばもう12時。ちょっと寄り道のつもりが、なんだか長居をしてしまったな…。

イメージ 10

国道は木古内を過ぎると、松前に向けた一本道となる。旧JR松前線とはほぼ同じルートを辿っており、時折現れる「跨線橋」と名付けられた小さな陸橋が、1988年までここにあった鉄路の記憶を留めている。

知内市街から国道は、海へと張り出した山塊を避け内陸へ峠越えのルートを選ぶ。5月も中旬ながら、眼前には白い雪を残した大千軒岳の姿が。

イメージ 11

峠を越えた国道は福島、吉岡と、青函トンネル工事で賑わった小さな町を辿っていく。国道沿いではところどころ、街路樹代わりの桜の花が目を楽しませてくれる。

イメージ 12

海に落ちる大地は次第に険しさを増し、国道はトンネルやロックシェッドでそこをくぐり抜ける。そして辿り着いたのが、津軽海峡に突き出した北海道最南端の地、白神岬。

イメージ 13

白神岬から振り返り眺める、断崖をへつる国道の姿。難所に挑むその姿は逞しくもあるが、自然の悪戯で一瞬にして消し飛んでしまうような、そんな儚さも感じてしまう。

白い波を立てる海峡の先には、20kmほど離れた津軽半島の影がうっすらと…。

イメージ 14

白神岬を回り込むと、海に落ちていた地形は比較的なだらかな丘陵地へと変化する。白神岬をトンネルで越えてきた松前線の橋脚と、丘の中腹に明瞭に刻まれた路盤跡が姿を見せると、松前の市街まではあとわずか。

イメージ 15

時刻は14時。ちょっと寄り道が過ぎたけれど、27年ぶりに訪れたここが松前の「入口」。斜め右が市街地を抜ける旧国道、直進がそれを迂回し海岸線を走る現国道。

イメージ 16

まずは直進を選択、町はずれの高台にあった旧松前駅を目指す。


次の記事


この旅の記録