2015-01-01から1年間の記事一覧
カンガルーとパンダを連れて…。これで東横特急乗るのはちょっと恥ずかしい(笑
仕事の山場を越え、打ち上げの打診を受けつつも断り18時5分退社。練馬から飯能行きに乗り換えると、高架から眺める車窓はとっぷりと日が暮れて…。
終戦の日に国道駅というのは、まぁ多少の意味はあるんだよ。
若干出遅れたものの、ダッシュが幸いして昨日と同じ快速小手指行きに乗車。今日は「レッドラッキートレイン」だったけど、ライオンズにラッキーは訪れず劣勢の模様…。
18時10分に会社を飛び出して、練馬から快速小手指行きに。道中2点、また2点と菊池雄星が失点を重ねていく…。まだ気が早いんだけど、負け慣れた(笑
8日間続いた猛暑日が、ようやく途絶えたこの日。
しぷカレ第4弾! 一度レイアウトを見直したため、8月にちょっと食い込んでしまったが。
休みを取って新宿に来るというのも、なんだか損したような不思議な気分。新宿アイランドの木陰に落ちる、激しい蝉しぐれ中…。
30分残業したけど、チケ取ってあるんで行ってみようかなと。 携帯で試合経過を確認すると、1-2でリードを許しているとのこと。いや、1点差ぐらいならいいんだよ。行ってみたところで、1-8とかなってるのがリアルにこわい。
野球があんななので、息抜きにどうぞ…。
定時退社してドームへ駆けつけてみる社会実験。
朝出るときは雨除けの傘の心配をしていたのに、いつしか日傘が必要な青空に…。 湯島駅付近から始まる春日通の「切通し坂」は、江戸の頃に湯島の台地を切り開いて作られた。湯島天満宮と旧岩崎邸に挟まれたこの坂に漏れる灯りは少なく、その情景を石川啄木は…
オールスター前最後の一戦だし、ちょっと遅刻しても行ってみようかなと。
なんだか急に暑くなった。街はすっかり真夏の匂い…。
出張先での昼休み。
梅雨の合間に訪れた、奇跡のような青空の日。 藤沢駅構内のカレーステーション。「ステーションカレー」大盛り(640円)、藤沢に来るといつもここだけど写真は初めてだったな。ミートボールが二つ浮かんでいて、特筆するほどじゃないけど懐かしくてほっとす…
雨は辛うじて上がった。 午前中は江古田の美容室へ。何だか美容師さんがのんびりしていて(笑、解放されたのはようやく13時過ぎ。練馬で副直快急に乗れたものの、全体的に遅れていてドーム前に着いたころには試合が始まっていた。
5日目 函館→東京 昨夜の天気予報が当たったな…。今日の函館は外出を控えたいぐらいの暴風雨。 函館最後の朝は7時過ぎに起床、8時半ごろ東館「アゼリア」へ。最後まで「松前」の和定食と迷ったけれど、折衷案として?和食中心バイキングで行く方向に。イクラ…
なんだか突然ファミリー向けだなぁ。 連日売り切れということで話題沸騰中のパンダ弁当、これは食べたい!ということで何十年ぶりかの上野動物園へ…。あ、もちろん、パンダにも会いに(笑
4日目 大沼公園(2/2) 五稜郭公園にほど近い、函館美術館に車を停めたのは15時過ぎ。16年ぶりとは言えすっかり建て替わっていた五稜郭タワー、上空からの景色はいかほどだろう。
4日目 大沼公園(1/2) 7時半ごろ起床。窓の外はもう、期待した以上の青空。心配していた風も、木々の姿を見る限り穏やかそうだ。
3日目 松前(2/2) 海岸線の国道で市街地をパスし、道道を右折する。丘を上り切ったところに、それはあっさりと見つかった。
3日目 松前(1/2) 8時起床。9時前に2階のレストラン「四季」にて、洋食バイキングの朝食。「洋食基本セット」(笑)を押さえた上で、中央奥に函館らしく塩ラーメンをプラス。右奥のかぼちゃのポタージュがおいしかった。
函館空港で買ってきた、YOSHIMIのカリーヌードル。 ネットで見ると具は入れないのが王道らしいけど、それも何だか寂しいので…。新じゃが、玉ねぎ、ウインナーという子供向けカレー定番の具材を用意。
2日目 青森→函館(2/2) 函館駅前から5分ほど、系統の分かれる十字街で市電を降りる。
ざっくぅの通販サイトで1,000円以上注文すると、非売品の缶バッチをプレゼント。5月25日まで。なんて魅力的なキャンペーンでしょう(笑 24日に駆け込みで注文したのが、帰りが遅くなったのに佐川急便が頑張って届けてくれた。
2日目 青森→函館(1/2) 今日の青森は雨こそ上がったものの、どんより曇り空…。
積りに積もった睡眠不足で、寝坊して出遅れは織り込み済み…。一応上着は持って出たけど、電車には冷房入ってるしすっかり夏の気分だねぇ。
1日目 東京→青森 こんな日に限って、普段は定時にいなくなるO女史から相談を受けるなんて…!(笑 18時過ぎに退社して、乗り継ぎよく帰宅は18時50分ごろ。急ぎ荷物を纏めて、20時ちょうど東京駅の新幹線改札をくぐる。北陸新幹線の開業で一層「日本のハブ」…
かつて本州と北海道を結ぶトンネルのなかった時代、青函間にはJRによる鉄道連絡船が運航されていた。青函トンネル開通と引き換えに廃止になると聞いて居ても立ってもいられず、祖父の遺品のカメラを提げて子供の分際で一人旅に出た。 1987年12月31日 東京→青…