高麗・巾着田 一輪の曼珠沙華(2015/9/30)

すっきりと晴れた、9月最後の日。

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のんびり清瀬を11時半ごろ出て、小手指で乗り継いで飯能へ。後続の特急に道を譲ってから、白い電車に揺られ高麗に向かう。「『あの花』の電車」と、自分の中では勝手に呼んでいるけれど。

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高麗駅到着は12時22分。西武鉄道のウォーキングイベントと重なっていることもあってか、トーテムポールの立つ駅前は平日ながらそこそこの賑わい。客層としては高齢の夫婦が多いかな。

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食いっぱぐれる危険性があるため、駅前の「高麗駅売店」改め「高麗駅食堂」にて先ずはお弁当を調達。実際には国道沿いにコンビニがあったり、道中に「むささび亭」や「阿里山カフェ」と言った気の利いたレストランも立地していたりで、あんまりその心配はなさそうだったけど。

駅の法面には、ちょっと時期を外した曼珠沙華の姿が。

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駅東側の踏切から、国道を渡り巾着田へと坂を下る。周囲は普通の田舎の風景が続くものの、時々キムチの売店やハングルを見かけるのは、高麗が古代高句麗に由来しているためだろう。

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涼しいかと思い上着を着てきたけれど、陽射しも強く少し汗ばんできた。

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県道の鹿台橋で高麗川を渡る。現地で川原田と呼ばれる巾着田は、秩父山地から関東平野に流れ出た高麗川が作る半径300mほどの平地を言う。ここで高麗川は大きくΩ状に蛇行して流れ、正面の河原のあたりが「Ω」の右足元あたりになるところ。

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渡り切った先で右手に折れ、河原へと下りる。長い歴史の中での自然の作用により、Ωの内側にあたる左岸側には丸石の河原が広がり、一方右岸側は切り立った崖が形成されている。そして左手の堤防上の林地が、曼珠沙華の咲く公園となっている。

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開花期間中は有料の曼珠沙華公園ながら、入口にあるブースは本日無人のご様子…。不安を覚えつつ林地に足を踏み入れると、案の定そこは木漏れ日の落ちる緑色の世界。「満開の時期はすごいんだろうなぁ」と、足元を見つめ妄想を膨らませるのは不可能ではないけれど…(笑

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それでも場所によっては、うっすら赤い絨毯が残っていたり。曼珠沙華は秋に花をつけ、晩秋以降は細長い緑色の葉を放射状に伸ばし、そして春には枯れ果ててしまう。開花期間が一週間程度と短い花であり、咲き乱れる姿を見るチャンスは多くはないようだ。

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黒揚羽は、咲き残るわずかな花を探し蜜を集める…。

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堤防を越え林地を抜けると視界は一変し、そこには満開を迎えたコスモス畑の風景が広がる。広大な巾着田は大半は休耕田となっており、その一角を生かし季節の花が植えられているようだ。

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コスモス畑から望む、里山の風景。巾着田を含む高麗川谷口の一帯は「高麗本郷」と呼ばれ、まさに1300年前に高麗人が集団で移住し、1955年の旧高麗村消滅までその中心地となってきた場所にあたる。集落にはかつての暮らしを伝える、「高麗郷古民家」も保存されているそう。

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見上げる空に浮かぶのは、すっかり秋のうろこ雲。

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ここで草地にお弁当を広げ、ちょっと遅めのランチタイム。おにぎりと焼きそばという素朴な内容ではあるけれど、手作り感漂う温かくておいしいお弁当だった。ちょっと食べすぎたなぁとは、このあと反省することになるんだけど…(笑

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ふと視線を下げると、バッグに秋の訪れが…。

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昼食後は、公園の奥にあたる下流部へ。まぁ雰囲気はすごくいいから、切り替えて森林浴を楽しもうかな…(笑 巾着田曼珠沙華にはかつて「100万本説」と「500万本説」があって、近年になって調査した結果500万本と判明したというエピソードがあるそうな。

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彼岸花の俗称である「曼珠沙華」の名前は、サンスクリット語の「天界に咲く花」に由来する。霊が戻るお彼岸という開花時期に加え、毒性があり墓地に多く植えられていることも相まって、子どものころは恐怖心を持って遠巻きに眺めていたものだけど。

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たくさんの花たちと逢えないのが、今日は残念だなぁ。

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巾着田の東側には屋台村が開かれ、地域の名産品を扱い飲食店も多く並んでいる。なんだかお昼を食べたばかりだけど、誘惑に負け「栗こま娘本舗」の「巾着田まんじゅう(栗)」と「同(小倉)」(各300円)を購入。分厚い求肥に栗がごろっと入った、大きなお饅頭。

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さらに、埼玉B級グルメのグランプリを取ったという「高麗鍋」(300円)も購入(笑 「キムチ味」「地場産野菜の使用」「高麗人参の使用」が必須という高麗鍋、まぁキムチ鍋と思って間違いないんだけど、アツアツの汁にごろっと入った野菜がとてもおいしい。

いやさすがに、「巾着田まんじゅう(小倉)」は食べきれず持ち帰りにしたけどさ…。

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時間があれば高麗峠~天覧山と縦走していたと思うけれど(笑、日も落ちてきたところで素直に高麗駅へ戻る。巾着田を横断する畦道を歩くと、眼前には傾いた陽射しの中、高麗郷の原風景とも呼べる光景が広がっていた。

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当然のことながら、高麗駅方面はひたすらの上り坂。途中、川沿いの畑の一角に建つ「水天の碑」は、天保年間に繰り返された干ばつや洪水などの天災、また筏流しによる水難事故を鎮めるために建立されたものという。このような心配の少なくなった現代においては、半ば忘れられた存在となっている。

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そんな碑の傍らにいたのが、守り神のように精悍な風貌のお猫の姿。耳にV字カットがあるので、不妊手術済みの野良だろうか。ここで猫遊びに興じた結果、30分に1本の電車を取り逃がすことになる(笑

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8年前に辿り着けなかった「高麗石器時代住居跡遺跡」に寄り道しつつ、高麗駅へは16時過ぎの到着。イベント関係のテントも閉鎖され、駅前は来たときと打って変わった閑散とした雰囲気。トーテムポールに腰かけて、しばし白い電車の到着を待つ。

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16時24分発の飯能行きに乗車。飯能で乗り換えて所沢まで、ほぼ記憶が飛んでしまった…。

清瀬駅を降りたところで、改札正面のポスターを確認してみた。あ、ちゃんと曼珠沙華「見頃を過ぎました」になってるじゃん…(笑 でもポスターがあったから、期待しちゃったんだよなー。

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来年は真っ赤な絨毯に、逢うことはできるのかな。


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