函館・松前 過去と未来を紡ぐ旅(2015/5/15~19)序

かつて本州と北海道を結ぶトンネルのなかった時代、青函間にはJRによる鉄道連絡船が運航されていた。青函トンネル開通と引き換えに廃止になると聞いて居ても立ってもいられず、祖父の遺品のカメラを提げて子供の分際で一人旅に出た。

1987年12月31日 東京→青森

池袋の旅行センターを2週間前に訪れ、連絡船唯一の指定席となるグリーン席を確保。冬休み期間中の空席は元日しかなく、大晦日の旅立ちとなった。この時発券された周遊券ほか5券片が、何故か完全な姿で残っている。回収しなかった上磯駅員さまさまだ(笑 

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上野駅を10時過ぎの高崎線に乗って、途中高崎、水上、長岡と乗り換えつつ新潟着は17時ごろ。そこから大阪始発の特急「白鳥」で、訪れた闇の中を青森目指して走る。

新潟で購入した夕食の「コシヒカリ弁当」を食べ終わると、車窓の風景も何もない退屈な時間が訪れる。帰省客でごった返していた「白鳥」も、数十分ごとに停車する日本海岸の駅で少しずつ乗客を減らしていく。

青森が近づくと、車内には連絡船の旅客名簿が配られる。緑色がグリーン席用で、右肩に「特」があるのが特急接続用。「特」の乗客には連絡船の優先乗船権があった。

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23時50分、青森到着。ストーブの焚かれた待合室で、しばし連絡船の乗船を待つ。時は大晦日の深夜、室内では若者達がテレビを見ながらカウントダウンで盛り上がっていた。

1988年1月1日~2日 青森→函館・松前→東京

連絡船1便「十和田丸」は0時30分に青森港を出航。「お名残」による混雑を危惧して取ったグリーン席は、列車のものより遥かに広く、リクライニング角度も65度と深く、まるでベッドのようで仮眠には十分なものだった。

しばらくは物珍しく船内を探索し、公衆電話から自宅に連絡したりと初めての経験を楽しんでいた。しかし、船が意外に揺れるため席に戻り目を閉じると、次に目を開けたときは既に函館港が間近に迫っていた。

函館港到着は午前4時半。当時の函館駅ホームは現在より桟橋方に続いており、船上からは待機する札幌行き特急「北斗」の姿が見下ろせた。

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下船すると一旦待合室に入り、始発が動く時間まで待機する。だいたいみんな取る行動は同じで、江差線の始発列車で上磯まで往復して時間をつぶす。こんな経過で、北海道での初めて下車駅(改札外)が名も知らない上磯駅になったという。

再び函館まで戻って、7時7分発松前行きの始発に乗車する。列車は江差線江差行きと併結運転で、途中の木古内で分割される。ここから先、松前松前駅までの区間は、1月末をもって連絡船より一足早く廃止される。

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道中若者(笑)に話しかけられたりしながら、終点松前までの2時間半を過ごす。知内町内で交差する海峡線の高架橋を曇った二重窓から眺めつつ、列車は9時37分終点の松前に到着。乗客のうち、駅から町に消えて行ったのはごく少数だった。

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この先への延伸を睨んで、町はずれに設置された松前駅。さらに正月の早朝という時間帯も相まって、駅周辺はひっそりとしている。

冬の海峡を渡る風は強く、冷たい。列車を待つ客の多くは「三久駅前食堂」軒下で駅の写真だけ撮って、あとは折り返しの1時間ちょっと駅舎内に籠城する。

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駅のある高台から見下ろす津軽海峡。海辺を行く国道の新道はこの時点で開通しており、市街地は山側に平行する旧道沿いに続いていた。

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城と桜の名所、松前松前線は春を待つことなく、もうじき廃線を迎える。

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折り返し11時6分発の函館行で、来た道を引き返す。さすがに疲れが出たか、車中ではほとんど眠っていたような…。往路と同様に、木古内江差線の列車を連結。上空には既に、津軽海峡線用の架線が張られている。

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右手に広がる函館湾、その先に函館山がぼんやりと浮かべながら、列車は13時48分函館駅に到着。当時駅本屋への階段はホーム中ほどにあり、南西端に位置する連絡船の桟橋とは、ホーム屋根上に延々と続く連絡通路で結ばれていた。

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帰りの青森便までの1時間強、駅周辺だけでもと思って外出するも、旅慣れない中降雪の不安もあって結局駅へ引き返す。最低限、駅舎の姿だけカメラに収めておく。

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駅舎脇に鎮座する、津軽丸大錨とD51の動輪。頭上には「れんらく船のりば」の標識が掲げられている。

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15時ちょうど発の上り20便は、往きと同じ十和田丸。20分前から乗船開始、旅客名簿を乗換改札の箱に入れ(実は往路は入れ忘れた…)、桟橋への長い通路を行く。辿り着いた桟橋のタラップは、何だか有機的なものを感じさせる。奥には函館山がちらっと…。

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グリーン席を確保してあったものの、帰りはほぼデッキや船内を歩き回って過ごす。アッパーデッキは人気の記念撮影スポット。このシンボルマークは客船それぞれに6種類あって、個人的には大雪丸のくまさんがお気に入りだった(笑 十和田丸はオーソドックスに、十和田湖の風景。

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それから船内食堂「グリル十和田」にて、「海峡ラーメン」(750円)の昼夕食を。記録が残ってないけど、ホタテやカニの脚が乗った塩ラーメンだったと思う。

食事後は売店を物色。ポストカードとか、下敷きとか、少ない小遣いで手当り次第に買った記憶がある(笑 船長のサインカードは、オレンジカードと抱き合わせだったんだっけ…? それにしてもこの旅行の思い出は、未だにほとんど捨てていない。

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青森港到着は18時55分。名残惜しかったものの、上野行き夜行急行「八甲田」のいい座席を確保するため、いわゆる「桟橋ダッシュ」に参加する(笑

青森駅の第1岸壁はホームのすぐ脇にあり、やっぱり曇った窓の外には、停泊中の十和田丸が薄ぼんやりと浮かんでいた。このあと列車が浅虫温泉に停車したあたりまで何となく憶えているけど、次の記憶は翌朝の「おはよう放送」だった気がする…。


後日、松前駅で申し込んだ「さよなら松前線」記念乗車券が、国鉄業務用のとんでもない封筒で送られてきた(笑 松前駅入場券、千福きっぷ(千軒→渡島福島)、大吉きっぷ(渡島大沢→渡島吉岡)のほか、松前城が絵柄のオレンジカードが納められている。また裏面には、松前らしく8種の桜も紹介されている。

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駅前だけに留まった函館・松前の再訪を心に期していたものの、しばらく一人旅の機会にも恵まれず相当な時間が経った。函館は12年後に再訪を果たしたが、松前は27年間、ずっと頭の片隅に引っかかったままだった。

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そして今回、その時が来た。旧松前駅、ここを目指す。


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