富岡製糸場(2017/10/13)その2(終)

明治維新以降、生糸の輸出を国策に掲げる政府にとって、その大量生産と品質確保は喫緊の課題だった。そこで西洋の技術を取り入れるべく招聘した「お雇い外国人」が、ポール・ブリュナというフランス人技師だった。

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そんな彼が家族やメイドと暮らした「首長館」(ブリュナ館)は、高床の回廊にレンガの赤が鮮やかな軽快な印象。しかしこれはほんの「氷山の一角」であって、裏に回るとその規模と雰囲気の違いにあっと驚かされる。

確かにこれ、外国人の待遇が良すぎて経営を圧迫していたというのもわかる気がする。

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一方で、日本各地から集められた女工たちは、それでも当時としては上々の待遇だったらしい。開業当時の寄宿舎は敷地の北端あたりにあって、6畳一間の116室が用意された。

「六畳敷に六尺の押入れ二ヵ所…三人四人と部屋が決まりました」(「富岡日記」和田英)

1875年末にブリュナとの契約が切れ、さらに製糸場自体が三井財閥に払い下げられた1893年になると、寄宿舎は敷地の南端に移り、主を失っていた首長館は女工たちの夜学校に転用されたという。

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現在は「鏑寮」「榛名寮」の2棟のうち後者だけが残されており、首長館と並べるとその格差がよくわかる。間取りは20畳以上の大部屋4部屋で、開業当時とは大きくコンセプトが変わったものだ。

製糸場はその後、原合名会社、現在の片倉工業と引継がれ、1940年にはさらに奥に「浅間寮」「妙義寮」の2棟が増築された。その後は通いの労働力の増加もあって、新たな寄宿舎は建てられていない。

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場内にはこのほか、食堂、診療所などの福利厚生施設から、幹部用の一戸建てに至るまで様々な施設が詰め込まれていた。長崎の「軍艦島」ほどではないけれど、この「オールインワン感」ないし「ごった煮感」が、工場らしさを醸していて素晴らしい。

ただもう一つでも、立ち入れる施設があればなぁとは思う。

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工事中の西繭置所は、ヘルメット代(200円)の追加で工事を間近に見られる見学施設が整備されているほか、特別公開なんかもあるよう。まぁ今回は、いいかなと。

現在は一周90分ほどの建物群と、小さな売店がある程度だけれど、西繭置所の整備完了の暁には、観光客が滞留できるような場所も用意されるらしい。

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こひつじ写真は、首長館のバルコニー右手から潜入させ正面からパチリで、今回はこれが限界(笑

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帰るころになって、今さら雨が上がってきた。

鉄道利用は僅かだったものの、ツアーバスで訪れる団体客が多く、場内は思いのほか賑わっていた。正門前の商店街はシャッター通りながら、最近開店したスイーツなカフェ(笑)だけは満席だったりと、世界遺産4年生、受け入れる側はまだまだ脱皮中だ。

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上州富岡駅に戻ったのは15時過ぎ。記念になるものは…と思い窓口を覗いたところ、「富岡しるく記念きっぷ」(1,000円)なるものがあったのでとりあえず購入。係員に「しるくですか?」と聞き返され、一瞬戸惑った(笑

この高崎と下仁田を結ぶ上信電鉄もまた、製糸場や三井財閥との関わりが少なからずあるのだけれど、その話はまた別の機会があれば…。

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40分ほど電車に揺られ、高崎到着は16時12分。「たかべん」で駅弁を選んでから、何の気の迷いか(高くて、遅い)特急「草津4号」のグリーン車に乗り込む。温泉帰りの家族連れを起こさないよう、「上州牛肉弁当」(1,200円)の開封はひっそりと…。

上州牛のやわらかステーキ、上州牛のしぐれ煮、錦糸玉子、花人参、舞茸の佃煮、野沢菜のわさび漬け、がり生姜、赤パプリカ、キヌサヤ

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厚みのあるステーキは柔らかくジューシーで、肉を食べたい気持ちにしっかりと応えてくれる。駅弁も追加料金で、「肉ダブル」とかできればいいのに(笑 「たかべん」のメニューには「上州牛ステーキ膳」(2,700円)なるものもあるけれど、さすがに駅売りはしてないみたい。

そしてお土産?は、こんな程度。「見学乗車券」は券売機で買ったから味気ないけど、窓口ではしっかりしたものが買えるよう。なお製糸場の売店は、あんまりピンと来なかった。

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列車は18時9分、終点上野駅の地下ホームに到着。こんな季節だし、雨中のお出かけはしっぽり疲れる。


この旅の記録