北海道 ハコダテサマーと道南縦断の旅(2013/9/5~7)その3(終)

3日目 小樽→東京

7時ごろ起床、とりあえず天気は大丈夫そうだ。にしても、クマの出そうな森。

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ホテルの朝食は、別棟の「銀座ライオン」でのバイキング。予想はしてたけど、なんか「ビールのおつまみ+α」という感じだった(笑 リゾートホテルとしては工夫した朝食な気もするけど、中途半端な感じは否めずだね。

10時ごろ出発。キロロリゾートを後に、国道を小樽方面へ。途中、毛無山の展望所から、これから向かう小樽の市街が一望できる。ここから眼前の港町まで、470mの標高差をヘアピンカーブで一気に駆け下りていく。

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南小樽メルヘン交差点にほど近い堺町の駐車場に車を入れたのは11時ごろ。ここから小樽運河にかけての1kmほどは、歴史的建造物や店舗の連なる小樽観光の中心的な地区となっている。函館山もそうだったけど、韓国語の団体客が多いね。

小樽運河は放置され環境悪化が進んでいたものを、1980年代に一部埋立てのうえ再整備したもの。観光地としてこの周辺ばかり注目されるけど、海手の裏通りや北運河のあたりも、手つかずの港町の雰囲気が残っていて良い。

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裏に入れば人通りは少ない。

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昼食は…。お腹の調子から「うに丼!」という気分でもなかったので、小樽駅前の「西や」にて。遥かオホーツク、紋別に本店を構えるラーメン店。13時台だけど土曜日だからか、広い店内に客は自分だけ。「味噌バターコーンらーめん」900円也をチョイス。

見た目がきれいで、おいしそうなラーメン。スープは思いのほかマイルドでまとまった味、中太ちぢれ麺との相性は良い。角切りのチャーシューもひとつのポイント。見た目ほど量はなく、最初から替え玉を想定しておいた方がよかったかも。

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小樽駅前通り(セピア通り)の眺め、海に向かって一気の下り勾配。かつての小樽と札幌を結ぶ鉄道はこの坂の下にあった。現在の小樽~南小樽間のS字の線形は、後になってこの区間を接続開業した経緯による。

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南小樽まで1駅戻って、再びメルヘン交差点へ。倉庫を改造した六花亭、北菓楼が仲良く軒を連ねる。六花亭の2階はテーブル席が用意されており、シュークリームやソフトクリームを購入すると無料のコーヒーとともにその場で楽しめるようになっている。

シュークリーム(カスタード)80円を2個購入。1個はその場で食べる用、1個はこひつじ用(笑 それから、1階に下りお土産選び。ストロベリーチョコの小袋のものがなかなか重宝。六花亭は価格もお手ごろだよね。

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そして3人に狙われるシュークリーム。ひよこがすごい顔してる(笑

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時刻も16時近くになったところで、千歳空港に向かうことにする。 空の様子もすっかり怪しくなり、札幌を抜けたあたりから雨模様。さらに道央道走行中ゲリラ豪雨に見舞われ、前方視界がほとんどないまま辿り着いた千歳付近で道路冠水…。

南千歳のインターチェンジで道に迷いながら、18時前にニッポンレンタカーの営業所に到着。ここ、予習しておかないと道が複雑でわかりづらいんだ。送迎バスで空港入りは18時ちょうど。ロイズのキャンペーンで天井からチョコレートがぶら下がっている…。

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出発便まで2時間半あるので、荷物を預けたうえで広い空港内をウインドーショッピング。実は、いろんな店で同じのを売っているだけだったりするんだけど。それからANAのラウンジに入って、時間までVAIOで日記を書いたりゆっくり過ごす。

20時30分発羽田行き082便、帰りもプレミアムクラス。先ほどの豪雨を降らせた積乱雲の影響か、離陸後も揺れてなかなかシートベルトのサインが消えずやきもき(笑 今夜のお食事は蟹ご飯、すすきのの料亭「川甚」監修とのこと。

壱の重:帆立鍬焼き、野菜焼き浸し(大根、小玉葱、ズッキーニ、パプリカ)、ほうれん草土佐和え、蛸柔らか煮、里芋、南瓜、牛蒡と人参の金比羅、海老団子、インカ芋、三升漬/弐の重:蟹ご飯(蟹、舞茸、油揚げ、人参、錦糸玉子、五三竹、新生姜、三つ葉

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こぼさないよう味噌汁を早めに空けるも、「揺れてきましたのでお気をつけください」とおかわりを注いでくれるサービスに脱帽(笑 フランスワインは思いのほか辛口で、でもおいしかった。機内の時間はあっという間。

羽田着は若干遅れて22時10分ごろ。大井町方面のリムジンバスが23時までなかったので、珍しく京急をチョイス。いつも快特に乗れれば京急でいいんだけど、エアポート急行とか遅くてイライラしてくるもので(笑

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朝食の卵とベーコンを買って、帰宅は23時20分ごろ。この時、パンを買い忘れてることに気付かなかったんだよなぁ(笑 片付けもそこそこに就寝。翌日から闘病生活が始まろうとは、この時は夢にも思わなかった(苦笑


この旅の記録