美瑛・北十勝 晩秋と初冬が交錯する旅(2015/10/30~11/1)その4

3日目 帯広→東京(1/2)

7時前に起床。起きた時には快晴だと思った空も、時間の経過に伴い曇ったり晴れたりと不穏な様子…。見下ろす街路樹は強風に揺さぶられ、果たしてこの先どうなることやら。

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8時半過ぎから、10階のレストランでバイキングな朝食。メニューは和食中心で、洋食はわりと絞った感じかな。ご飯に豚肉をたっぷり乗せて、それでも食べ過ぎに気を付けたのがこのセレクション(笑

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10時チェックアウト。駐車場から車を出して、十勝平野4度目にして初めての北十勝へ。市街地を抜け穀倉地帯に出ると、どんよりしていた空も次第に雲が切れ、時に日が差すようになってきた。風は相変わらず強いけど。

車を止めて見上げた空には、ぽっかりと開いた青空のリング。

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防風林が色づく、晩秋の北十勝。この地域は2002年6月に訪れた暴風で農作物が大きな被害を受け、それから防風林の効果の再検証が行われた。整然と並ぶ防風林が農地をきれいに区画する姿は、その成果もあるんだろう。

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青空が気持ちよくて、ついついカメラも空を向いてしまう。

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さて、広々とした風景を直線的に貫いてきた「足寄国道」も、上士幌の集落を過ぎると次第に山がちになる。音更川の渓谷沿いに白樺林を上ると、それに並行して目くるめくコンクリートアーチ橋の饗宴が始まりを告げる。

まず眼下に現れるのが、最大32mのアーチで渓流を跨ぐ旧「第三音更川橋梁」。

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かつてこの谷沿いには国鉄士幌線が走り、多くのアーチ橋を駆使しこの先糠平を経て三股までを結んでいた。国道上には士幌線の遺構を案内する標識や駐車場が整備され、ゆっくり観察することができるようになっている。

こちらは唯一中央径間が鋼桁だった、旧「第四音更川橋梁」。

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国鉄士幌線は1925年の帯広~士幌間開業を契機に延伸を重ね、1939年に十勝三股に達した。木材輸送で活況を呈した時期もあったが次第に斜陽化、1978年には早くも糠平以北をバス代行とし、1987年に全線廃止されている。

糠平温泉の手前で国道を右に下りると、旧糠平駅跡に「上士幌町鉄道資料館」が整備されている。門に掲げられた「開館中」の文字に踊らされ建物に近づくと、そこには「休館中」の札がかかっているというこのデレツンぶり…(笑

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糠平駅から次の幌加駅付近までは、1955年に糠平ダム建設に伴う路線の付け替えが行われた。廃線後、両駅付近では観光トロッコが運転されており、そのためわずかながら線路も残されている。

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糠平を過ぎると沿道は、携帯も届かないほぼ無人の地帯となる。1960年代に国道が延伸されるまでは、この地域は鉄道が唯一の交通手段だったという。国道の延伸により、人々は鉄道に代わる新たな「道」を手に入れた。

そんな中にある旧「三の沢橋梁」は、高欄が設置され遊歩道として開放されている。ここは湖畔に下りるルートも用意されており、たぶん「公式」には唯一見上げで眺められる橋梁となっている。

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湖畔から見渡す糠平湖。何人かの釣り人が、静かに糸を垂らしている。ダム建設以前は、当然一帯は山林だったんだろう。付け替え前の士幌線旧線も、この水の中を走っている。今となってはそんな絵は、全く想像できないなぁ。

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糠平湖からダム周辺の起伏を越えると、意外にも国道は平坦な快走路に変わる。そんな路傍にちょくちょく現れる標識を見るたび車を停め、丹念にコンクリートアーチを拾っていく。

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小ぶりな旧「五の沢橋梁」。草木が茂る夏場には、ちょっとした宝探しになるに違いない。

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そしてこの廃線跡のハイライトと言えるのが、路線付け替え前の旧線上に存在する旧「タウシュベツ川橋梁」。水位の低い夏季のみ姿を現し、冬季は水中に没することから、「幻の橋梁」とも呼ばれている。展望台から見渡すと、はたして「幻」は辛うじて水面から頭を覗かせていた。

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この橋梁は湿潤を繰り返すことで劣化が進み、朽ちかけたアーチがローマの遺跡を連想させるという。夏季には近くで鑑賞できるツアーが開催されてはいるものの、はたして構造物自体があとどれだけ持つものなのか。

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タウシュベツ展望台を過ぎると観光客は一気に減り、入れ替わるようにヒグマ出没に注意を促す看板が増えてくる。そこここに転がる糞はとりあえずエゾシカのものだけど、沿道には確かに「野生の山林」の気配が漂ってくる。

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うーむ。


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