妙見島(2018/5/19)

千葉県に来たの久しぶり! 東京から一歩出た程度だけど、北多摩からこのあたりはひどく遠く感じる。

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今日の目的地は、「東京23区唯一の島」と言われる妙見島。都県界の旧江戸川に浮かぶ中州で、行政区的には東京都江戸川区に含まれる。

1947年の空中写真。旧江戸川をはさむこのあたりはもともと、水耕と漁業の町だった。右岸側は水運の要衝として市街化されており、浦安橋で地続きとなっていた妙見島も同じような土地利用がされていたのがわかる。

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小じゃれた浦安駅から10分も歩くと、やがて道は旧江戸川を渡る浦安橋の橋詰に達する。浦安橋が最初に架かったのは1940年で、現橋は1978年に架け替えられた二代目。この橋の途中に、妙見島へと下りるランプが設置されている。

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橋から見下ろす島の姿は、実に殺風景なもので。島のまわりは高い防潮堤がぐるりと取り囲み、ウォーターフロントの気分はまるで感じられない。そして土曜日にも関らず、多くのトラックがこの島に出入りしている。

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浦安橋から階段を下りると、護岸の裏側に親切にも案内図が下がっていた。アスファルト工場に産廃処分場…一般向けの施設は「ニューポートマリンクラブ」ぐらいか? それでもとりあえずは、一般人がここを歩く理由があっただけでもよかった。

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道は島の東岸を南北に結ぶ1本だけ。まずは北へ向かって、堤防中段の歩道を歩く。この正面突き当りがマリンクラブで、左手は大型トラックが行き交う車道を挟んで、島の反対側まで工場の敷地が広がっている。

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この妙見島に限らず江戸川区の南部は、かつて「陸の孤島」と呼ばれる公共交通不毛の地だった。1915年に開業した城東電車(後に都営化)や、入れ替わりで開業したトロリーバスの終点は、ここから北へ3kmほども離れた今井橋の袂に置かれた。

そんな東京の田舎町に、都心直結の地下鉄東西線が開業したのは1969年のこと。以降本格的な市街化が進み、今では田園地帯だった当時の面影は完全になくなっている。

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マリンクラブを回り込むと、そこに初めてまとまった規模の住宅が現れる。工場内に立地する社宅のようだけど、店の一軒もない殺伐とした環境の中での生活は自分だったらいやかな…。住宅の足元には、島の名前の由来となった妙見神社が窮屈そうに鎮座する。

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島の北端付近の護岸はまだ嵩上げが終わっていないため、やっとここから旧江戸川の川面に対面できる。高度成長期の地盤沈下の影響もあって、次第に地面と水面は隔絶されていった。

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この先の月島食品の工場で道路は途切れるため、来た道を引き返すしかない。浦安橋をくぐった南側には「休憩アリのホテルと、その脇に民家が数軒。そこから先は護岸とフェンスが、やはり行く手を阻んでいた。目いっぱい伸びあがり何とか手を出して、護岸の上から東京都側の風景を…。

ほど近い「本土」は、辛うじて水運の町の名残があるように思えた。

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以前から気になっていた妙見島訪問は、何ともあっけなく終わった。

再び橋を渡り、浦安駅へと向かう。かつてコンクリートに固められる前の妙見島は、少しずつ千葉県側へ流れていたと言われる。中州なのでありうる話だけど、今となってはすっかり思い出話。

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浦安橋を下りたあたりの「猫実」(ねこざね)という地名が、猫好きとしては気になった(笑 鎌倉時代に大津波の被害を受けた住民が堤防を築き、その上の松の根を波が越さないように願った「根越さね」が語源とか。このあたり何故か、ウィキペディアがめちゃ詳しいんだけど(笑

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「ねこみ」の方がかわいいなぁと思ったのは、まぁどうでもいいお話。