惜別品川区! 旧東洗足駅から旧旗ヶ岡駅を歩く(2015/9/19)

旗の台駅に降り立ったのは、世の中が連休に入った秋晴れの午後。

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東急大井町線と池上線が交差する旗の台駅は、1951年に開業した。しかし、それぞれの路線が目黒蒲田電鉄池上電気鉄道という同業他社として開業した1927年時点では乗り換え駅は設置されず、「東洗足」「旗ヶ岡」という個別の駅を構えることとなった。

既に統合廃止から64年と時間は経っているけど、商店街に駅の残り香を求め歩いてみよう。

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旗の台駅南口を出て、大井町線に沿って中原街道方面へと歩く。荏原町から続く商店街の北端にあたる「稲荷通り」、たぶんこのへんがかつての東洗足駅前だと思うんだけど、何とものんびりとした昭和の匂いが漂ってくる。

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大井町線旗の台駅設置の後も、中原街道との立体化や急行運転に備えた駅改良工事と事業の手が加えられてきた。だからさしたる遺構もないんだけど、中原街道へ向け高度を上げる新しい橋台の右手前に、一段低く溝を刻んだ旧橋台が何気なく残っていたりする。

洗足駅は、この右手にあった、らしい。

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中原街道を跨ぐ、大井町線のガーダー橋。この道は中世以前からの古道であり、拡幅整備も「幻の東京五輪」と同時期の1942年にはほぼ完了していた。しかし大井町線交差部については遅々として進まず、その完成は東京五輪実現後の1966年まで下ることになる。

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かつて二つの駅の乗換えルートになっていたであろう、中原街道を都心方面に歩く。このあたりは立会川の谷の縁にあたり、道路は急勾配で一気に駆け下りていく。「昭和大病院前」交差点を右に折れ、中原街道の旧道に入る。

交差点の反対側、こんな「モダーン」な建築に時代を感じるなぁ。背景の煙突も。

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フラッグがあることで初めてそれとわかる「旗ヶ岡商店街」へ。1939年に中原街道が旧道落ちした後も、周辺の町工場や昭和大学病院への通勤客などで賑わっていたという。しかし、1951年の旗ヶ岡駅統合廃止以降は人通りも途絶え、商店も一つひとつ消えていった。

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クリーニング店の角を左に折れると、私道ながら違和感ありありの大通りに出る。正面に壁を作る東急のマンションが、かつての旗ヶ岡駅があったところという。

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マンションの手前を左に折れると、「子育て地蔵尊」が安置されている。商店街のホームページには「池上線開通の翌年に、地域住民が電車事故に巻き込まれないように…当時の目蒲電鉄株式会社と…」という、何だか間違い探しのような説明があるが…(笑

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台座にはうっすらと「昭和13年 目蒲電鉄株式会社」の文字が読み取れる。池上電気鉄道目黒蒲田電鉄に吸収合併され池上線となったのは1935年ことなので、1938年に安置されたのであれば辻褄が合うというもの。

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旧旗ヶ岡駅西側の踏切から、1989年に地下化された荏原中延方面を。右手の草生したスペースは明らかに下りホームの跡地だろうけど、構造物はその新しさと根入れの深さからして地下化の際に設置された擁壁だろう。

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踏切の脇には、まだ新しい花が活けられていた。「子育て地蔵の願い叶わず」と言ったところかな…。旗の台駅にほど近いこの踏切、しかし対岸の賑わいに比べこちらの侘しさはいかがなものだろう。

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今日が夕暮れの中で眠りにつき、街はその身に歴史を刻んでいく。


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