道東・道北 原点の旅(2007/8/23~26)その3
3日目 網走→稚内
6時ごろ起床して、8時にはチェックアウト。今日も青空の広がった、網走の町へ。
今日から2日間のルートは、2年前にだいたい辿った道でもある。その時は羽田で一日に二度飛行機に乗り遅れることで(思い出しても悲しくなるな)スケジュールが乱れ、さらに写真から興味を失っていた時期だったため記録がほとんどない。
そんな思い出を回収するために、今回の行程をセットした。
一旦網走駅の様子を覗いてから、市街地とは網走川で隔てられた網走刑務所へ。
網走川を渡るこの橋は「鏡橋」といい、ここを渡る人は清流に写った自分の姿を見つめ、襟を正してから対岸の地を踏んでほしい…そんな思いがこの名に込められているという。今は何度か架け替えられ、コンクリートの味気ない橋となっているが。
襟を正して対岸へ渡ると、左手には高いレンガの塀が続く。せせらぎの小道を少し歩くと、網走刑務所の代名詞とも言える赤い正門が現れる。1983年に再築されたこの正門は、丸みを帯びたかわいらしい風貌がまるで修道院のようだ。
門のはす向かいには所内で製作された工芸品の売店もあり、周囲に植えられたたくさんの花も相まってなんだかテーマパークの雰囲気。ただ周囲はひっそりと、落ち着いている。
そうそう、写真の右手に見えるのがニポポの公衆電話!
さて、今日もなかなかの強行軍なので、網走観光はこれぐらいで切り上げることにする。
網走市街を抜けて北へ北へ、最果ての地を目指す。網走市郊外には湖沼や牧草地など北海道らしい風景が転がっているが、その中のひとつ能取岬は、冬季は流氷が押し寄せアザラシが群れる景勝地。緑の牧草が揺れる今日の岬は、波も低く穏やかな雰囲気で。
その岬のそばにあることから名付けられた能取湖は、秋にはサンゴ草の大群落で湖面が真っ赤に彩られる。8月末といえば北海道では夏休みも終わったころ、眼前の風景もだいぶ赤色がかってきていた。
この湖畔にはかつて、網走と湧別とを結ぶ旧国鉄湧網線が走っていた。1983年に廃止され、路盤はサイクリングコースに転用されているが、それにしてもこんな風景を眺めながらの旅路はいかなるものだったろう。車だとどうしても、急いた旅になってしまうから。
往時の湧網線は網走を出ると能取湖沿いを右に半円を描き、オホーツクに突き当たると内陸方に反転し、そして今度はサロマ湖を右手に湧別を目指していた。水産工場の並ぶ中に架かる新しい橋を越えると、正面に雄大な水面と長い砂嘴が見えてくる。
自動車の通行は付け根にあるワッカネイチャーセンターまで。ここで馴れないレンタサイクルを借りて、おっかなびっくりしながら(笑)砂嘴の先端を目指す。
未舗装のサイクリングロードは進むほどに緩く、ペダルの重さに次第に汗が滲みだす…。砂の上は花園だったり、森になっていたりいろいろだけど、とにもかくにも奥深い。遠い北海道の地で自転車と格闘している自分が、なんだか滑稽で笑いが込み上げる。
地図で見ると海と湖とに挟まれた細長い岬、でも実際の印象はとにかく、広い。
往復自転車を漕いでたっぷり1時間、車に戻るとしばしエアコンをかけクールダウン(笑 目的地はまだまだ先、ここから一気に加速しないと。
サロマ湖を離れ湧別、紋別と市街地を過ぎると、海岸線の風景からは次第に高木が消え、地被類中心の荒涼としたものに変わる。右手にオホーツクと、左手に旧国鉄名寄本線廃線跡の築堤が並行して続く。オホーツク海岸は、すっかり廃線の宝庫だ。
時折り広がる風景の中には、のんびり草をはむ乳牛の姿とか。
興部の町に辿り着いたころには13時半になっていた。
かつては鉄道路線が三方に伸びていたこの町も、駅跡は「道の駅おこっぺ」とだだっ広い空き地に変わり、汽車が行き来していた時代の面影はあまりない。道の駅併設の「鉄道歴史展示コーナー」を眺めても、なんだか現実感がなくって。
海岸線をさらに北上し、興部から伸びる興浜南線の終点だった雄武駅へ。とっくに昼時は逃していたものの、辛うじて駅跡の「道の駅おうむ」でコロッケ2個を買えたので、これをもって昼食にする。何の変哲もない屋台のコロッケだけど、お腹空いてるからねぇ。
国道は時に小さな丘を越え、右手にオホーツクを眺めながらなおも海岸線に続く。外はだいぶ風が強まってくるとともに、明らかに植生が貧しくなっていくのがわかる。
「カニの街」枝幸は、雄武まで伸びるはずだった興浜北線の終点だった町。北見枝幸駅跡はバスターミナルに転用されているほか、記念碑や公園、旧線敷の道路は「興浜線通」という名称がつけられているなど、わりと大切にされているように思う。
そんな通り沿いにある「駅前食堂」、これって当時からのものなのだろうか…。
市街地の北すぐには、1,300年前の溶岩が奇景をつくる「ウスタイベ千畳岩」があるが、時間がないのと北海道の風景に馴れてきたのとで(笑、もうこのぐらいでは感動しないかな…。一応、写真だけは貼っておくけれど…(笑
日が暮れる前に急げ、急げ。
浜頓別の集落から道を誤って内陸に入り、海岸線とは打って変わった稚内市南部の牧草地帯を行く。すっかり夏が通り過ぎた、ここ道北の地。
やがて高原の道は大きなカーブで坂を下り、ついに宗谷湾へと突き当たる。
海岸線の国道をゆるやかなカーブで宗谷湾を回り込み、宗谷岬到着は17時過ぎ。何とか日のあるうちに辿り着いたそこに待っていたのは、観光バスがもたらした久々の喧騒と「日本最北端の地」の碑。
稚内市街からここまでの宗谷湾沿いはほぼ無人地帯が続くが、宗谷岬の周辺には「最北端」を謳ったお土産屋や観光食堂が何軒か並んでいる。そういった店が、逆に「場末感」を醸していたりもするのだが…。
それにしてもやっぱり、風が強い、強い。
土産店背後の丘へ、階段があったので上ってみる。すると風景は一変し、そこは見渡す限りの牧草地。北海道でよく見るナマコのような形をした丘は、遠い昔の氷河の作用で作り出されたもの。どこもそうだけど、丘の下と上とでは見事に風景が違う。
東京まで1,106km、レンタカーの走行距離も1,000km近い。ついに来たよ。最北端。
最果ての丘から見下ろした風景。港の方には、小さな集落はあるみたいだ。
次第に日が暮れていく中、今日の宿泊地となる稚内市街へと向かう。稚内駅には18時半ごろの到着、もうあたりはすっかり暗くなっていた。ここで駅レンタカーを返車して、無事故でここに辿り着いたことにほっと一息。
駅からは商店街を南へ歩いて、2年前にも宿泊した「ホテル喜登」へのチェックインは19時前。窓から眺める稚内の夜景。稚内の古くからの市街地は、稚内と隣の南稚内両駅の間に南北に細長く伸びている。だから、どこからでも海が近い。
そう言えばこの日、晩御飯をどうしたかは記録がないんだよなぁ。
明日は最終日、気楽にのんびり列車の旅だ。
タイムスケジュール(3日目)
8:00 チェックアウト
8:05~8:15 宿泊先→網走刑務所
8:25~8:45 網走刑務所→能取岬
8:55~9:50 能取岬→能取湖
10:15~10:35 能取湖→ワッカネイチャーセンター
11:30~13:20 ワッカネイチャーセンター→道の駅おこっぺ
13:35~13:55 道の駅おこっぺ→道の駅おうむ
14:10~15:10 道の駅おうむ→北見枝幸駅跡
15:20~15:30 北見枝幸駅跡→千畳岩
15:35~17:05 千畳岩→宗谷岬
17:30~18:20 宗谷岬→稚内駅
18:30~19:00 稚内駅→宿泊先「ホテル喜登」
次の記事
この旅の記録
日高地方関連の過去記事
サロマ湖関連の過去記